「お前を蠟人形にしてやろうか!」
このフレーズでお馴染みの「悪魔」といえば、デーモン閣下。悪魔らしく外見やキャラクターの面で異彩を放ち、伝説のロックバンド・聖飢魔Ⅱにてボーカルを務める彼は、この世界でも多くのファンを獲得していることで知られています。閣下のファンは一般的に「信者」と呼ばれるので、彼らはさながら「悪魔崇拝者」といったところでしょうか。
さて、なぜ唐突にデーモン閣下の話をしたかといえば、彼の「悪魔」という属性や、そのファンたちの姿が今回のお題と関連するからに他なりません。
現在放送中の大河ドラマ『麒麟がくる』でも大活躍中の明智光秀は、とある人物から「アイツはトンデモねーやつだ。なんといっても悪魔のお友達だし」と、「悪魔崇拝者」呼ばわりされているのです。
かねてから温厚なイメージで知られ、ドラマでもその一端をのぞかせる光秀。そんな彼をけちょんけちょんに評したのは誰なのか。一体なぜそう言われることになったのか。はたまた光秀は閣下のファンだったのか!?
という内容を考えていきたいと思います。
光秀をdisったのは宣教師・ルイスフロイス
まず、光秀に数々の低評価を下した人物の正体をお教えしましょう。その人物とは、ポルトガル出身でキリスト教の布教を行うために日本を訪れていた宣教師・ルイスフロイスです。
彼は戦国時代の日本で布教を試みたので、織田信長をはじめとする戦国の要人たちと次々に面会しました。加えて、彼には優れた文才があったため、日本におけるキリスト教布教の様子をまとめた史料『日本史』を執筆したことでも知られています。
『日本史』は、
・史料が少ない日本の戦国時代を扱っているにもかかわらず、膨大な分量が残されていること
・二次史料(出来事が起こってすぐ書いた作品ではない)だが事実記録への意識が高いこと
・西洋的な価値観をもつフロイスの優れた観察眼が発揮されていること
などから同時代研究には欠かせない史料として重宝され、彼の著作は現代に至るまで読み継がれてきました。
そして、光秀を「悪魔のお友達」呼ばわりしたのも、この作品内でのこと。したがって、誰が書いたか分からないような便所の落書きで批判されたわけではなく、史料的な価値が高い文書で指摘されている事実には注目するべきでしょう。
もはやイジメ? としか思えない光秀評
ではさっそく、フロイスによる光秀評を見ていきましょう。なお、彼のことに多く触れているのは、中央公論新社から刊行されている『完訳フロイス日本史』でいえば、第5巻の「豊臣秀吉編」にあたる部分です。
「アイツはよそ者だったから、織田家内ではほぼ全員から嫌われてましたね。でも、信長からはなんだか愛されてたから、自分への愛を保ちながらそれをさらに加速させるなんとも言えない器用さがありました。加えて裏切りや密会が大好きで、残酷なだけじゃなく独りよがりなところも。ただ、それでいてウソをつくのが上手く、忍耐力も凄かったので、策を任せれば達人でしたね」
こ、これはヒドイ……。一見褒められている部分もありますが、基本的に悪口のオンパレードです。冒頭の部分なんて、私が言われたら立ち直れない気がします。
「光秀は誰よりも信長のご機嫌取りが上手で、そのための準備は徹底していました。彼の希望や嗜好には絶対に逆らわないよう心掛け、たとえウソでも流す涙は真実のものに見えるほどです。その天才的なウソっぱちぶりからついに信長を騙しきった結果、とんでもない権力や領地を与えられたんです」
読み込んでいってもやっぱりヒドイ。「イジメ、ダメ、ゼッタイ」と言いたくなります。そして、肝心の「悪魔崇拝」に関する記述がこちら。
「光秀は悪魔とその偶像のたいへんな友達で、私たちに対しては本当に冷たいヤツでした。もはや悪意さえ抱いているといったほどで、デウス(フロイスたちにとっての「神」)について何の愛情も抱いていないことがハッキリしました」
このように、フロイスは彼を「悪魔のお友達」と評しているのです。
キリスト教に対する評価に腹を立てた?
思わず同情してしまいたくなるような光秀への厳しい評価。しかし、その裏には「光秀のキリスト教に対する冷淡な姿勢」が関係していると言われます。
フロイスは宣教師という立場にいましたから、日本にキリスト教を布教することが彼の「仕事」だったわけです。少し語弊はありますが、分かりやすく言えば「営業マン」にあたります。そのため、彼はキリスト教に好意的な人物は高く評価し、その逆は低く評価するという癖がありました。こうした彼の考え方は『日本史』の中にも反映されていると思われ、キリスト教への態度によって人物を評価している様子が確認できます。キリシタン大名の評価がかなり高いことも有名。
光秀がキリスト教をハッキリと弾圧していた証拠は残されていませんが、フロイスの「冷たい」という書き方を踏まえれば、少なくともあまり関心がなかったことは推測できるでしょう。また、フロイスが言うところの「悪魔」とは光秀が信仰していた仏教の、「その偶像」とは仏像のことを指しているとされます。つまり、フロイスの言葉を要約すると「アイツは熱心な仏教徒で、キリスト教には全然興味なしって感じ! 気に入らないな」と言いたかったんだと思います。光秀は残念ながら閣下のファンではなかったことになりますね……。
しかし、他人の信仰している宗教を「悪魔」呼ばわりとは、フロイスこそとんでもない奴です。実際、当時の信者たちは自分たち以外の宗教を基本的に「邪教」だと思っていた節があるので、それが記録に結びつくことになります。個人的には、フロイスの発想こそ「悪魔的」だと思うのですが。
ちなみに、もう一つ注目しておきたい点として、フロイスが光秀評を書き上げたのは彼の死後であるということも挙げられます。これは、光秀が「世紀の裏切り者」として処断されたのちに書かれたことを意味するので、彼をあえて低く評価する十分な理由になるものです。
フロイスの評価も一理アリ
フロイスの光秀評に明らかな偏見が混じっているのは、おそらく間違いないでしょう。そのため、研究者の間でも「フロイスの光秀評はほとんど参考にならない」という声があります。
しかし、一方で「偏りがあるのは間違いないが、それを考慮して読めば彼を知るのに繋がる」という意見もあるのです。そして、私としても「多少は参考になる」と考えています。
なぜなら、フロイスの記述は「俺たちを軽んじやがって!」と感情に身を任せて書いたであろう極端な部分を取り除けば、当時の光秀評としてかなり妥当なものになると思うからです。例えば、「光秀はよそ者で、ほとんど全員に嫌われていた」という部分。ここを「ほとんど全員」から「多くの人」としてみましょう。すると、「よそ者の光秀を嫌う人が多かった」という内容が見えてきます。仮にフロイスの記述がこうであったとすれば、私としてはかなり妥当な評価だと考えます。光秀は新参者にもかかわらず古くからの家臣を差し置いて破竹の出世を遂げたため、家中で大きな嫉妬を買っていたとしても全く不思議はないからです。
他にも、「ウソが大好きで、策を講じさせれば天下一品」という部分は、「ウソが大好き」を「よくウソをつく」と穏やかな表現に変えてみましょう。ウソつきは褒められたものではありませんが、当時は戦国時代。言うまでもなく日常的に騙し騙されの乱世であり、光秀は相手の裏をかくのが非常に上手かったのかもしれません。「信長に愛されるための術をよく心得ていた」という部分と合わせてみると、彼の急激な出世を説明するよい情報に見えてきませんか?
光秀は当時としては珍しく、部下への細やかな配慮を欠かさなかった武将として知られています。確かに、同時代人としては落ち着いた部分もあったのかもしれません。しかし、私たちが想像している「穏やかで、ともすればオドオドしているような」光秀だったとすれば、果たして戦国時代の織田家で出世レースを勝ち抜くことができたでしょうか。個人的には、むしろ私たちが想像する豊臣秀吉のように、巧みなご機嫌取りと策略で信長に認められた人物こそが、明智光秀なのではないかと考えています。