浮世絵版画と言えば、誰もがカラフルな色彩の版画を思い浮かべますよね。ところが、江戸時代の初めには、墨一色で摺られた版画しかなかったのです。その後、墨一色から木版に朱色などを使用した版を使った紅摺絵(べにずりえ)※1が登場。さらに技術が進歩して、多数の色版を使ったカラフルな浮世絵版画が世の中を席巻します。これらは華やかな織物の「錦織」のようであることから、「錦絵(にしきえ)」と呼ばれるようになりました。こうした浮世絵版画の変遷に大きく関わったのが、今回紹介する浮世絵師・鈴木春信(すずきはるのぶ)です。
文化人との交流が絵師としての視野を広げた
春信の出生については、詳しい事は明らかになっていませんが、享保年間(1716~36)頃の生まれで、本姓は穂積 (ほづみ)、通称は次郎兵衛、号は思古人(しこじん)と称していたようです。後に絵師となり、江戸神田白壁(しらかべ)町(現在の神田鍛冶町付近)あたりに住んでいたと伝えられています。この界隈には、裕福な文化人や学者が多く住んでおり、中でも本草学(ほんぞうがく)、蘭学に通じ、エレキテルの製作でも有名な平賀源内(ひらがげんない)とは大変親しかったようです。そのほか、狂歌や戯作を描いた太田南畝(おおたなんぽ)※2、蘭方医の杉田玄白(すぎたげんぱく)※3、秋田藩士で、蘭画家の小田野直武(おだのなおたけ)※4たちとも親交がありました。彼らのような教養のある人々から支持されたことは、春信にとって幸運だったといえます。
当時の流行『絵暦』を描いて、一躍人気絵師に
宝暦10(1760)年頃から、春信は役者絵を紅摺絵で制作していました。明和年間(1764~72)の初期には、『絵暦(えごよみ)』といって、美しい絵の中に暦の情報を入れて制作する現代のカレンダーのようなもの※5を交換する遊びが、武士や富裕層、文化人の間で流行。俳人でもあった幕府旗本の大久保忠鋸(おくぼただのぶ)らに依頼された春信は、絵暦の作画を引き受けるようになります。この絵暦人気が広がっていくと、それに目をつけた版元が一般大衆向けに商品化。この制作の中心にいたのが春信でした。
古典の物語や和歌を『見立』の手法で描く
今でも、あるものを別のものに置き換えることを『見立(みたて)』といいますが、春信の作品には、この見立絵※6が数多く描かれていました。また、三十六歌仙の歌人や『伊勢物語』などの古典的で雅(みやび)な題材を当世風俗として描いた『やつし』※7という手法を用いた作品も残しています。古典的な物語を織り込ませた絵と、彼の描くユニセックスな人物の画風は、多くの武士階級や文化人に好まれ、独自の世界観を確立していきました。
美人画や恋人たちを抒情感たっぷりに表現
春信は、その後も、代表作として有名な『雪中相合傘』など、繊細な表情の恋人たちの仲睦まじい姿を描いたり、抒情感溢れる雰囲気の美人画で、一世を風靡していきます。春信の画風は、当時の有名絵師であった西村重長 (にしむらしげなが)、奥村政信 (おくむらまさのぶ)、鳥居清満 (とりいきよみつ)などの江戸の浮世絵師や、京都の西川祐信(にしかわすけのぶ)の影響を受けていたといわれます。
春画では奇想天外な発想でユーモラスな世界を描く
彼らから絵の基礎を学んだであろう春信は、遊女をはじめとする吉原の風俗や親子や兄弟など、徐々に市井の人々の生活をテーマにしていきます。また晩年には、遊女らを実名で描いた『絵本青楼美人合(せいろうびじんあわせ)』や、当時町で評判だった水茶屋の鍵屋(かぎや)の看板娘、笠森お仙(かさもりおせん)や、楊枝(ようじ)屋の本柳屋(もとやなぎや)お藤などをモデルにした浮世絵を多数、制作しました。
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また、春画においては、代表作ともいえる『風流艶色真似ゑもん(ふうりゅうえんしょくまねえもん)』を発表。仙薬を飲んで小さくなったまねえもんという男が、好色修行のため、諸国や遊里を旅しながら、男女の秘め事を覗くという奇想天外な発想が話題となりました。こういった春信のユーモアは、現代にも通じる才能を感じさせてくれます。
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疾走した浮世絵の風雲児が巨大コンテンツを生み出した
多彩な世界を描き出した春信が、実際に絵師として活躍したのは、宝暦10(1760)年頃から明和7(1770)年までと、わずか10年あまりだったといわれます。その間に描かれた浮世絵版画は、およそ1000点、出版した版本は16点にも及びました。まさに時代の風雲児であった春信は、錦絵という巨大なコンテンツをこの世に生み出し、明和7年にその生涯を閉じたのでした。
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参考文献:江戸の人気幸代絵師 内藤正人著 幻冬舎新書、世界大百科事典(小学館デジタル)、日本大百科全書(小学館)
アイキャッチ画像 『坐鋪八景』シリーズより「あんとうの夕照」シカゴ美術館より