浅草寺の境内に、期間限定の大きな芝居小屋「平成中村座」が建っています。ただの仮設劇場ではありません。江戸時代の芝居小屋の雰囲気の客席で、中村勘九郎さんや中村七之助さんといった人気の歌舞伎俳優さんの歌舞伎を間近にみられる、テーマパークと劇場のハイブリッド型エンタテインメント空間なのです。
お客さんは、江戸時代にタイムスリップしたような気分で、本格的な歌舞伎をみられます。「江戸時代の芝居小屋」と言われても、ピンと来ないという方は、次の浮世絵をご覧ください。幕府が認めた江戸三座の1つ、中村座です。
大変な賑わいです。花道のぎりぎりまで客席があり、よくみれば舞台の真横にもお客さんがいます。現在のホールや劇場とは、だいぶ雰囲気がちがいます。が、平成中村座に再現されているところがたくさんあります。
そこで、初めて行く方にも満喫いただけるよう、平成中村座の中の様子をレポートします。『平成中村座十月大歌舞伎』(2022年10月5日~27日)、『平成中村座十一月大歌舞伎』(2022年11月3日~27日)に出演中の歌舞伎俳優、中村勘九郎さんと中村七之助さんにもお話をうかがいました。
インタビューでは、次の3つのお題に「ピンポン!(そう思う)」と「ブー!(そう思わない)」のアンケート形式でお答えいただきました。
1.平成中村座には平成中村座のルールがある?
2.平成中村座はお客さんとの距離が近い?
3.中村屋兄弟が江戸時代にタイムスリップしたら?
【平成中村座のはじまり】平成中村座は、十八世中村勘三郎さんが、2000年に浅草・隅田公園に建てた仮設テントではじめた公演です。勘三郎さんは、19歳のときに唐十郎さんの劇団のテント公演をみて衝撃を受け、「江戸時代のにぎわいそのままの芝居小屋で歌舞伎を」と夢を思い描いたそうです。その夢を、平成中村座で実現させました。2012年12月、勘三郎さんは惜しまれつつ他界されましたが、平成中村座は息子の勘九郎さんや七之助さんたちによって受け継がれています。22年の間に、大阪、名古屋、小倉、ニューヨーク、ベルリン、シビウ(ルーマニア)など、各地で公演を成功させています。
平成中村座には中村座のルールがある?
——平成中村座は、一歩入った瞬間から普通の劇場とはちがう雰囲気です。そこで最初の質問です。
「平成中村座には平成中村座のルールがある」?
中村勘九郎さん(以下、勘九郎): ブブーッ。
中村七之助さん(以下、七之助): ブブーッ。
七之助: ルールは何もないね。
勘九郎: あえて言うなら、お客様には入口で靴を脱いでいただくことくらい。それもルールというより、その瞬間から江戸の芝居小屋の雰囲気で楽しんでいただくためのもの。役者にとっては、ルールも制約もないです。
七之助: むしろ自由。平成中村座って、いい意味で緊張感がないんです。
——楽屋での過ごし方はいかがですか? ドキュメンタリー番組やYouTube『平成中村座チャンネル』を拝見すると、雰囲気がだいぶ違うようです。
勘九郎: 楽屋は大きなプレハブをパーテーションで仕切って使います。衣裳が大きい人がいれば、「そちらのスペース、もう少し広い方がいいですよね? ちょっとちょっと、みんな! ずらしてずらして!」って皆で仕切りを動かして。
七之助: 家族、親戚みたいに気心の知れている人たちばかりだからね。僕らのように気にならない同士なら、仕切りもどけてしまいます。
勘九郎: それこそ江戸時代の大部屋の楽屋みたいになる。以前は大部屋のまま使ったりもしたね。父(勘三郎)、中村福助のおじ、中村芝翫のおじまで、皆で一列に並んで鏡に向かって。歌舞伎役者は、舞台のメイクを自分でやります。古典の役は顔にも決まりがありますから「あの役は、どう化粧をするんだろう」という時、ふだんならば先輩の楽屋へうかがい、「勉強させてください」とお願いをして見せていただきます。でも平成中村座の楽屋なら、自然とそれを勉強できる。「おい、雅行(勘九郎の本名)」と父に呼ばれてダメ出しがはじまると、他の人にも聞こえる。お互いのダメ出しが聞ける。
七之助: それってとても勉強になるんです。
勘九郎: 芝居にもルールはなくて、宙乗りもできますし、花道、すっぽん、セリもある。ここでできない歌舞伎はないと思っています。なんなら平成中村座だからできる演出があるんですから。たとえば……、いや、これは見てのお楽しみにしておきましょうね。
平成中村座、舞台と客席
——花道と座席に、まるで隙間がありません。2階の端から見た時も、驚くほど舞台を近くに感じられました。そこで次のお伺いです。
「平成中村座は、舞台と客席が近い。近すぎてやりにくいときもある」?
勘九郎: ブーブー。
七之助: ブーブー。
勘九郎: 近い。でも、やりにくくはない。
七之助: 僕は近すぎると感じたこともありません。平成中村座では、花道に手荷物を置かれる方もいないしね(笑)。
勘九郎: いないね。それはお茶子さんたちのおかげだと思うよ。ご案内がすでにエンタテインメントになっているから、お客さんも聞いてくれるし協力してくれる。案内係のお茶子さんは平成中村座の名物です!
勘九郎: 小屋の構造的な話でいうと、どの席からも花道での芝居をみやすいところが良いですよね。会場によっては花道がみえなかったり、見えても七三までだったり。ここは2階席からも、花道に出るところから本舞台までをご覧いただける。
七之助: あと、物理的に舞台に近いのは「桜席」。
——「桜席」は舞台の両サイドの2階部分にある席ですね。
勘九郎: 舞台の真横から観ていただくので芝居は見にくい。でも幕の内側に入る位置なので、大道具の転換や幕が閉まっている間の役者の様子も見られます。
勘九郎: 僕らとしては見られている緊張感もありますが、だからこその楽しみ方もあります。どうかしてるよ!? と思ったのが松本幸四郎さん。
七之助: 『四段返し』(『弥生の花浅草祭』2012年)の時だ(笑)
勘九郎: それぞれが4役を早替りで踊る演目です。最後は幕の裏で、長い毛の獅子の姿になります。その拵えをする姿が、桜席からは丸見えなんです。ある時、幸四郎さんが、どちらが早く獅子の拵えができるか、いきなり競争しはじめたんです。幕の内側がザワザワして、その様子が分からない客席のお客様も何がおきているんだとザワザワして(笑)。
七之助: 僕が桜席の特権だと思うのは、11月にも上演される『魚屋宗五郎』ですね。最後の場面は、酔いつぶれた宗五郎が、庭先に敷かれたゴザで寝ているところからはじまります。ふだんの公演ならば、幕が閉まっている間にゴザまで普通に歩いていって横になればいい。でも平成中村座では桜席のお客様が見ています。だから、前回上演した時は、そこに至るまでをすべて芝居でやったんです。
勘九郎: 酔っぱらった宗五郎が、家来に抱えられて連れてこられてゴザに寝かされて。
七之助: 女房おはまが、家来にお礼をいって、「ちょいとお前さん、もう起きとくれよ」って始まる。その芝居を入れることで、僕らとしてもやりやすくなるんですよね。
中村屋兄弟が江戸時代にタイムスリップ?
——江戸時代の中村座には、幕府公認の芝居小屋の証として、入口に櫓があがっていました。それに倣い、平成中村座の入口にも、角切銀杏(すみきりいちょう)の紋があしらわれた櫓があがっています。場外には売店が軒を連ねお客さんでにぎわい、まるで浮世絵でみる江戸の芝居町のようです。そこで3つ目のお伺いです。
「もし江戸時代にタイムスリップしたら、やっぱり歌舞伎俳優になる?」
七之助: ピンポン!
勘九郎: うーん……ブブー!
七之助: 今の意識のまま行くんでしょう? 俺はやるよ。
勘九郎: やりたくはない。
七之助: じゃあ、どうするの?
勘九郎: 観たい! 朝はやくから出かける準備をして、それこそ芝居茶屋へ行ってお酒を飲んだり食事を楽しんだりして、1日かけて芝居を観る。
七之助: 僕もまずは観たい。でも現代に戻ってこられないなら? そうしたらやるでしょう?
勘九郎: (少し考え)やっぱり無理だよ、無理無理! だって当時の歌舞伎役者は、いまの歌舞伎役者以上に優れていると思うよ。唐十郎さんのいう「特権的身体」ではないけれど、役者と生活がひとつになった生き方をしていた時代だもの。ものすごい役者が大勢いたはずだから、まるでかなわないよ。
七之助: あっ。しかも稲荷町(いなりまち。役者の階級)からはじまるんだ!
勘九郎: いまよりもずっと厳しく階級が分けられていた時代に稲荷町、中通り、相中で、名題まで上がらないといけない。
勘九郎・七之助: 大変だあ……。
勘九郎: もし俺たちに、かなうことがあるとすれば、いま古典と言われている作品や演出を、先に全部知っているってことくらいでしょう。だから演出家になればいいのか。全部先にやっちゃおう!
七之助: ははは、やろうやろう。
勘九郎: (急にインテリ風の口調で)いま僕ちょっと思いついたんですけれど、“チョンパ”って……どうですかね?って(笑)。
七之助: だったらやっぱり役者やるよ。“つまり、こういうことですね”って話がはやいでしょう。
勘九郎: なんだこいつらは! って周りは驚くでしょうね(笑)。そうなると中村仲蔵は世に出てきませんよ。『仮名手本忠臣蔵 五段目』の斧定九郎の演出、全部先にやっちゃいますから。黙阿弥の話も台詞も分かっているから、僕が書きます。役者じゃなくて作家になります。
七之助: 結局どの時代にいこうと芝居しかできないんだから、芝居に関わることで生きていくしかないじゃない。でも、もし江戸時代に人気役者になれたら相当もらえるんだよね。
勘九郎: 大金持ちですよ!
七之助: ヤッター。すごい稼げる!
勘九郎: お金を持つと人は変わるといいますからね、そこだけ気をつけます(笑)
【芝居小屋「中村座」の歴史をおさらい】江戸時代の中村座のはじまりは、寛永元年(1624)。江戸歌舞伎のパイオニア・猿若勘三郎が、猿若座をはじめました。二代目勘三郎から「中村」を名乗るようになり、猿若座は中村座となります。京橋、日本橋と転々とし、天保13(1842)年、大火をきっかけに浅草寺の北側へ移転。幕府の指導により、江戸三座(中村座、市村座、森田座)が集められたエリアが、猿若町と呼ばれるようになり、芝居町として栄えました。
息をして、成長していく芝居小屋
——2012年12月に勘三郎さんが旅立たれて10年。過去のインタビューでは、お父様がいなくなられた後、平成中村座の匂いが変わった気がすると、おっしゃっていました。
勘九郎: その匂い、戻ってきた感じがしています。また小屋が喜んでくれるようになってきた。平成中村座に限ったことではありませんが、芝居小屋って、僕たちで作っていくものなんですね。芝居をすることで、小屋は息をして、成長していくのだろうなと思います。
七之助: そんな中でも、平成中村座には平成中村座の独特の匂いがありますよね。役者やスタッフはもちろん、お客さんが「観にきました」ではなく「参加しにきました」という空気があります。そういった皆の思いが集まって、独特の匂いを作るんじゃないでしょうか。
七之助: 思えば平成中村座は、 機能の面でもだいぶ変わりました。僕たちではなく、製作の松竹さんをはじめ皆様のご尽力の賜物として。たとえば以前は、激しい雨の日はテントを打つ雨音で台詞が聞こえなくなっていたんです。『弁天娘女男白浪』の浜松屋の場で弁天小僧をやった時(2003年)も、まるで聞こえなくて。
勘九郎: 世話物なのに、時代物をやる時のように、声をはって台詞を言って(笑)。
七之助: その雨がピタっとやんだ次の瞬間の僕の台詞が、「雨は、もうまっぴらだ」。お客様がウワッと笑ったことをよく覚えています。ただ、花やしきのジェットコースターの悲鳴は、いまでも聞こえてきます。
勘九郎: キャーってね(笑)。平場の席(松席。椅子ではなく座布団)も、今は背もたれがあります。空調も改善されました。はじめて間もない頃は、秋が深くなると寒かったもの。
七之助: 逆に、舞台上が異常に熱くなって、煙が上がっているわけでもないのに「火事です」と警報器が鳴りだしたこともあったね。いまは雨でも台詞は聞こえますし、季節を問わず快適に楽しんでいただけます。
勘九郎: 江戸時代の芝居小屋の雰囲気はそのままに、色々変わってる。ひさしぶりに遊びに来てくださる人は、驚かれるかもしれません。
七之助: 皆の力で平成中村座は進化しているんですね。
関連情報
猿若町発祥180年記念『平成中村座十一月大歌舞伎』
日程:2022年11月3日(木・祝)~27日(日) 【休演】8日(火)、21日(月)
会場:平成中村座(浅草寺境内・仮設劇場)
YouTube『平成中村座チャンネル』
十八代目中村勘三郎はもちろん、当代の中村勘九郎・中村七之助・中村勘太郎・中村長三郎・中村鶴松を今まで30余年にわたり密着してきました。勘三郎が熱望した劇空間「平成中村座」の魅力が、中村屋の歴史とともにご紹介されます。
平成中村座チャンネル / Heisei Nakamura-za Channel