江戸時代に生まれた幕府公認の遊郭、吉原。当時の男たちは、誰しも一度は登楼したいと夢見ました。しかし光があれば影があるのが世の常というもの。独自のルールを破った客には、容赦ない私刑が待っていたのです。最も嫌われたのは、馴染みの遊女から別の遊女へと心変わりすることで、「浮気」は御法度でした。
それは、どんなお仕置き?
客としては秘密裏に別の遊女の元へ行ったつもりでも、遊女同士の結束から、すぐにバレてしまうのです。浮気した遊女とめくるめく一夜を共にして、意気揚々と帰ろうとしたところ、大門で新造(しんぞう)※1から禿(かむろ)※2まで動員して「待ち伏せ」をされ、妓楼へ連行されます。
裏切られた遊女からのお仕置きは、大勢の前での公開処刑。捕らえられた客は、裸にされて女の着物を着せられる辱めを受けます。おまけに顔に墨を塗られたり、髷を切られたり。吉原では遊女ファースト。疑似恋愛の場とはいえ、不実な男は廓の秩序を乱すため、このような制裁を受けました。
周囲の人たちは、笑いながら見ていて、まるでコントのよう。浮気された遊女は怒ってますね。
そして、もう1つのタブーとは?
吉原2大タブーのもう1つは、見世で遊んだのに、お金を支払わないことです。浮気の場合よりも、厳しいお仕置きで対応しました。未払いの客を逆さにした桶に閉じ込めて、上に石を載せて出られないようにしたのです。顔の部分だけは見えるようになっているので、屋外に置かれてさらし者になった訳ですね。この私刑は「桶伏(おけぶ)せ」と呼ばれました。この制裁はさすがに過酷すぎるからか、初期のころだけ行われたようです。
桶伏せについて詳しく知りたい方は、こちらの記事をお読み下さい。
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お金がないのに、遊郭・吉原で性サービスを受けた男への制裁「桶伏せ」が恐ろしすぎる!
参考書籍:『吉原遊郭のすべて』双葉社、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科事典』平凡社
アイキャッチ:『青楼絵抄年中行事』十返舎一九 国立国会図書館デジタルより