「大奥」は、現代人の私たちの好奇心を刺激する世界です。度々テレビドラマや映画にも描かれていますが、その中で繰り広げられる愛憎劇やドロドロ展開に、ハラハラドキドキしている人も多いことでしょう。
将軍の世継ぎ誕生のために、女性ばかりが集められた特殊な世界! 将軍1人が好き勝手やってたのかと思いきや、そこには厳格な取り決めがあったようで……。
大奥に泊まるのにはルールがあった
江戸城の本丸御殿は「表」と将軍の居住する「中奥」と、「大奥」の3つに分かれていました。表と中奥は一体化した空間でしたが、中奥と大奥は銅の塀で厳格に遮断されていて、将軍と言えども勝手に立ち入ることはできなかったようです。将軍が大奥に泊まる際は、事前の連絡が義務づけられていました。
その連絡の中継ぎは、御伽坊主(おとぎぼうず)がつとめました。坊主とはいっても女性なのですが、頭を丸めた僧形のなりをして、唯一中奥と大奥の間を行き来することも許されたそうです。
中奥と大奥の間には、将軍だけが通れる2本の「御鈴廊下」があり、廊下を通って入るのがしきたりでした。お供の者は男子禁制のため、廊下の入り口で奥女中に刀を渡すなど、こういう手順が行き来する度に繰り返された訳です。うーん、まどろっこしいなぁ。
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やっと寝所に入っても、そばには監視役が!
手続きを踏んで、ようやく大奥の将軍の寝所である「御小座敷」に入り、この日の相手との夜の営みが始まります。しかし衝立で仕切られた次の間には、監視役が一晩中聞き耳を立てて、控えていたそうです。※1最もプライベートな状況が、オープンにされているなんて!
この監視役は、翌朝、大奥を取り仕切る最高幹部の御年寄(おとしより)に報告も行いました。奥女中たちが将軍と夜を共にするのは、恋愛ではなく仕事のうち。布団のなかで将軍へのおねだりなどを防ぐ目的だったようです。相手が御台所(みだいどころ)※2の場合は、報告まではなくても、監視役は置いていたよう。子作りのために性生活が管理されていた訳ですね。いやはや、徳川幕府存続のために、ここまでするとは! 大奥恐るべしです。
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参考書籍:『日本大百科全集』小学館、『世界大百科全集』平凡社
アイキャッチ『千代田之大奥 婚礼』揚州周延 (国立国会図書館デジタルコレクションより)