今注目の若手歌舞伎俳優・尾上右近さんことケンケンと山種美術館で開催中の「上村松園と美人画の世界」展に行ってきました。女形を演じることもある歌舞伎俳優にとって、上村松園の美人画はお手本のような存在です。ケンケンはどのような視点で松園の絵を見るのでしょう…。館長の山崎妙子さんが上村松園の絵に合わせた優しい緑の着物で迎えてくれ、会場を案内してくださいました。
館長:これは「牡丹雪」。雪の部分は胡粉(ごふん)というカキの貝殻からつくった白い粉で描いてます。盛り上がっていてポロッと落ちてしまいそうですが、松園は膠(にかわ)の分量など配合がうまいので崩れないんです。膠の配分は画家によって違っていて企業秘密らしいです。バックは胡粉に墨を混ぜた具墨(ぐずみ)によってグレーにしています。しんしんと冷えている感じの空を感じますね。
右近:その中を急いで小走りでかける、動きがあっていいですね。
館長:ええ、ちょっと歌舞伎の中のワンシーンみたいで。
右近:そうですね。歌舞伎の舞台には、衣裳や形なども松園の絵を参考にしているものもあります。
右近:僕は、この耳たぶが好きなんですよね。
館長:ああ、右近さんらしいですね。耳たぶや指先がちょっと赤みを帯びていて…さすがそこまで見ていらしたんですね。
右近:歌舞伎の古典の演目ではあんまりないですが、ちょっと新しい作品だったりすると、僕も耳たぶを少し赤くしたりするんです。そうすると顔全体がなんとなく明るくなるのと、優しくなる。歌舞伎役者は男ですから、そういうところでやわらか味を持たせる工夫をします。
鼈甲の簪の向こう側に、髪の毛が透けて見える
館長:これも指先が淡いピンク色です。
右近:昔の人は、それこそ僕の曾祖父の六代目尾上菊五郎は爪もちょっと赤くしていました。今、女形でなかなかやる人はいませんが、こういう細部に意外とヒントがある。生え際なんかも1本1本ちゃんと描かれていますね、よく見たときと、パッと見たときとの印象の違いというのをすごく感じます。
館長:よく見ると、鼈甲(べっこう)の髪飾りの向こう側に髪の毛が透けています。そういう細かいところは女性の画家ならではの技ですね。
右近:毛の流れもすごく素敵ですよね。この髷のトップの部分の毛の流れもよく描かれて、ちょっと艶を持っているような感じで…。
館長:なかなかこうは描けませんね。
右近:僕らが自分でやる仕事は顔のお化粧ぐらいで、あとはそれぞれの専門家に任せます。床山さんはこういう絵から髪型を再現してくださっているわけで、あらためてありがたいなと思うことが多いですね。
館長:松園は、東京や京都の博物館とか、古いお宅で売り立ての機会があったりすると、必ず出かけて行って、縮図帖(スケッチ帖)に写生して、こんなときはこんな髪型でこんな飾りを付けるとか、そういうことを間違えないよう、いろいろと書き留めているんです。古い絵から学んだり、そういうものをスケッチした縮図帖もたくさん残っています。同時代というよりは、江戸時代から明治にかけての女性の髪飾りや髪型、着物とか、いわゆる有職故実を間違えないようにと気をつかっていたようです。
松園の表具へのこだわりに驚き!
館長:それから、松園は絵にお着物を着せる感覚で、表具にも松園自身の意見を言って、とても素敵な表装に仕上げています。今でもその裂が京都の表具屋さんに残っていたりするんですけれども、松園自身が表具屋さんに指示を出すこともあったそうです。
右近:すごい、そこまでお考えになっているんですね。図録なんかで見ると絵の部分しか見えないですが、この会場では、表具との兼ね合いも見られて嬉しいです。一般的に、表具は基本的に画家が自分で選ぶというわけじゃないんですよね。
館長:そうですね。ほとんどの場合、そこまでなさる画家はあんまりいないですからね。みんな可愛らしい裂でしょう?
右近:そうですね、色合いも、この絵になるべく添うということで考えたんじゃないかなという印象です。
館長:今回の展示は、表具も楽しみながら絵を見ていただくという、また新たな見方をしていただければと思っているんです。
館長:これは「新蛍」というタイトルです。今のホテルオークラの創始者で大倉家の大倉男爵が後援されて、ローマに日本美術の展覧会を持って行ったんですね。わざわざ宮大工も連れて行き、床の間までつくったんです。そのときに展示された作品のひとつで、松園自身はローマに行かなかったんですけれども、その展覧会のために描かれた作品です。とても気合が入った作品で、ちょっと近くで見ていただくと、団扇のところには金泥を使っているでしょう。
右近:あ、ほんとだ。でも、金が全然気にならないのが不思議ですね。パッと目を引いちゃうような感じがなくて、品がある。
館長:透けた感じで、雰囲気があります。これも、生え際とか、眉毛もすごく繊細です。
右近:そうですね、眉毛。歌舞伎の顔でなかなかこういうふうに出来ないんですよ…。
館長:お化粧ってご自分でなさるんですか。
右近:ええ。自分でやるので、こういうときには注意して拝見するようにしているんですが、なかなか…。時間もないので、わりとテキパキとしなきゃいけなくて難しいところなんです。
館長:「夕べ」の帯のところに金が使われています。松園は御簾越しの女性というのをけっこう描いているんです。御簾越しの部分が、非常に凝っています。
右近:涼しげですもんね。構図もすごいなぁ。御簾越しに女性がいるというところで、夏の空気が伝わってくるような感じですね。
館長:眉毛や髪型も、結婚している女性と若いお嬢さんで異なる場合もありましたから、そういったものを描き分けています。この表具のいちばん上の部分の裂が今も京都の表具屋に残っていて、それを見せていただいてびっくりしたんです。とても高価な裂で、1軒の表具屋さんでは買えないから4軒ぐらいで一緒になって松園のために裂を買って使ったそうです。
右近:すごい!本当の贅沢ってそういうところなんだなと思いますね。
館長:松園は喜多川歌麿の作品のポーズなど江戸時代の浮世絵もかなり勉強して描いたと思うんですけども、基本的にはすごく凛とした品のいい女性というのを描こうとしていたので、浮世絵をベースにしつつも松園らしい作品に仕上がっているんです。
館長:この子もすごく可愛い。視線の先に蛍がいます。
右近:可愛いですね。ほわっとして。落ち着きがあって、美しさのなかに動きがある絵が多いですよね。瞬間を切り取ったような。
館長:はい、ちょっとストップモーションみたいなね。そういう感じの絵が松園の場合は多いですね。
右近:絞りが好きなのかな。なんか鹿の子、絞りが。
館長:ええ。これもやっぱり蚊帳から向こう側の袖が透けて見えるし、こういうスタイルは実は歌麿の浮世絵にほとんど同じようなものがあるんですけれども、でも全然違う感じでしょう。
右近:違いますよね。
館長:ちょっと振り返って、誰かいるという。
右近:松園はおいくつまでご存命だったのですか。
館長:74歳です。女性として初の文化勲章を受賞しています。
館長:この表具の裂も非常に貴重な古い辻が花ですね。たぶんお着物から取ったんじゃないかと。
右近:そんな感じですね。図録ではこの表具は見られないから、これは是非、美術館で見ていただきたいですね。
松園の絵のモデルは?
館長:こちらは「つれづれ」というタイトルがついています。とても品がいいでしょう。
右近:そうですね。年齢がちょっと上なのかな。
館長:松園は、意外とモデルさんは使わずに、自分でちょっと手の形をつくってみたりして描いています。多少はモデルさんを使っていますが、構図を決めるまでにものすごい時間かけて、1回構図がこうと決まっちゃうと、何点か同じ構図で描いているものもあります。だから一分の隙もないというか…。構図の決め方がすごいんです。
右近:着物の印象は、青系が多いですね。
館長:そうですね。当館の所蔵ではブルーとあと白緑(びゃくろく)の着物が多いですね。白緑というのは緑青、マラカイトというものの粒子の細かいものなんです。
右近:この衿の後ろについているこれはなんて言ったかな。
館長:襟袈裟(えりげさ)とか…。
右近:あ、襟袈裟って言うんですね。油がつくのを防ぐもの。上方の文化なんですよ。衿もちょっと返してますね。
館長:ああ、そうなんですね。可愛いですよね、ピンクとグリーンとブルーのパステルカラーで。顔立ちもすごく可愛い。
右近:そうですね。髪型も。
館長:これは「庭の雪」というタイトルですが、雪はちょっとしか描いてないんですけども。
右近:それでも十分雪を感じさせますね、すごいな。
館長:最晩年とはいえ、ほんとに力のこもった作品です。顔立ちとしては当館が所蔵しているものでもナンバーワンかツーに入るぐらい可愛らしい。
右近:ええ。なんかこう、上方の人の顔というのはやはりちょっと違うイメージなのかな、というような印象を受けますね。
館長:なるほど。そうかもしれないですね。さすが右近さんならではの発見です。
右近:いや、わからないですけど(笑)、なんとなく。
館長:それに衿袈裟をご存知とはびっくりしました。
右近:ええ、実際使うんです。髪型も関西の髷の形なんですよね。
館長:はい、お染髷といいます。鹿の子絞りの帯も可愛いですね。
右近:そうですね。鹿の子はすごく可愛い。
館長:こちらは、ホトトギス自体はいませんが、ホトトギスの鳴き声を聴いているという、「杜鵑を聴く」という洒落たタイトル。
右近:具体的にホトトギスを描いてしまわずに、感じさせるということにやっぱり魅力を感じますよね。
館長:こちらは私の祖父が、松園が東京に来るたびに車からお宿からお食事からいつも全部ご用意してもてなしていたのに対するお礼状です。私の祖母が松園さんの絵が大好きだったので、たくさん収集していたんです。
右近:ああ、そうなんですね。丁寧な方だったんですね。
館長:こういった小品なども可愛らしい。さらっと描いた絵もうまいなと思いますね。
日本画の引き算の美学に、その魅力にあらためて気付かされましたーーケンケン
右近:日本の風景、時代の女性というのを絵で拝見して、本当に落ち着いた気持ちになりました。そんな中で雪だったりとか、四季折々の景色というものを同時に感じられます。
日本画の引き算の美学というのか、背景を描かないけれど、背景を描かない中に背景の色を感じる。白でもなく、グレーでもない、この落ち着いたオフホワイトの落ち着きはすごいなと思いました。それによって被写体が浮かび上がるという効果。で、他の配色を際立たせるオフホワイトの魅力というものにあらためて気付かされたというのがあります。
そして今回、松園以外にも、鏑木清方や伊東深水、小倉遊亀、片岡球子など、いろんな画家の美人画を拝見しましたが、時代の変化というのもすごく感じて、日本人が足し算という思考に変わっていったということも、美人画を通じて感じることが出来ました。
でも、そんな中でも復古大和ということをやっている人たちもいて、新旧二派に分かれている。古いものを否定して、新しいものが生まれ、そして新しいものを否定して、また古いものに戻ったり。いろんな時代の画家の思考がいろいろ交錯して、新たな現代の美術が生まれていくという、その循環が面白いということもすごく感じました。
しかし、これだけ上村松園さんの絵をまとめて拝見できるということも、なかなかない機会です。しかも、表具のご説明をしていただいて、初めてしっかりと表具というものを意識しました。何気に違和感なく絵に目が行くという存在が表具の役割でもあると思いつつも、松園さんご本人が選んでいるという、そのこだわりの熱量というのが、やはり作品の魅力にそのまま通じているんだと思うし、よく見るとこだわっているということが伝わる。「よく見る」ということがやはりすごく重要なことで、細部にこだわるかこだわらないかで印象は大きく違ってくるということもあらためて感じました。
「神は細部に宿る」と言いますが、どっちでもいいようなことかもしれないけど、そうじゃなくて、丁寧にこだわるということを一つひとつ大事にする。それが大きな印象を変えることにもなるし、評価も大きく変わるということもあるんだろうなということも感じました。
館長:歌舞伎の道を極めていらっしゃる過程で、他のジャンルの、日本画の画家たちの絵をご覧になることを通じて、やはり極めている人というのは、どんなジャンルでもみんな通じていると思います。そういった意味でも、右近さんはすごく勉強されているので、私も大変、右近さんを尊敬しています。
右近:いやいや、恐れ入ります。
館長:これからのご活躍がますます楽しみになっています。
右近:ありがとうございます。いつもこうして快く環境をご提供くださるおかげで、僕もゆっくり触れる時間をいただけているので、それを活かせるよう仕事が出来たらいいなと常々思っております。頑張ります!
欲しくなる、ミュージアムグッズ!
ケンケンが胸につけたのは、上村松園「庭の雪」のピンバッジ770円(税込)。
同じく上村松園「庭の雪」のクリアファイル385円(税込)もおすすめ。
●山種美術館
「上村松園と美人画の世界」展
2020年 開催中〜3月1日(日)※会期中、一部展示替えあり
開館時間:10時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日《ただし、1月13日(月)、2月24日(月)は開館。1月14日(火)、2月25日(火)は休館。》
入館料:一般1,200円
尾上右近(おのえうこん)
歌舞伎俳優。1992年生まれ。江戸浄瑠璃清元節宗家・七代目清元延寿太夫の次男として生まれる。兄は清元節三味線方の清元斎寿。曾祖父は六代目尾上菊五郎。母方の祖父は鶴田浩二。2000年4月、本名・岡村研佑(けんすけ)の名で、歌舞伎座公演「舞鶴雪月花」松虫で初舞台を踏み、名子役として大活躍。05年に二代目尾上右近を襲名。舞踊の腕も群を抜く存在。また、役者を続けながらも清元のプロとして、父親の前名である栄寿太夫の七代目を襲名し、活躍している。2020年3月6日(金)より、舞台『この声をきみに』に出演。2020年5月22日(金)全国ロードショー『燃えよ剣』に出演。【公式Twitter】 【公式Instagram】 【公式ブログ】
撮影/佐藤早苗