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Culture
2025.05.14

“消された神”牛頭天王とは? アマビエより古い疫病退散の神のナゾ

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牛頭天王(ごずてんのう)をご存知だろうか。
コロナ禍以降、にわかに人気を集めたアマビエ。そんな流行神よりも古くから強力な疫病退散の力を発揮していた神様がいる。それが、牛頭天王である。
強そうな名前だ。アマビエよりも、ずっと効きそうな気がする。しかしこの神様、絶望的に知名度が低い。それもそのはず、牛頭天王は消されてしまった神様なのだ。

祇園祭のはじまりに関係し、疫病退散の神でありながら疫鬼でもある牛頭天王。矛盾を抱えたこの神様は、いったいどのような存在なのだろう? なぜ消えてしまったのだろう?

アマビエよりも古い? 牛頭天王とは

「古板図録」(国立国会図書館デジタルコレクション)

古来、疫病退散の強力な神として知られていたのはアマビエではなく、牛頭天王だった。とりわけ江戸時代の牛頭天王への信仰は絶大で、当時の浮世絵には牛頭天王の一団が疫神や厄神と戦う合戦図がおおく描かれている。牛頭天王は庶民のあいだで疫病封じの定番のお札として流通していたのである。

牛頭天王の成り立ちについてこまかに説くと、長くて複雑で、つまるところ退屈なので簡単にまとめてしまうと、その前身は中国民間信仰の五道神(死者の霊〈鬼〉を六道のどこに転生するかを決める神)が日本に伝わったものとされ、のちに牛頭天王と呼ばれるようになった、という説がある。中国では、疫病などの災いは疫鬼によってもたらされると信じられており、牛頭天王もまた、疫病を思いのまま起こすと考えられていたようだ。

赤い角に赤色の肌。見た目の恐ろしさから近寄る者のいない、異形の王。疫病をひろめる行役神である牛頭天王が疫病退散の神になったのはどうしてだろう? じつは、日本における疫病と祭りの歴史が関係している。

疫病を起こす神と鎮める神

「麻疹元服図」(東京都立図書館)

そもそも、日本の祭りは農耕社会における季節行事と切り離せない。春には田起こし、田植えの時期には五穀豊穣を願い、秋の収穫が終われば、神に感謝する。今も昔も、夏のころは疫病が流行りやすかったから、初夏には疫病を封じこめる祈願の夏祭りが行われた。その代表が、日本三大祭りの一つでもあり、京都最大の祭りでもある祇園祭だ。

かつて疫病神というのは、おおむね人の姿であらわれ、おそろしい災厄をもたらすと信じられていたらしい。夏祭りは、数年ごとに襲って来る疫病を牛頭天王の仕業と考えた人びとが、この厄介な疫病神をなんとか鎮め、退散を願って生まれた。そして牛頭天王は京都祇園の八坂神社の祭神でもある。今となっては夏のイベントとしてなくてはならない夏祭りは、こうして牛頭天王とともにはじまったのである。

悪い神は良い神でもある

歌川芳藤「痲疹まじなひの弁」(東京都立図書館)

日本の祭りのならわしでは、祭りの終わりに神を送り出すにしても、いったんはこれを迎えて、まつらなくてはいけない。つまり疫病神をこらしめるためには、一度、もてなさなくてはならないのである。
とはいえ、厄介なことばかりでもない。おそろしい災厄を免れることは、かえってすばらしい福徳に恵まれることでもあるからだ。おそろしい災厄をもたらすものは、あらたかな神でもある。「厄神の宿(正月行事のひとつ)」のように、追い返すどころか、わざわざ家で丁重にもてなしたうえで、改めて送りだすという行事もある。

厄難から福運を得る。古来の民間信仰のなかでは、疫病神から福神への転換が自然なかたちでおこなわれていた。こうして「どうか静かにしていてください」と崇められていた牛頭天王が、いつしか除疫、防疫の神として二面性を持つようになったと考えられる。

忘れられた牛頭天王

とはいえ、牛頭天王と聞いて「あの神様のことですね」となる人は、あまりいないだろう。かつては広くあまねく信仰されていた人気の神様も、今となっては忘れられた神様になってしまった。

牛頭天王が忘れられたのは、(こういう言いかたは神様に対して失礼だけれど)当人にも問題がある、ように思う。というのも、牛頭天王は日本以外の地域の信仰との関連がいまいち判然としない、出自不明、正体不明、謎に包まれた神様なのだ。
祗園祭の守護神といわれるが、それが何にもとづくのかよく分かっていない。のちにスサノオと入れ替わったとされるが、これもよく分からない。牛頭天王のもとの姿がなにかも分かっていない。生まれも成り立ちも、分からないことばかりの神様なのである。

ミステリアスなキャラクターは総じて魅力的だが、神様がミステリアスであっては困る。明治時代の廃仏毀釈の嵐のなかで牛頭天王が消されてしまった理由のひとつは、これが原因であると考えてよいだろう。

※【廃仏毀釈】神仏分離令の布告を契機に明治初年、日本各地で神社に置かれていた仏像や仏具類の破却、寺院そのものの破却が行われた。

生きつづける牛頭天王

悪疫の神であり、悪疫を撒き散らす神であり、しかし、信仰すれば悪疫から守ってくれる、牛頭天王。否定され、省みられなくなった牛頭天王は、それでも、難を乗り越えた寺社によって、辛うじてだか、今日まで守られてきた。信仰の証となる痕跡は、今でも各地に見ることができる。

神奈川県の横浜市にある神明宮に、こんな話が残されている。
境内には、かつて上無川という川が流れており、川上から牛頭天王の御神体が流れてきたという。見つけた村人が拾い上げたが、祟りを畏れたのか、また川へ流してしまった。するとその者の一家が目の病を患ったとか。

ほかにも、牛頭天王には八人の王子がおり、これが東京の八王子市の地名の由来になったと言われている。その名を聞くことがなくなっても、牛頭天王は日本各地に、たしかに息づいているのだ。

おわりに

歌川芳藤 「痘瘡退治之図」(東京都立図書館)

疫病の流行は人心に不安をつのらせて、流行の神仏を生みだしてきた。アマビエも、そうして、ふと思い出された神様だったかもしれない。
記録によれば、江戸末期にはやった恐ろしい死の病コレラは九州の長崎からはやりだして、あっというまに日本全国にひろまったとある。この折、「流行病に付御触書」というものが出されており、ここにしっかりと牛頭天王の名前を読むことができる。

もしかすると、いつかまた牛頭天王の名を聞く機会があるかもしれない。とはいえ疫病神、二度と会いたくない相手ではある。そのときには、牛頭天王の名のもとに疫病をしっかりと退けてもらいたい。

【参考文献】
大島建彦「疫神と福神」三弥井書店、2008年
長井博「牛頭天王と蘇民将来伝説の真相」文芸社、2011年

書いた人

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。