Culture
2022.10.19

江戸の大スター、市川團十郎家とは?襲名って何?浮世絵とともに解説!

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歌舞伎には「名跡(みょうせき)を継ぐ」というしきたりがあります。襲名することによって代々継承されてきた芸を受け継ぎ、その芸を磨いていくのです。

歌舞伎の大名跡といえば、やはり「市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)」。この章では、江戸時代から現代に至る市川家の系譜と團十郎の人気ぶりを、浮世絵で辿っていきましょう。

※本記事の文章は、書籍『歌舞伎江戸百景』(著者:藤澤 茜)の転載となります。

市川團十郎家と襲名について

歌舞伎役者は、代々名前を継承し、役者としての地位や芸風を受け継いできました。上方(京都、大坂など近畿地域)では弟子が名前を継ぐ例も多かったのに対して、江戸ではそれぞれの役者の家系の者が、代々襲名するケースが多数を占めました。

江戸で最初に創設された劇場である猿若座(のちの中村座)の座元(興行権をもつ者)「中村勘三郎(なかむらかんざぶろう)」、市村座の座元「市村羽左衛門(いちむらうざえもん)」など、何代も続く家柄や名跡は数多くありますが、江戸歌舞伎の中核をなし、現代まで続く名跡といえば「市川團十郎」です。

初代團十郎は力強い荒事(あらごと)を創始し、その息子の二代目が多くの演目をつくりだして、市川家の「家の芸(役者の家に得意芸として伝えられた演技や演目)」を確立しました。そして、七代目團十郎がそれらをはじめてまとめた「歌舞伎十八番」は、ほかの役者の家の芸にも大きな影響を与えます。

また、文化人たちともさかんに交流し、とくに二代目、五代目、七代目團十郎などは、歌舞伎界だけにとどまらず、江戸文化全体のなかで捉えるべき役者です。團十郎家は跡継ぎが早世したり、不慮の死を遂げたりすることが続き、養子縁組みなどでその名跡を継承してきたという一面もありますが、その芸は現代まで受け継がれています。

歌川国貞(三代豊国)「古今役者似顔大全」市川家系譜
文久2年(1862) 大判錦絵三枚続 国立国会図書館デジタルコレクション
「古今役者似顔大全」は、おもに元禄年間(1688~1704)以降に江戸で活躍した役者を中心に、上方の役者も含めた計300人の役者を、全101図で紹介する揃物(シリーズ)。個々の役者が活躍した時期に描かれた役者絵や、先行する役者絵本『絵本舞台扇』などを資料として制作されている。
十三代目襲名の特別公演も楽しみですね!

美貌の人気役者、八代目團十郎

代々の團十郎のなかでも、面長の美男子で色気があり、絶大な人気を誇る八代目。似顔でもすぐにわかる整った顔だちで、鬘(かつら)をつけ替える玩具絵(おもちゃえ)なども商品化されました。

歌川国貞(三大豊国)「見立三福対(みたてさんぷくつい)」月 児雷也
嘉永5年(1852) 大判錦絵 国会図書館
嘉永5年7月、江戸・河原崎座で上演された『児雷也豪傑譚話(じらいやごうけつものがたり)』にて初演。合巻(挿絵を中心とした小説)をもとにした歌舞伎で、蝦蟇の妖術を使う義賊・児雷也を好演した。舞台さながらの迫力が伝わる作品。

10歳で團十郎を襲名

代々の團十郎のなかでも色男として知られ、江戸の女性たちから熱い視線を送られたのは、なんと言っても八代目です。10歳で團十郎を襲名し、その襲名興行で「歌舞伎十八番」の制定が公表された際に、八代目は『外郎売(ういろううり)』を勤めました。

品行方正だった八代目は、江戸を追放された父・五代目海老蔵(七代目團十郎)や、江戸に残された家族を支え続け、親孝行者として奉行所から表彰されたほどでした。天保の改革によって歌舞伎界を取り巻く状況が厳しくなっていくなか、八代目は懸命に江戸歌舞伎のために尽力します。

熱狂的な人気

その絶大な人気ぶりは、『助六(すけろく)』を演じたときに使った天水桶の水が高値で売れたというエピソードもあるほど。お家芸の『助六』以外にも、『児雷也豪傑譚話』の児雷也、『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』の与三郎などの当たり役があり、正統派の美男の役だけでなく、悪の魅力漂う色男なども好演しました。

人気絶頂の中、突然の自害

その美貌と優れた芸で人気絶頂だった八代目團十郎は、江戸から追放されていた父・五代目海老蔵(七代目團十郎)からの要望で大坂に赴き、当地の芝居に出るはずでした。しかし、初日の朝に突然、みずから命を絶ってしまいます。

自害した理由は、父の妾・おためとの確執という説、大坂の芝居に出るため江戸の芝居小屋に不義理をしたことを気に病んだからという説など、諸説ありますが、真実はわかっていません。

八代目の突然の死の知らせを聞いて、父・海老蔵以上に大きな衝撃を受けたのは、江戸の贔屓の女性たちでしょう。たちまち多くの「死絵(しにえ)」が刊行され、その数は300種類ともいわれました。

歌川国芳 八代目團十郎の死絵
嘉永7年(安政1年、1854)大判錦絵二枚続 シカゴ美術館
八代目の右脇には奥女中(将軍家や大名家の奥向きに仕える女性)、その隣に遊女、芸者とさまざまな身分の女性が描かれる。この死絵には絵師名や版元名の記載はないが、絵師・国芳と親交の深かった狂歌師・梅屋鶴子(うめのやかくし)の名が記されていることから、この作品は国芳の筆によると考えていいだろう。

死絵は役者の訃報を知らせ、その姿を偲ぶための浮世絵です。八代目の死絵は、女性の人気が高かったことを反映して、上の作品のように贔屓の女性たちが悲しみにくれる図柄が多く見られます。

金棒を持った赤鬼に手を摑まれる八代目を引き留めようと、折り重なる女性たち。額に三角の布を付けた死者まで、團十郎をあの世へ連れていかないよう、青ざめた表情で鬼に懇願しています。黄色い衣を着て鬼の腕をつかんでいるのは「奪衣婆(だつえば)」です。三途の川にやって来た亡者の衣をはがす鬼婆ですが、画面上部の詞書(画中の文章)には、若く美しい團十郎をひと目見て、奪衣婆が役目を忘れて鬼に訴えかけていることが書かれています。ペットの猫や狆(ちん)まで加勢している図柄からは、女性ファンたちが八代目の死を嘆いていることが伝わってきます。

享年32。大スターには人知れぬ深い悩みがあったのでしょうか……。

歌舞伎と浮世絵を120%楽しむ一冊

書籍では初代~九代目までの團十郎についても詳しくご紹介しています!

江戸庶民文化の華と称され、いまや日本文化の代表とも言える「歌舞伎」と「浮世絵」。江戸の暮らしとともにあったこのふたつの文化は、相互に影響し合いながら発展してきました。

本書は、「浮世絵を見ることで歌舞伎がよくわかる、歌舞伎を知ることで浮世絵がもっと楽しくなる」をコンセプトに、江戸の日常、浮世絵と歌舞伎の歴史、歌舞伎の名作・名場面などさまざまな切り口で、歌舞伎と浮世絵の関係をひもときます。東洲斎写楽の役者大首絵はもちろん、葛飾北斎による着せ替え人形遊びのような役者絵、歌舞伎役者が広告塔となって商品を宣伝する浮世絵まで、浮世絵と歌舞伎の分かちがたい2つの魅力を、100点を超える作例とともに紹介します。

浮世絵コレクターとしても名高い歌舞伎役者・市川猿之助丈のインタビューも収録。猿之助丈秘蔵の浮世絵も掲載。

書籍情報

『歌舞伎江戸百景 浮世絵で読む芝居見物ことはじめ』
著/藤澤 茜
定価:2,420円(税込) 
B5判並製 
112ページ
小学館
ISBN 9784096823613

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