テレビドラマシリーズにもなった大人気漫画『JINー仁ー』(村山もとか・集英社)。現代から幕末へタイムスリップした主人公・医師の南方 仁(みなかた じん)が、現代の医学知識をもとに病に苦しむ江戸の人々を救おうと奮闘する物語です。テレビドラマでは、綾瀬はるかさん演じる橘 咲(たちばな さき)の愛らしさにも注目が集まりました。
この作品には、江戸時代の人々を苦しめた伝染病の様子が描かれています。
日本史に見るコレラ
作品中に出てきた「虎狼痢(コロリ)」は、現在の医学分類では「コレラ」に当たります。
文政5(1822)年8月に初めて日本にもたらされたコレラは、安政5(1858)年、文久2(1862)年、明治12(1879)年、明治19(1886)年と、数回にわたって大流行しました。
潜伏期間は1日前後(5日程度の場合も)、時に数時間という速度で発症し、激しい下痢と嘔吐の症状が見られる伝染病です。数日で死に至るケースもあったため、「3日コロリ」などと呼ばれ、非常に恐れられました。正確な数字は不明ですが、毎回数万人の死者が出たともいわれています。
日本初のコレラ医学書
日本でコレラが初めて確認された文政5(1822)年8月、実はこの年のはじめに、来日したオランダ人によって警鐘が鳴らされていました。
長崎の出島に住んでいたオランダ商館長ブロムホフが江戸にやってきた際、海外でコレラが流行しているとの情報を蘭学者の桂川 甫賢(かつらがわ ほけん)と宇田川 玄真(うだがわ げんしん)に伝えたのです。そして、文政3(1820)年にジャワ島のバタビアでコレラが流行したときにオランダ人医師が書き留めていた記録を桂川に与えました。
コレラの説明と治療法が書かれていたこの本を、宇田川の養子・榕庵(ようあん)が1日だけという約束で借りて、徹夜で翻訳し、日本初のコレラ医学書としてまとめました。
パンデミックに巻き込まれなかった日本
1829~1852年(文政12~嘉永5年)、コレラが世界的な流行を見せました。しかし、約23年にわたって世界を覆いつくしたこの伝染に、なぜか日本は巻き込まれなかったのです。
その理由は、鎖国(現在では、完全なる「鎖国」は存在しなかった、とされますが)状態であったこと。コレラは空気感染はしないのですが、生水や生ものを介して伝染します。それらを口から摂取することで感染が成立するため、菌が上陸しなかった=感染者と接触しなかったことが、重大な事態を避けられた要因となったのです。
大流行の終焉
明治17(1884)年、結核菌の発見でも知られるドイツのコッホによって、コレラがコレラ菌による伝染病であることが突き止められ、その後、パンデミックなどの大流行が見られることはなくなりました。
ペニシリンをはじめとした治療薬が次々と発見され、原因や対処法が判明してきた現在でも、コレラは全滅したわけではありません。
コレラに限らず、日頃から体調に気を付けて、ストレス発散しながら、いろいろな困難を乗り切っていきたいですね。
アイキャッチ画像:『三日ころり愛哀死々』国立国会図書館デジタルコレクションより