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Culture
2024.06.18

生首、塩漬け死体、謎の漂流物。血なまぐさい江戸の事件簿

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歌舞伎に相撲。舌なめずりしたくなる美味しい料理。華やかな衣装に身を包む女性たち。浮世絵や書物をとおして伝わる江戸の町は、良き日本の姿そのものみたいに見える。華奢で活気的で、情がある。

一方で、当時の記録をひも解くと猥雑で血なまぐさい現実も見えてくる。難病に効くと噂の薬。生首を持ち歩くお騒がせもの。塩漬けにされた死体……思いやりはどこへやら。ほんとうにあった(とされる)江戸の事件を紹介しよう。

「この包を質にいれたいのですが」


青梅のあたりに風呂敷包を持ち歩き「この包を質にいれたいのですが」と尋ねては人を困らせる厄介な男がいた。質にいれたいなら中身を確認しようじゃないか、そう言う人がいても男は頑なに風呂敷を開かない。それもそのはず、風呂敷の中身は人間の生首だった。

中身を見てもいないのにどうして生首と分かるのかといえば、なんてことはない。わざわざ風呂敷を開かなくても分かるほど、あからさまに包まれていたからである。この男、いったいなにをしたかったのか。(「反古のうらがき」より)

主の掛け軸を守った肉羽織


細川幽斎のもとへ浪人の兄弟が仕事を求めてやってきた。二人とも器量は十分とみえる。
「汝らはどのような武芸に長じているか」という問いに兄弟は答えた。「いざという時には人のできないことをしてお役に立ちます」
これは頼もしい。幽斎は二人を召し抱えることにした。

その後、江戸で大火事があった。
炎は細川家の屋敷にも燃え移った。風は強く、火を消すことができない。大事な道具は安全な場所へ移されたが、秘蔵の達磨の掛け軸は屋敷に残されたままだった。
「まだ屋敷は燃えていない。人のできないことをすると言ったな。掛け軸をもってまいれ。だが、火が移っていたなら必ず戻って来なさい」

兄弟は屋敷へと走った。屋根は燃えていたが、掛け軸は無事だった。
急いではずし、くるくると羽織に巻いて外へ持ち出そうとするが、時遅し。屋敷は炎に包まれて兄弟は焼け死んだ。

鎮火後、灰を払った下に兄弟の死体を見つけた幽斎は驚いた。
燃え盛る火のなかで兄は弟の首を切り、喉から内臓を引き出し、空っぽになった弟の体内に羽織に包んだ掛け軸を入れていたのだ。さらに兄は自らの腹を十文字に切り、その口を拡げて、弟の亡骸を腹の中へ押しこんで絶命していた。二人の体が離れないように。抱きつくようにして。

腹から掛け軸をひき出すと、縁は血に染まっていた。
「誠に潔い死にざま。二人こそ武士の鏡である」
幽斎は掛け軸の血をそのまま残すことにした。そして兄弟が達磨の絵を守る様子を描かせ、家の宝としたという。(「金玉ねぢぶくさ」より)

効果絶大。人には言えない妙薬の正体とは


紀州の松平左京大夫は病を抱えていた。主を心配した家臣の菅沼主水は秘かに熊野神社へ「裸足参り」をし、全快を祈ることにした。その折、茶屋で休んでいたところを茶屋の亭主に声をかけられた。倅が病なのだと説明すると、茶屋の亭主は「それなら効果絶大の妙薬を知っているので教えましょう」と申し出た。

話を聞いた主水は喜び勇んで家路につき、さっそく主君に妙薬の話を報告した。
一夜明け、ふたたび城へ上がった主水は布団を三つ四つに重ねたうえに、まな板と包丁と箸を置き、砂鉢に酒を注いで主君が来るのを待った。

さて、主君が来ると主水は布団にあがり、おもむろに脇差を抜き、自分の股肉を削ぎ落した。肉はまな板に並べられ、箸で刺身のように盛りつけられた。主水は刺身にした股肉を酒で洗い、主君に差し上げた。
「これこそ熊野で授かった特効薬です。どうぞ」
主君は股肉を口にしたが、味が悪かったのか吐き出してしまう。
主水は怒り、べつの一切れを差しだした。口直しに酒を飲ませ、股肉を二切れ食べさせることに成功した。病は無事に治ったとのことだ。(「治国寿夜話」より)

罪深い江戸の人びと

月岡芳年「月岡芳年新聞小説插絵」(国立国会図書館デジタルコレクション)

生首を持ち歩いたり、弟を肉羽織にしたり、自分の股肉を削ぎ落して人の口に突っ込んだり。もちろん、目を疑うような猟奇的な事件は平和な日常のほんの一部にすぎない。あるいは、溢れんばかりの情を持ちあわせていたぶん、江戸時代の人びとは現代人よりもずっと過激で熱烈だったかもしれない。

おおらかな性を楽しんでいた庶民のあいだでは、人妻との姦通や婚前交渉は日常的だった、と言われる。とはいえ江戸時代の男女が心行くまま快楽を謳歌していたわけではない。その証拠に、男女の悲惨な事件がしばしば世間を騒がせた。大正11年に出版された宮武外骨による「私刑類纂」には、こんな話が載っている。

川を流れる美女と生首

「私刑類纂」によれば、安政4年の4月、大阪の天保山沖に箱船が漂っていたという。箱の中には女と男が収められ、男のほうは首だけだった。

よく似た話は「鸚鵡籠中記」にも登場する。
朝日重章によるこの日記には、ゴシップや火事天災、家庭不和など町での記録が綴られており、元禄時代の暮らしがよく見える。誰々の家から火が出て向かいの家を燃やしたとか、槌で砕き殺した者がいたとか、酒乱で吐き戻した男の話だとか、日々の天気まで詳しく書かれているのだから、筆まめな男である。
そうした取るに足らない日常の話題にまぎれて、ある美しい宮女が坊主の首と共に伊勢方面から熱海に空穂船に乗って流れついた、という記述を読むことができる。

生首は女の不倫相手だろうか。
不倫の末に恋人の首と川に流すというのは、ちょっとやりすぎな気がしなくもない。

塩漬けにされた死体たち

江戸時代は平和だったかもしれないが、悪人がいなかったわけじゃない。
「私刑類纂」には、塩漬けにされた死体についての記述がある。この時代、死体の塩漬けはしばしば見かける光景だった。もちろん長期保存するのが目的ではない。

塩漬け死体についての記述は「藤岡屋日記」や「甲子夜話」にもあって、大阪では飢饉で苦しむ庶民を助けようとして反乱を起こした男が塩漬けにされている。牢内で亡くなった重罪人も、養父母を殺害した男も、乱心して主を切りつけて死亡させた男の妻も、みんな塩漬けだ。

罪人を塩で処刑するというユニークな発想は、どうやら中国から渡って来たらしい。中国では塩だけでなく干し肉とか塩辛にする刑もあって……でも、これはまたべつの話。話しだすと止まらないので、つづきはまたどこかで。
とにかく、死体の塩漬けは江戸時代の行刑のなかではしばしば見られた。

史実か物語か、はたまた事実か

歌川広重「東海道五十三次 日本橋」(The Metropolitan Museum of Art)

人がいるところには生活がある。そして、生活のあるところには、愛と憎しみが生まれるものだ。史実か物語かはさておいて、ごく個人的には、猥雑で血なまぐさい江戸の情景のほうがずっと人間らしくて「ほんとうの歴史」のように思う。

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【参考図書】
氏家幹人「増補版 大江戸残酷物語」洋泉社、2017年
朝日重章 (著)、塚本学(編)「鸚鵡籠中記(上)(下)」岩波書店、1995年
宮武外骨「私刑類纂」半狂堂、1922年
「浮世草子怪談集」国書刊行会、1994年
松浦静山(著)、中村幸彦、中野三敏(訳)「甲子夜話」平凡社、1977年
鈴木棠三、小池章太郎(編)「藤岡屋日記」三一書房、1991年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。