CATEGORY

最新号紹介

10,11月号2024.08.30発売

大人だけが知っている!「静寂の京都」

閉じる
Culture
2020.05.08

女軍を率いて突撃した鶴姫とは?戦国時代、備中城主の妻の壮絶な戦い

この記事を書いた人

落城が迫る中、目の前で一族が次々自決していく。そんな中、ただ自らの死を待つのではなく、侍女を従え敵に斬りかかっていった姫がいた。

死を覚悟した女性はこうも強くなれるものか。女軍を率いて突撃した「鶴姫」最期の記録をご紹介しよう。

常山城主の妻、鶴姫

鶴姫の父は備中松山城(岡山県高梁市)城主・三村家親(みむら いえちか)。夫は常山城(つねやまじょう/岡山県玉野市)城主・上野隆徳(うえの たかのり)。隆徳の主君だった家親は毛利氏に属し、小大名が入り乱れる備中において勢力を拡大していった。その後を継いだのが鶴姫の兄・三村元親(みむら もとちか)である。

備中松山城

鶴姫について詳しい記録は残っていないが、武家の女性らしい最期を迎えた人物として名を残している。夫とともに自刃したのが1575(天正3)年のことなので、1540年頃の生まれだと推測される。

家親の暗殺で始まる「備中兵乱」

鶴姫の父・三村家親は、備中(現、岡山県西部)全域に加え、備前(現、岡山県南東部)の一部をも手中に収めるほどの勢力を誇っていた。しかし1566(永禄9)年、家親の勢力に危機感を覚えた備前国の大名・宇喜多直家(うきた なおいえ)の刺客によって、家親が興禅寺で銃殺されるという事件が起こった。これが「備中兵乱」と呼ばれる争いの始まりである。

宇喜多直家に報復すべく、家親の息子元親が2万2千の兵を率いて出陣するものの、死闘の末に敗北。それでも毛利氏と連携する三村氏の勢力は衰えず、備中に君臨し続けた。

宿敵と手を結ぶ、毛利氏の裏切り

三村氏が宇喜多直家に恨みを募らせる中、さらなる事件が起きた。反織田勢力を集める将軍足利義昭を介し、なんと毛利氏が家親を殺した宿敵、宇喜多直家と手を結んだのだ。代々毛利氏に忠節を尽くしてきた三村氏にとって、これは許しがたい裏切りだった。

裏切りを見過ごせなかった鶴姫の兄・元親は、毛利氏に反旗を翻して織田信長と内通した。これに危機感を覚えた毛利氏は、8万もの大軍を率いて出兵。元親に説得を試みた毛利氏側の者もいたが、義を重んじた元親はそれを受け入れなかったそうだ。

兄・元親の切腹

毛利軍によって、備中松山城を囲む猿掛城・鶴首城・斉田城・国吉城などの城が次々と破られていく。そして1575(天正3)年5月、ついに備中松山城も陥落する。鶴姫の兄・三村元親は松連寺で自刃した。

しかしこれで戦は終わらず、毛利氏は三村氏にゆかりのある城を討ちに出たのだ。鶴姫が暮らす常山城も三村一族最後の城として、毛利軍が攻め込んだ。

自決していく一族を前に 鶴姫の覚悟

大軍で攻め込む毛利氏に対し、常山城はわずか兵200ほどしかいなかった。城主・上野隆徳も自ら鉄砲を持って応戦するが落城は目前。一族は自決を覚悟した。

1575(天正3)年6月7日、これが最後と酒宴の席が設けられる。その後まずは隆徳の57才の叔母が自決、15才の長男・高秀が後に続いた。8才の次男は隆徳が自分のもとに引き寄せて刺し殺し、16才の妹は叔母を貫いた刀で胸を突いて死んだ。

その様子を前に、鶴姫は自らの出陣を決意する。男以上に勇敢な女だったとされる鶴姫は、黙ってこのまま自分も死ぬわけにはいかなかったのだ。

侍女とともに身一つで突撃した鶴姫

一族が次々と絶命していく中、鶴姫は鎧をまとい帯を締め、脇に刀を携えた。背丈にも及ぶ美しい黒髪が振り乱れる。

「女が戦に出ては成仏できない。ただ静かにご自害ください」と忠告するものもあったが、鶴姫は「この戦場を西方浄土として、修羅の苦しみも極楽の営みだと思えば、何の苦しいことがあろうか」と笑って言い、まるでこれから散り行く花のように袖を振って出ていった。

鶴姫の言葉は、まさに「鶴の一声」だったのだろう

我先にと後に続くのは34人の侍女たち。鶴姫は長刀を回しながら敵将・乃美宗勝(のみ むねかつ)に一騎打ちを迫るが、宗勝は女性の相手はできないと言い引き下がるのみである。それでも追い続ける鶴姫に敵兵が斬りかかり、傷を負った鶴姫は女軍とともに城内に退いた。

鶴姫の最期

夫の元に戻った鶴姫は、口に太刀をくわえそのまま身を伏せて絶命した。これを見届けた上野隆徳も切腹。記録には残っていないが、侍女たちも後を追って自害したのだろう。

常山城跡には今も隆徳と鶴姫の墓を取り囲むように、34人の女性たちも眠っている。

常山城址 『女軍の墓』
画像:Wikimedia Commonsより

書いた人

大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。