幕府公認の遊郭として誕生した「吉原遊郭」では、遊女たちは遊郭の中で暮らし、男たちを相手に春を売る商売をしました。「日に千両が舞い落ちる」とも称された不夜城では、遊女だけではなく様々な仕事をする人たちがいたようです。その一部を紹介します!
不寝蕃って何をしていたの?
妓楼(ぎろう)では、客のいる部屋は一晩中行灯(あんどん)をともし、真っ暗にはしませんでした。そのために「不寝蕃(ねずばん)」が、文字通り夜通しで行灯の火を絶やさないように油をさして回ったのです。当然、客と遊女が行為の真っ最中ということもあったでしょう。不寝蕃が眠ることができたのは、夜明けと共に行灯の掃除をしてからだったそうです。
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見世蕃の役割は何?
吉原と言えば、豪華絢爛な花魁道中(おいらんどうちゅう)が有名ですね。美しく着飾ったトップ遊女の太夫が、大勢を従えて練り歩く姿が、浮世絵でもよく描かれています。
箱提灯を持って行列の先頭になって歩いたり、長傘を差しかけたりするのは「見世蕃(みせばん)」の役割でした。また妓楼の入り口には、妓夫台(ぎゆうだい)と呼ばれる台があり、道行く人に声をかけて呼び込む「妓夫(ぎゆう)」と呼ばれる仕事もありました。見世蕃も妓夫とともに妓夫台に座ったそうです。
彼らの仕事は、吉原という夢の世界を作りあげるために欠かせない、裏方のポジションと言えますね。
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おっと、こんな仕事もありました!!
男性の裏方仕事を紹介しましたが、「遣手(やりて)」は女性が担当しました。遊女上がりがなることも多く、客あしらいから床技の伝授など、楼主に代って遊女たちをしつける監督役だったようです。
遊女たちは、時には客と本気の恋に陥ってしまうこともありましたが、その時に間に入るのも遣手の仕事。遊女にとっては、煙たい存在だったことでしょう。
▼詳しくは、こちらの記事から
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参考書籍:『吉原遊郭のすべて』双葉社、『日本大百科全集』小学館、『世界大百科事典』平凡社
アイキャッチ:『吉原遊郭娼家之図』国貞,五渡亭国貞 国立国会デジタルコレクションより