明けても暮れても世の中には不安がいっぱいだ。昨年のあれはこれで正しかったのだろうか、とか、行く末のそれはどれがいいのだろうか、とか。不安や悩みはいつの時代のいかなる身分の人も抱えているものだ。年を越えても相変わらず人生はつづいていくし、悩んで迷って後悔する一生なら、安心できる拠り所を求めてしまうのが人間というもの。そういうとき「まじない」や「占い」が私たちの支えになってくれる。
星の数ほどもあるまじないのいくつかは、日常のあちこちに散らばり、ほとんど習慣化しているものもある。たとえば正月が来るたびに何気なくしていることの中にも、まじないはあるのだ。
正月のまじない
お屠蘇
お酒が呑めるようになるずっと前から、お屠蘇のことは不思議に思っていた。なぜって、そもそもあまり美味しいものではない(ようにわたしは思う)し、お酒が好きになった今も、舌鼓をうつような代物ではない(ようにわたしは思う)。なぜ、あんなものを飲まなくてはいけないのだろう。あんなもの、というのはいけないな。だってお屠蘇は健康と長寿を祈願した薬酒で、健康的とはいえなかった平安時代の貴族のあいだでは大いに歓迎されていたのだから。
ものの本によれば、その原型は後漢時代に活躍した医師・華陀によって考案されたもので、日本には平安初期に伝わり、やがて民間へと広まった。中国は唐の時代、人びとは大晦日の夜に八種類の生薬の入った紅色の布袋を井戸に吊るし、元旦に引き上げて、袋のまま酒に浸した。これを杯に注ぎ、神に捧げる。東の方角を向いて「一人飲めば一家無疫、一家飲めば一里無疫」。味はともかく、ありがたい薬酒なのである。
七草粥
七草粥を食べると、お正月の雰囲気が遠のいたなぁと感じる。一年のうちでこの時期にしか食べない七草粥は、だから特別な料理なのだけど、と同時に日常へもどるための食事でもある。
もともとは、正月の最初の子の日に小松引きや若菜摘みの習俗が中国の行事と合わさり、生まれた行事なのだという。室町時代から江戸時代にかけて七種類の若菜を粥に入れて食べる七草粥の風習が形を整えて、一月七日に行われるようになった。お粥になったのは室町時代からで、平安時代は羹(熱い汁)を食べていたらしい。
七草とはその名の通り七種の野草のこと。新年に食べるとその強い生命力にあやかり長生きできるとされてきた。たかが植物、と侮れないのは植物の薬効や長寿の効果には魔除けや厄払いの役割もあるとされているからだ。植物に宿る神秘性を拠り所にするのはなにも正月だけに限ったことではない。桃(ひな祭り)、菖蒲(端午の節句)、笹竹(七夕)と、日本人は一年を通して植物に頼りきりなのである。
正月遊びのまじない
羽子板と独楽まわし
今年の正月は道で羽子板をする子どもを見なかった。凧をあげて独楽をまわしている子どもがまだいるのかどうか知らないけれど、童謡『お正月』では「お正月には 凧あげてこまをまわして 遊びましょう」と歌われているので、やっぱり羽子板も独楽もお正月に遊ぶのが一番しっくりくるし、さらに言えば、お正月にこそ遊んでおいたほうがいい理由がある。
羽子板は中世には「胡鬼板」、羽付きは「胡鬼子勝負」と呼ばれていた。正月ならではのこの遊戯は、かつては胡鬼の子が子どもにとり憑かないようにとするための遊びで、あの不本意な、額に墨を塗られる行為は、鬼がとりついたことを示すものだった。さらに言えば、羽根が飛んでいく様が蚊を食べる赤とんぼに似ていることから、子どもが蚊に刺されないためのまじないでもあったらしい。
胡鬼というのは、かつて中国が遠くに見た憧憬の国、胡国の鬼のことで、疫病を連れてくると考えられていた。羽根は、恐るべき胡鬼の子を表しているのだ。万が一、人にとり憑くと病に臥し、最悪の場合には死をもたらすという。独楽まわしにもおなじように、鬼祓いの意味が込められている。独楽に鞭打つことで、胡魔を祓うのである。
鬼を食う人間たち
二月の節分を待たなくたって、鬼は正月から嫌われ者で、大人たちは食事で、子どもたちは遊びのなかでせっせと厄払いに余念がない。誰だって正月から風邪をひきたくないし、できれば一年間を無事に乗り切りたい。なので、悪い鬼は食ってしまおうというのは、あながち悪い考えではないのかもしれない。
安倍晴明の『簠簋内伝(ほきないでん)』に、こんな一文がある。
“正月一日の紅白鏡餅は巨旦(こたん)の骨肉、三月三日の蓬莱(よもぎ)草餅は巨旦の皮膚、五月五日の菖蒲結粽(ちまき)は巨旦の鬢髪、七月七日の小麦素麺は巨旦の継、九月九日の黄菊酒水は巨旦の血脈”
繰り返し登場する「巨旦」とは、中世でもっとも恐れられた鬼の名前。この文章をそのまま信じるなら、わたしたちが一年の節季で食べているものは、鬼の体の一部ということになる。
なんとなく、正月には餅を食べないといけないような気がするし、節分には豆を撒いておこうかなという気持ちになるし、よもぎ餅を見かけたら食べたくなるし、店頭にちまきが並んでいる季節には、一つ二つ買って帰ろうかなという気分にさせられるのは、けっしてわたしの食い意地がはっているためではなくて、日本人の本性に応える手段として(というのはかなり大げさな言いかただけれど)、ほとんど無意識に手が伸びてしまうというわけなのだ。
無意識に鬼を食べようとしているのかどうかはさておき、とにもかくにも日本人は古来から、食べものや遊びにあやかりながら鬼に立ち向かってきた。そういう意味でも、お正月は鬼を倒すための絶好の機会である。
知らず知らずにしている「おまじない」
占いやまじないというのは、昔からあった人類の古い文化だ。人が過去や未来に思いを馳せるようになり、人の世界と人ではない世界を想像するようになったときから、きっとわたしたちの身近にあった。
とはいえ未来、過去、あるいは見えない世界のことを、定められた方法によって知ることができるまじないも、できるのは見ることだけで、どうにかできるわけじゃない。それでも悪い状態だったなら、それを変えるための方法が必要になる。そうしたとき、呪術が役にたつ。
習慣だから、と何気なく繰り返している行為そのものが呪術的だとしたら、それはとても怖いことだ。ここで紹介した習慣は「善い」おまじないだからよいけれど、知らず知らずのうちに「悪い」おまじないをしていることもあるかもしれない。そういう意味では日本のお正月の伝統は、かなり呪術的ともいえる。なので、お正月だからといって食べたり飲んだりばかりしていないで、あまり美味しくないお屠蘇も、念のために飲んでおいたほうがいいかもしれない。
吉凶を占う鬼の話
祓われてばかり、食われてばかりではあまりにも鬼が気の毒なので、世の中には良い鬼がいるということも少しだけ話しておこう。人が神の言葉を受けとってまじないや占いをするように、鬼だって占いをすることがある。
明・銭希言の『獪園(かいえん)』には、鬼の助言で占い師になる話がある。
家族を亡くして悲しみのあまり両眼を失ってしまった男が死のうとしていたところ、うしろから声が聞こえる。振りむいたが姿はなく、声だけが聞こえる。
「わたしは人間の吉凶禍福を予知することができる。わたしの言う通り占いをしなさい。わたしには毎日ささやかな酒食を供えればよい」
男は声の通りに占いの店を開き、声は男の耳のうしろに立って占いをしたという。
悪い鬼は美味しくいただき、良い鬼は家に招き入れる。そうすれば、今年一年、良いことが起こるかもしれない。まずは、来る二月にむやみに豆を撒いたりしないように気をつけよう。
【参考文献】
安倍晴明『三國相傳陰陽輨轄簠簋内傳金烏玉兎集 巻上 新版校正』、1919年(国立国会図書館デジタルコレクション)
『別冊太陽 No.73 占いとまじない』1991年、平凡社
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