「伝統」とは、どのようにかたちづくられるのでしょうか。いまあるものをそのままに、かたちを変えずに守っていけば、いつか人はそれを伝統と呼ぶようになるのでしょうか。
けれども、たとえば千利休が茶の湯の世界で成したこと、初代市川團十郎が歌舞伎にもたらしたものを振り返るとき、彼らが旧来の常識を打ち破った「革新」の人だったことがわかります。
そうであるならば、伝統をかたちづくるのは「変化」なのかもしれません。革新の連続が、いつか伝統をつくっていく——。
そんなことを思わせるホテルが、京都にあります。「ザ・ホテル青龍 京都清水」。子供たちの学び舎としてこの地で長く愛されてきた元小学校の校舎をコンバージョンしたこのホテルは、そのコンセプトである「記憶を刻み、未来へつなぐ」を、建物に、そしてサービスに、忠実に表現しています。
小学校がホテルへ。革新的な変化によって、この場所にこれから生まれていくであろう新たな伝統の萌芽と、まだ柔らかなその萌芽に包まれた特別な体験をご紹介します。
学校の特徴を保存・継承したデザイン
ザ・ホテル青龍 京都清水は、明治2年に下京第二十七番組小学校として開校し、昭和8年に移転・新築された元清水小学校の校舎を保存・活用し、上質なヘリテージ(遺産)ホテルとして誕生しました。ホテルではこれを「リノベーション(改装)」ではなく、「コンバージョン(転換)」と呼んでいます。単に旧来の建造物を改築・改装したのではなく、建物に刻まれた歴史や文化を未来へと受け継ぐことに主眼を置いたホテルだからです。
清水小学校の名前が示していた通り、清水寺へと続く坂の中腹、東山の山裾を背にして市内を望むこの建物は、長くこの地のシンボル的な存在として親しまれてきました。異なる三つの棟をコの字型に配置し、その中央を大階段がつなぐ配置、東棟にはスパニッシュ瓦葺きの塔屋、南棟には洗い出し仕上げがされた人工石とタイルによる美しい意匠とアーチ窓。昭和初期の建築によく見られる洋風デザインは、清水寺をはじめ、間近にそびえる法観寺「八坂の塔」などの仏教建築に囲まれながら、竣工当時は異彩を放っていたであろうことを彷彿させます。
それでも、建設当時に大きな議論となったパリのエッフェル塔がいまでは街に欠かせないシンボルとなったように、この小学校も東山の街の歴史の中で欠かせない存在となっていったことが、使い込まれた木製の手すりやすり減った階段から想像できます。
そう、ザ・ホテル青龍 京都清水はこうした校舎の廊下や教室、講堂など、各室の特徴を大切に保存継承しながらデザインされているのです。梁や腰板張りなどには、当時を偲ばせる装飾が残り、手すりは一度すべて取り外して洗浄し、再度同じ場所に据え付け直すという徹底ぶり。増築された部分は黒を基調に、あくまでオリジナルのデザインを生かすものとしつつ、一部は外壁部を覆うように増築することで、建築当時の瓦や軒下の意匠などを間近に楽しむこともできます。
とはいえ、全48室のゲストルームは、先進的かつクラシックな雰囲気のインテリアで落ち着いた空間を演出。スイートでは法観寺「八坂の塔」や京都の街並みを、ジュニアスイートではコの字型を生かしたガーデンビューを、観光地とは思えないほどの静寂の中で楽しむことができます。
名バーテンダーが手掛ける絶景のバー
ザ・ホテル青龍 京都清水の魅力は、建物だけではありません。ルーフトップバー「K36 Rooftop」は法観寺、八坂の塔を望みつつ眼下に京都市内が一望できる眺望で人気のバー。屋内の「K36 The Bar」と合わせ、宿泊者以外もお酒を楽しむことができます。
この「K36」をプロデュースしたのは、京都市内で「K6」など複数のバーを立ち上げ、京都を代表する名バーテンダーとして知られる西田稔さん。
「京都は盆地のため、目の前には街並みや山、全ての景色が広がります。世界中探しても、このような素晴らしい場所に立つルーフトップバーはないでしょう。K36 Rooftopからはもちろん、屋内のK36 The Barからの夕景も最高です」
西田さんはこの場所の魅力を、そう話します。K36で提供されるすべてのドリンクメニューは、氏の監修によるもの。近年バーテンダー業界ではフルーツや野菜、チョコレートなど、さまざまな素材を混ぜてつくる「ミクソロジーカクテル」が流行しているそうですが、小学校をコンバージョンしたホテルという点を重視し、メニューは「温故知新」をテーマに「100年以上愛されているスタンダードカクテルを皆様に楽しんでいただくこと」を軸に用意されています。
それはまるで「小学生が基本を覚え、旅立っていくよう」と西田さんは表現します。バーのいろはの「い」を楽しめる、そして世界中の誰からも愛されるカクテルがセレクトされています。
一方で、スタンダードの中にも小さな「遊び」をつくるのが西田流。名バーテンダーとして知られる西田さんのお店には、彼がつくる「ジントニック」を楽しみに足を運ぶファンが数多くいます。スタンダードだからこそ奥深く、バーテンダーの腕が問われるこの難しいメニューを、西田さんはあえてビンを逆さにしてサーブします。西田さんのジントニックは、サーブされた人がそれぞれビンを持ち上げて氷の中に注ぎ入れることで、できあがるのだそう。
「皆様に、自分の手で完成していただけるカクテルを、というところから完成した作品です。ジントニックは、世界中で愛されているカクテル。このジントニックを見ていただき、飲んでいただくと、このホテルに『帰って来た』という気持ちになれるような、インパクトのあるカクテルがこのジントニックなのです」と語ります。
春のよく晴れた空の下、夕日が沈み、マジックアワーと呼ばれる時間帯。西田さんのジントニックが持つライムのさわやかさとジンのほろ苦さ、そしてちょっぴり漂うワクワク感は、小学校という場所が持つイメージを、まさにカクテルグラスの中に表現しているように感じられました。
季節を感じるディナーに込められたスピリット
ザ・ホテル青龍 京都清水の敷地内、元は校庭だった場所には、世界各地でミシュランの星付きレストランを展開するデュカス・パリが監修する「ブノワ 京都清水」が出店。ブノワとしては、パリ、東京、ニューヨーク、大阪に次ぐ店舗となり、旬の味わいを取り入れたモダンなビストロ料理を提供しています。
この日のディナーでは、ブノワの「定番」とも言える「パテ・アン・クルート」と、春を感じさせる「グリーンアスパラガスのロティ 卵黄とコンテ」が前菜に。パテ・アン・クルートは、肉のテリーヌなどをパイ生地で包んだフランスの伝統料理で、ブノワではいずれの店舗でもジュレを用いる定番料理として親しまれています。
メインは、「帆立貝のポワレ」「丹波黒どりのロティ」「仔羊の鞍下肉」などの中から「市場から届いた鮮魚 野菜のギリシャ風」。皮は香ばしく、白身をふんわり焼き上げたイトヨリダイに、ヴァプールという調理法で旨味を閉じ込めたカブや春野菜を添えてソースとからめるテクニックには、野菜や魚の味わいを特に大切にしつつフランス料理界をけん引し続けるスターシェフ、アラン・デュカスのスピリットが感じられます。
また、ブノワ 京都清水では、ディナーに加えてランチ営業も行っており、2023年3月1日からはお花見気分を味わえる「桜のアフタヌーンティー」の提供も始まっています。
豊かな時間を奏でるアートの数々
上質な空間と、おいしいお酒、そして料理。しかし、ザ・ホテル青龍 京都清水で過ごすひと時を本当の意味で「豊かな時間」にしているのは、各所に展示された数々のアート作品かもしれません。
正面の大階段、ホテルの中心に立つモニュメントは、樂雅臣氏による作品。樂氏は千家十職の一つ、茶碗師樂家15代目当主・樂吉左衞門氏の次男として生まれ、現在は、独自の感性で抽象的な彫刻作品を発表し続けている注目のアート作家。「輪廻」と題した一連の作品は、受け継がれてきた伝統を新たな躍進へとつなげている氏が、長年取り組み続けているテーマを表したものです。
また、元講堂をコンバージョンし、図書館をイメージしたレストランに飾られるのは、京都「染司よしおか」の吉岡更紗氏の手によるインスタレーション。
自然から採れる染料による「天然染め」に親子数代にわたって挑み続けている吉岡氏の作品は、染料の素材となった植物を埋め込んだガラスケースとともに空間を彩っています。
こうした作品は各室はもちろん、エントランスやプライベートバスなど館内の各所に展示されています。京都に関わりのある作家だけでなく、さまざまな切り口で新進気鋭のアーティストたちの作品が並び、クローク横に展示されている陶芸作品は、奈良県生まれの陶芸作家・辻村唯氏が古代の技法である穴窯で焼き上げたもの。コナラやクヌギ、アカマツなどの灰による自然釉の輝きは素朴ながらも、人間の奥底に眠る原始的な美的感覚を刺激するようにも感じられます。
この建物を愛した人々の思い
小学校という場所は、誰にとっても大切な思い出が詰まった場所であり、誰しもが自身の記憶とともに語ることができる場所です。80年近くにわたって多くの子供たちの成長を見守り続けたこの建物も、多くの思い出が刻まれた場所だったのでしょう。
ザ・ホテル青龍 京都清水は、上質なお酒や食事、アートを楽しめるハイクラスなホテルという空間でありながら、そうした多くの人々の大切な記憶の数々を守り続けてもいます。単に旧来の建造物の一部を残すというのではなく、どうすれば新たな空間の中でその歴史を「生かす」ことができるか——。
小学校からホテルへという大きな変化を経た後にもかかわらず、この建物を愛した人々の存在が確かに感じられるのは、未来に向けてこの空間を大切に守り伝えていこうという、ホテルに携わる人たちの強い意志があるからでしょう。遠い昔から紡がれてきた人々の思いを汲み、自分たちの手で次代へ残そうとすること。伝統とはそのように築かれていくものなのかもしれません。
(文・写真=安藤智郎 Text and photos by Tomoro Ando)