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2022.07.27

幻の巨大池「巨椋池」の謎をレンタサイクルで追ってみた【京都】

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日本で一番大きな湖は滋賀県の琵琶湖です。では池と名がつくもので日本で一番大きな池はというと……現在は鳥取県にある湖山池です。面積は約7平方キロメートルで、周囲は18キロもあります。

湖山池……池なのか湖なのか!?

……そう、現在は。過去にはこの湖山池をゆうゆうと上回る巨大な池が、京都にあったのです!

軍記物語などを読むと、南側から京都を攻める時、宇治橋を突破した後、そのまま北上する勢と淀橋から攻める勢に分かれることが多々あります。現在の地図を見ると、なんでわざわざ淀まで行くのだろう? と疑問に思うかもしれません。

国土地理院地図から作成

けれど昭和初期以前に、宇治から淀、伏見にかかるこの地域に巨大な池が存在したのです! それが「巨椋(おぐら)池」!

今回は巨椋池とはどれほど大きな池だったのか、その面影は今もあるのか実際に行ってみました!

巨椋池の歴史

巨椋池は一定の大きさ形があるわけでなく、流れ込む川の水量によって変わるものでした。しかし天下人となった豊臣秀吉によって堤防が築かれ、宇治川や淀川の整備がされました。

街道や水路の交差点となった巨椋池周辺は、華やかに発展した反面、水害の危機とは隣り合わせの地域でした。時を経て昭和になると、水質も汚染され、マラリアの発生源となってしまいました。

歴史ある池が無くなってしまうのは歴史好きとしてはとても残念ですが、今を生きる人の健康・安全が一番大事!!

そこで国を挙げての干拓事業が着工し、巨椋池の水を全部抜いて広大な田園地帯としました。

リアル「池の水ぜんぶ抜く大作戦」ですね!!

というわけで、鎌倉時代の巨椋池はどんな感じだったのか、正確には解りません。しかし周辺の遺跡の位置を見ると、だいたいこんな感じであろうと予測がつきます。

国土地理院地図から作成

伏見山荘へ巨椋池の面影を求めて

まず、池の北にある伏見の山、そこにあるのが豊臣秀吉が作った桃山城です! 

伏見城の南麓には貴族の別荘「伏見山荘(ふしみさんそう)」がありましたが、鎌倉時代になる100年前の寛治7(1093)年に焼失してしまいました。その跡地には、やはり豊臣秀吉が「伏見指月城」を建てています。う~ん、関西方面の鎌倉時代の史跡にいつも現れる豊臣秀吉……。

国土地理院地図から作成

まずは巨椋池の面影が見られるかも!? というわけで、桃山城を目指しました。丹波橋(たんばばし)駅の駐輪場には電動自転車のレンタサイクルポートがあります。一日回るなら充電は60%ぐらいあれば十分ですが、もし足りないようなら「あさひ京都南店」まで行くと、充電池の交換をしてもらえますよ!

なだらかな坂を登ると……。

赤い門の駐車場の奥に……。

立派な城門!

桃山城!!

……しかし、残念ながら城の中には入れない様子。拝観日なども設定されていませんでした。

周りはこの通り木々が生い茂っていて、展望できません。やはり天守閣に登らないと、巨椋池の面影が見られないのでしょうか……おのれ秀吉……!!

▼樽瀬川は、秀吉に行く手をはばまれた!

巨椋池の落とし子、木幡池

桃山城から降りて小幡池に向かいます。じつはこの小幡池、巨椋池の水を抜いた後に残った池です。まさに巨椋池の落とし子! 在りし日の巨椋池に思いを馳せるにはうってつけ!!

というわけで坂を下っていくと……ちらりと見える町。

巨椋池があったらこんな感じにみえたのかしら……?

と、想像しながら六地蔵駅方面に向かいます。

国土地理院地図から作成

ルートとしては単純なんですが……なぜか六地蔵駅を過ぎたあたりから、方向感覚が失われて道に迷いました……。後から考えても、どうして単純な道で迷ったのか……不思議です。

きっと秀吉のせい。

ともかく、木幡駅の横の線路を渡って真っ直ぐ行った橋から、木幡池を一望しました!

十分広い! そして生き物が集まっている!

ありし日の巨椋池を想像するにはうってつけのロケーションですね!

そして巨椋池跡を突っ切って、向かうのは「巨椋池排水機場公園」!

国土地理院地図から作成

巨椋池まるごと格納庫

「巨椋池排水機場」には巨椋池の開拓のために建てられた排水施設です。洪水を防ぐために大量の水を宇治川に流したりしています。そして排水機場の隣にある小さな公園には「巨椋池まるごと格納庫」という、巨椋池の歴史が詰まった資料館があります。巨椋池の全容を知るには是非とも向かうべき場所です!


辺り一面の田園風景を駆け抜けて……。


なんだかカッコイイ高速道路高架下を通り過ぎ……。


時が止まったような水辺を進みます。

西側に行くと、水路が張り巡らされていて、巨大な池の水面を行く妄想がしやすかったです。


大きな水門! 巨椋池排水機場です!


そしてここが、巨椋池まるごと格納庫!

見学するには、張り紙に書いてある電話番号に電話して、鍵を開けて貰います。排水機場の職員さんが対応してくださるので、電話に出られない場合はしばらく後に電話してみましょう。

格納庫内部では映像とイラスト、ジオラマで古代~現代の巨椋池の様子を知ることができます。

そんなスポットがあったとは!!

国土地理院地図から作成

予想以上にボリュームのある情報の量と質にホクホクしながら、向かうは石清水(いわしみず)八幡宮!

巨椋池の西端、石清水八幡宮

石清水八幡宮は、男山と呼ばれる低い山の上にある神社ですが、河内源氏の氏神を祀る神社でもあります。山は巨椋池のほとりにあったので、山頂から見下ろせば巨椋池の名残が見えるのではないでしょうか!

でもこの日は残念ながら登頂する時間がなかったのでまたの機会に行きます(泣)

宇治川沿いを進み、御幸橋を渡ると……

御幸橋の上から見た木津川

すぐ石清水八幡宮駅です!

山頂へはケーブルカーがあるのですが、まだこの先も行程が残っているので断念! 石清水八幡宮でレンタサイクルを置いて、電車に乗って宇治にサクッと向かいます!!

サクッと宇治に行けちゃうなんて、現代って感じだ!

巨椋池の東端、宇治橋

京阪宇治橋を出たら、目の前に宇治川と宇治橋!!

国土地理院地図から作成

橋を渡る前に宇治橋のたもとにあるお茶屋さん「通圓(つうえん)」に注目! 実は創業860年の老舗なのです!

老舗すぎる!!

創業者は源平合戦の火ぶたを切って落とした「以仁王(もちひとおう)の挙兵」でも活躍した源頼政(みなもとの よりまさ)公の家人。出家して通園を名乗ってここに庵を結びました。

通園は以仁王の挙兵で頼政公と戦い命を落としましたが、その後子孫が通園を名乗って宇治の橋守をします。そしてここを通る旅人にお茶を振る舞っていました。まさに源平合戦から現代まで歴史を見守って来たお店です。

宇治橋の手前に並ぶ柱。これは流木から橋桁を守るためのものです。それにしても……南から北へと流れる川って、関東地方民は見ていると若干混乱しますね。


橋の上から見える中州は、『平家物語』の「宇治川先陣」の舞台です。もちろん中州なので800年前とは地形が変わっているとは思いますが、ここに「宇治川先陣の碑」も立っています。

巨椋池水のみち

宇治橋を渡ってすぐに右に入ると、「巨椋池水のみち」があります。

生垣に埋もれてしまっている標

その先には、なにやらちょっとエモい空間が……。

ここは干拓事業の初期に作られた水路がありました。宇治川の水を引いてパイプラインで干拓地へとはこんでいたのですが、やがてそれは地中に埋められました。

かつてあった用水路跡を「巨椋池水のみち」として整備し、モニュメントが建てられています。

なかなかニッチな旅だったな~。

完走した感想

さて、これで巨椋池をめぐる旅は終わりです。なんだかんだで1日かかりました。帰りはJR宇治駅に向かいます。大通りの裏にある商店街には、老舗のお茶屋さんや宇治抹茶のスイーツ、パン屋さんなどが並んでいます。

宇治に到着した頃は5時を過ぎていたのでほとんどcloseしていましたが……(無念)。

そうそう、JR宇治駅から京都駅へ向かうとき、路線がグネッて曲がってるじゃないですか。

国土地理院地図から作成

これ、JR奈良線が作られた時は巨椋池がまだあって、堤防の上に線路を敷いたからなんですって! ……と思いながら車窓を眺めていると……。

あ、なんとなく巨椋池の地形が見えてくるわ……。

巨椋池の面影を探して一日中駆け回ったのに、帰りの電車の中で今日一番に巨椋池を感じるなんて……。ショックのあまり茫然として、写真を取り損ねました……。こんなこともあるのがフィールドワーク(という名のオタク旅)!!

オタク旅楽しかった~!

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書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。