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愚かな連中は、迷いにとらわれ、悪の種をまけば悪の報いがあり、善の種をまけば善の報いがあるという原理を信用しない。(日本霊異記)
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2021.01.27

元祖イクメンで水泳の達人?小泉孝太郎演じる平宗盛ってこんな人【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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鎌倉御家人・三浦胤義(たねよし)が語る、鎌倉殿の13人予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

第6回は平清盛亡き後、平家を継いだ平宗盛! 「たいらのむねもり」だからって、寄せて上げて胸パッドなんて仕込んでないぞ! 先祖が巨乳グラドルみたいな名前なのに子孫がペッタンコなんてそんな……!

……よし、これでもう宗盛殿の名前は忘れないな!

改めて、平胸盛殿。……じゃなくて宗盛殿。本来、清盛殿の後を継ぐはずだった嫡男の重盛(しげもり)殿が若くして亡くなったため、後を継ぐことになったんだ。

平家物語ではわがまま放題のお坊ちゃんで、威張るだけで中身が伴わずに平家を滅ぼした暗愚な2代目として描かれているせいか、後世の創作物でも基本的にダメダメなボンボンみたいに描かれている。

実際はどうだったかというと……オレ自身は面識がないんだが、どんな人物だったかはオレの父上や兄上からは聞いている。

実は元祖イクメン! 「私の子は私が育てる」

中世の公家や武士は、生まれた子供は乳母夫婦に預ける事が普通だった。けれど『平家物語』によれば、宗盛殿の次男が生まれた時に、妻が亡くなってしまった。妻の遺言の通り、宗盛殿は次男を片時も離さずに自らの手で育てたそうだ。

当時の感覚だと「え? なんでそんな事を?」という感じなんだけど、現代人の感覚なら、株が爆上がりするエピソードではないだろうか。

実はやるときゃやんぜ! 平家の総大将・平宗盛!

一口に「源氏」と言っても頼朝様や義経殿の他にもたくさんいる。お二人の従兄弟にあたる木曾義仲(きそ よしなか)殿も、源平合戦には欠かせない人物だ。

治承4(1180)年、平清盛殿が亡くなった後、木曾殿が平家を攻めるために京へ入った。この猛攻により都を追われた平家は、播磨(はりま=現・兵庫県)に拠点を移す。当時の天皇は清盛殿の孫である安徳(あんとく)天皇。その安徳天皇を一緒に連れて、なおかつ皇統の象徴たる三種の神器を持って行ったため、後白河院は天皇と三種の神器を取り戻すべく、木曾殿に平家追討の命令を出した。

宗盛殿はこの時、後白河院に「あなたに敵意はありません! 都を戦場にさせないために移動しただけなんです!」と弁明の手紙を送っていたようだが、どうやら既読スルーされてしまったらしくなぁ……木曾殿と戦うハメになってしまった。

でもこの時の反撃がすごかった。山育ちの木曾殿に対して海戦で応じ、しかも朝廷の中枢にいたことで得られた天文知識で皆既日食を予測した。慣れない海戦と、突然の暗闇に混乱してしまった木曾軍は敗退。宗盛殿は平家の兵力を立て直す事に成功したのだ!

ちなみに木曾殿は京人にずいぶん嫌われてしまってのう……。今度は木曾殿の討伐命令が鎌倉幕府に出される事になるんだが、そこら辺は別の機会に。

実は金メダル級!? 水泳の達人!

とはいえ、その後は鎌倉幕府によって追い詰められて、元暦2(1185)年に壇ノ浦で平家は滅亡する。平家たちは鎌倉の兵たちに捕まる前に、入水して自害を遂げるんだが……宗盛殿、めっちゃ泳ぎが得意でなぁ……。浮かんだり沈んだりを繰り返すうちに「死ぬのヤダ! 生きたい!」と思うようになったそうだ。そして泳いでるところを捕獲され、生け捕りにされたんだ。

……その泳ぎの達者ぶり、オレの父上も兄上も密かに感心していたらしい。鎧を着たまま素晴らしいドルフィンキックを繰り返していたそうだから。世が世ならば水泳選手としてオリンピックで金メダル取れたかもなぁ。

実は政治家向き! 平宗盛の性格

宗盛殿といえば、その武勇はあまり芳しくない。水揚げされた後……じゃなかった。捕虜となった後もひたすら命乞いをしていてなぁ。それを見た鎌倉の武士たちに「臆病者」「それでも清盛の息子か」「情けない」と散々に言われていたらしい。

でも平家の棟梁として京にいた時、九条兼実(かねざね)という公家の日記『玉葉(ぎょくよう)』には、宗盛殿が言った言葉として、このように記されている。

「父(清盛)は何かあればすぐに仕返しをした。けれど私は事を荒立てないように知らんぷりしてるんだ」

どんなに煽られても、野次を飛ばされても、右から左へ流して平常心を保つ。これ、わりと政治家向けのスキルだと思うんだ。ある意味、コワモテの坂東武者に囲まれて何と言われようと「助命してくれ」という自分の意見を引っ込めなかったという見方もできるんじゃなかろうか。

実は愛されキャラ! ほのぼの平宗盛殿

宗盛殿が鎌倉に連れて来られ、逗子(ずし)の村で沙汰を待つ間のできごとに関する伝承だ。

最初、敵の大将ということで、逗子の村人たちも遠巻きに見ていた。ところが宗盛殿は村の子どもたちと遊んだり、農作業を手伝ったりしたんだ。敵の大将、しかも貴族としてとても身分の高いはずの宗盛殿の行動に、村人たちは驚いた。けれどだんだんと宗盛殿の人柄に触れて心を開いていったんだって。そしていよいよ死罪が決まった時、村人たちは大いに悲しんだそうだよ。

きっと宗盛殿は、もっと平和な世が似合う人だったんだろうな。壇ノ浦から3カ月後、近江国(現在の滋賀県)で斬首された。最後の言葉は「息子はもう斬られたのですか?」だそうだ。墓は「平家終焉の地」として、息子たちと共に林の中にひっそりとある。

ちなみに、逗子にある補陀落寺(ふだらくじ)には、宗盛殿が最後まで持っていたとされる平家の赤旗がある。旗に書かれている文字は、清盛殿の筆だそうだ。毎年GWごろに公開されるよ。

平宗盛役、小泉孝太郎殿について

こ、孝太郎殿……! 孝太郎殿は、オレの兄上(三浦義村)役だと思ってたのに……! え? なんでそう思ってたかって? 三浦一族の本拠地、三浦半島の選挙区が神奈川11区だからだよ! 孝太郎殿、いつか兄上役をお願いします! お願いします!

……とまぁ、それはさておき。孝太郎殿は、平成17(2005)年の大河ドラマ『義経』では、宗盛殿の甥っ子の平資盛(すけもり)役で出演しておるな。なにかと縁を感じる配役だな。

『偉大な清盛の後継者。二代目の苦悩と戦う』

宗盛は弱々しいイメージがある人物として描かれることが多いですが、今回の「鎌倉殿の13人」では、三谷さんにどのように描かれるのかとても楽しみにしております。

NHK_PRサイト 小泉孝太郎のコメントより抜粋

うむ。三谷幸喜殿だから、ただの暗愚な2代目で終わるわけがないぞ! どんな宗盛殿が見られるか楽しみだ。

アイキャッチ画像:写本『ゆや』より(国立国会図書館デジタルコレクション)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。

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大学で源氏物語を専攻していた。が、この話をしても「へーそうなんだ」以上の会話が生まれたことはないので、わざわざ誰かに話すことはない。学生時代は茶道や華道、歌舞伎などの日本文化を楽しんでいたものの、子育てに追われる今残ったのは小さな茶箱のみ。旅行によく出かけ、好きな場所は海辺のリゾート地。