「栄西が宋から茶の種を持ち帰り、日本に抹茶を広めた」「千利休が侘茶(わびちゃ)を大成した」…そんな定番の茶道史に異議を唱える面白い集団がいる。その名も「茶の湯の歴史を問い直す研究会」。そのなかで、おもしろい研究をしている一人が遠藤啓介先生。考古学で茶の湯の歴史にアプローチする珍しい研究者だ。栄西の伝説はウソなのか? さっそく遠藤先生に話を聞いてきた。
尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。
利休の弟子・山上宗二の“意識高すぎ”秘伝書を過剰評価…茶道史研究は、誤解を生んできた?
遠藤啓介(以下、遠藤):茶の湯の歴史は、文字資料の研究がメジャーです。茶会の記録、茶道具にどんな由緒(言い伝え)があるか書かれた文書などが研究されてきました。
給湯流茶道(以下、給湯流):千利休の茶会に参加した人のレポなどを読むのは、自分も好きです!
遠藤:しかし戦国時代は、歴史的に有名な人物やその周囲の人々が、直接書いた資料が少ないのです。(専門用語では、同時代資料という。※1)本人の発言ではなく、由緒などを基にした茶道史の通説を疑い、研究してきた橋本素子先生という方がいます。橋本先生は「喫茶文化史」を提唱しておられるのです。
給湯流:「喫茶文化史」とは、何ですか?
遠藤:「茶道」ときくと、茶室で抹茶を点てるのをイメージしますよね。ですが、それ以外の様々な形で抹茶を楽しんできた歴史が、実は日本にあるのです。橋本先生は、「茶道」と狭めずに、広く「喫茶文化」ととらえ直して研究すべきだとお考えです。
給湯流:なるほど。千利休だけがヒーローじゃない!
遠藤:橋本先生に賛同した仲間が集まり、「茶の湯の歴史を問い直す研究会」が発足しました。
遠藤:たとえば山上宗二(やまのうえのそうじ)で考えてみましょう。
山上宗二は戦国時代の茶人で、利休の優秀な弟子だった。当時、代表的だった茶道具を評価した秘伝書、『山上宗二記』が有名だ。
遠藤:宗二は、めちゃくちゃ”意識高い系”の茶人でした。今でいえば朝早く起き、ジョギングをしてプロテインを飲み筋トレをしてから出勤するような人です。
給湯流:現実社会にそんな意識高いビジネスパーソン、ほぼ実在しません(笑)。
遠藤:室町将軍家では良いものとされていた、曜変天目(ようへんてんもく)や油滴天目(ゆてきてんもく)を、宗二は「今の茶会では、もう使われていない」と書いています。しかし、古田織部(ふるたおりべ)や豊臣秀次(とよとみひでつぐ)といった戦国武将は、油滴天目を持っていました。
油滴天目とは、12〜13世紀に、中国南部の窯で作られた茶碗。高温の窯の中で化学変化をおこし、器の表面に油のしずくが飛び散ったような模様がついている。キラキラして華やかな茶道具として人気があった。古田織部は、宗二と同じく利休の弟子であったが、利休とは異なるセンスで大人気になった茶人だ。豊臣秀次は、豊臣秀吉の甥っ子。
給湯流:えー! 私も宗二が書いたことを信じていました。くだけた言い方にしますと「室町将軍は中国のキラキラした高級品をあがめてきたけど、そんなのは古臭い、ダサい。今は侘びた茶道具を使う時代だぜ!」と。
遠藤:それは、宗二個人の考えです。でも、茶道史の研究では『山上宗二記』が中心にあり、宗二の価値観が同時代の全ての茶人の共通認識だった、と誤解を生んでしまった。
給湯流:意識高すぎる人の意見に振り回されていては、本当の歴史は見えてこない!
遠藤:記録が残っているのは重要なんだけれども、宗二は過大評価されすぎている。有名な記録だけではなく、ほかの同時代資料にも当たってみよう、と活動しているのが「茶の湯の歴史を問い直す研究会」です。茶道具の価値は、何事にもとらわれない心で選ぶことが重要。これについては、ぜひ前述の本を読んでください。
※1:歴史的人物・本人が書いたものが同時代資料。しかし茶道史の資料には本人ではなく、後の時代に別の人が書いた文書も含まれる。たとえば、江戸時代になって「千利休は〇〇だった。」などと利休とは別の人が書いた文書は怪しい場合も多々あり!
遺跡を掘って発覚! 栄西が帰国するより前から、福岡では抹茶を飲んでいた?
遠藤:私は考古学から茶道史を考え直す、というアプローチをしています。
給湯流:考古学といえば、縄文、弥生時代というイメージですが……。
遠藤:考古学は、遺跡や遺物を発掘して、過去の人類の生活・文化を研究する学問。古代だけとは限りません。私は栄西が帰国する前後など、中世の遺跡も調べているのですよ。
給湯流:なるほど。
遠藤:今の茶道は、きれいな掛け軸や陶磁器などがお好きな方も多く、「総合芸術」と呼ぶ人もいますよね。でも、私は遺跡から泥だらけの陶磁器のかけらを拾っている……「芸術」とは、ほど遠い。だから茶道をやっている人には見向きもされません(笑)。
給湯流:いやいや、何をおっしゃいますか! とても興味深いです。
遠藤:実際に遺跡から出てきたものを見ると、茶道史の伝説が怪しいことがわかります。たとえば「栄西が茶の種を持ち帰り、日本に抹茶を広めた」というエピソードも1つの神話であって、事実ではないようです。
給湯流:なんと!
遠藤:博多遺跡からは栄西以前の時代に、抹茶を飲む茶碗が見つかっているのですよ。こちら、天目(てんもく)といいます。(※2)
「天目」とは、中国浙江省(せっこうしょう)と安徽省(あんきしょう)の境にある天目山から付けられた名前。当地の禅寺で使っていた茶碗を、鎌倉時代に日本人留学僧が持ち帰ったことが名前の由来。しかし実際に茶碗が焼かれていたのは天目山ではなく、福建省の別の場所だったとか……。先に出ていた「油滴天目」も天目の一種。
遠藤:博多遺跡があった場所は、中国人居留区だったのです。中国人の商人が集まっていました。栄西の力を借りなくても、中国人商人がすでに抹茶の最新文化を博多に運んでいたわけです。
給湯流:博多では栄西が帰国する前から、抹茶文化が伝わっていた。でもちょうどいい時期に栄西というスターが生まれた。だから「抹茶を日本に伝えたのは栄西だ、って言ったほうが盛り上がるんじゃね?」と伝説を作ってしまったと。
遠藤:まだ仮説ではありますが、その可能性は高い。学問的にもっと深く研究しようと思っています。
※2:森本朝子「博多遺跡群出土の天目」『特別展唐物天目―福建省建窯出土天目と日本伝来の天目』MOA美術館、1994年
巨石に抹茶を捧げる? スプーンでシャカシャカ? 13世紀・福岡の喫茶文化がすごい
福岡県の遺跡を発掘すると、茶道の王道からはみ出した、バラエティー豊かな抹茶の飲み方が見えてくるという。さらに遠藤先生に聞いてみた。
遠藤:福岡県那珂川市五ケ山東小河内遺跡は13世紀後半にはお茶を飲んでいたと推定されます。そこで大量の青磁碗が出土しました。
遠藤:青磁碗は、13世紀後半~14世紀に中国で作られた茶碗です。茶葉をひいて粉の抹茶にする茶臼(ちゃうす)、土器でできた茶釜なども出土しました。抹茶を点てていたのは確かです。
遠藤:この遺跡がおもしろいのは、巨石が散在している点です。
給湯流:巨石!?
遠藤:山の中にある大きな石は神様だと、この辺りでは古代から、信じられてきました。「磐座(いわくら)」と呼ばれています。この遺跡も、巨石信仰で祭祀を行なっていたと考えられます。
給湯流:ミステリアス!
遠藤:ふたつの巨石の間に小石を詰め込み、そこから土師器(はじき)(※3)や鏡も出土しました。
給湯流:巨石の前で、おまじないとか占いをやっていたのですかね。ワクワク。
遠藤:何か儀式をやっていたのでしょう。その際に、抹茶を献上したと考えられます。匙(さじ/スプーン)でシャシャっと抹茶を溶かしていた可能性があります。
給湯流:スプーン! 今の茶道具が定番化する前は、いろいろなものが使われていたのですね。
※3: 弥生土器の系統を引く、素焼き土器。
お墓の前で抹茶を飲む? 福岡の農民に早くから広がった喫茶文化
遠藤:福岡県朝倉市狐塚南遺跡は、有力・一般農民が14世紀後半から住んでいた遺物が見つかっています。ここでも中国で作られた茶碗と、茶釜、茶臼が発掘されました。
給湯流:農民が、戦国時代の前から抹茶を飲んでいた? それは驚きです。
遠藤:本州では農民層が抹茶をよく飲むようになるのは16世紀・戦国時代だと言われています。でもこの遺跡を見ると九州では、その100年前から農民が抹茶を日常的に飲んでいたようです。「日常茶飯事」というわけです。
給湯流:中国と近かった福岡や九州は、抹茶が広がるのも早かったのですね!
遠藤:しかもこの遺跡では、お墓の前で抹茶を飲んだり、死者に抹茶を献上していた可能性があります。
給湯流:なに? オカルト茶会!?
遠藤:お葬式の時に、抹茶を用いた儀礼があったようです。瓦のような素材でできた、花瓶や香炉も出土したのですよ。
給湯流:なるほど、お葬式でお花を飾り、お香を焚いてお祈りをしたということですね。
遠藤:抹茶が庶民に広がる一つの要因は、葬式など儀礼の時だと私は考えています。
給湯流:茶道の歴史というと、室町将軍とか戦国武将、千利休くらいしかイメージできていませんでした。でも、本当はいろいろな場所で抹茶は飲まれてきたのですね。
遠藤:これからも様々な遺跡を調べて、茶道史のなかでこぼれ落ちていた喫茶文化をどんどん調べたいと思います。
給湯流:また遺跡から新発見があったらぜひ教えてください! 今日はありがとうございました。
アイキャッチ画像は、青磁蓮弁文碗/東小河内遺跡 出土
すべての写真/九州歴史資料館提供
遠藤啓介 プロフィール
1975年生。九州歴史資料館学芸員。筑波大学大学院人間科学研究科芸術学専攻博士課程(後期)中退(修士)。専門は東洋陶磁史。近年は中国陶磁器だけではなく、九州・福岡のやきもの、工芸全般、喫茶文化史に興味関心が広がる。
喫茶文化史の論文では「中世筑前における喫茶の一様相①-朝倉郡筑前町夜須所在砥上上林遺跡出土品の検討」『九州歴史資料館研究論集」第47号2022や「中世筑前における喫茶の一様相②-朝倉市才田遺跡・狐塚南遺跡出土品の検討」『九州歴史資料館研究論集」第48号2023などがある。
九州歴史資料館
2023年12月16日(土)より企画展「重要文化財で語る古代大宰府」
2024年3月17日(日)閉幕。https://