今回解説するのは、後白河法皇の側室、丹後局(たんごのつぼね)! むむ。またしても、オレが生まれる前の朝廷事情だな……。ということで基本のき!
自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(みうら たねよし)が語る! 令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!
丹後局の半生
このシリーズでも何度か言及しているとおり、当時は女人の名前は秘匿されていた。だから「丹後局」は本名ではない。〇〇局というのは、貴人に仕える侍女の中でも特に身分の高い者に対する尊称だ。丹後局の名前は「高階栄子(たかしなの よしこ/えいし)」と伝わっているが……これもまた本名ではない。位を貰う時や、土地の権利を扱う時の便宜上の名前なんだ。
それから丹後局は父と母のことも諸説アリな状態でな、ハッキリと確定できるのは後白河法皇の側近の妻だったということだけだ。
運命の治承3年の政変
源平合戦の直前の話だ。頼朝様が伊豆で挙兵する9か月前の治承3(1179)年11月、後白河法皇と平清盛殿の仲が悪化した。清盛殿は兵を率いて後白河法皇を幽閉し、後白河法皇が政治の場に出てこれないようにしてしまったのだ! そして清盛殿は政治の実権を握ることとなる。
この出来事を「治承3年の政変」という。後白河法皇の側近で、丹後局の夫であった平業房(たいらの なりふさ)殿は伊豆へ流罪となった。ちなみに業房殿は清盛殿とは近親者ではない別の平氏だ。
業房殿は伊豆へ向かう途中に脱走したが、捕まってしまい、拷問された上で処刑されたと聞く。けれど伊豆国には頼朝様もいた。もしも逃げずに伊豆国に辿り着いていたら……。もしかしたら、業房殿は鎌倉幕府草創期の仲間になっていたのかもなぁ……。
後白河院と丹後局の出会い
一方、夫を亡くした丹後局は、幽閉された後白河法皇の世話係となった。丹後局は美貌の持ち主だったらしくてな、たちまち後白河法皇の寵愛を受ける事となる。
治承5(1181)年3月に清盛殿が亡くなった後、再び後白河法皇は政治の場に復活した。そしてその年の10月には、なんと後白河法皇と丹後局の間に皇女が誕生した。これを機に丹後局も政治に口をはさむようになる。朝廷内では楊貴妃にも例えられていたそうだ。
頼朝様と丹後局は仲良し!?
経緯はわからないんだけど、頼朝様と丹後局は、お互い贈り物をし合っているんだ。といっても、もちろん仲の良い友達同士のプレゼント交換などではなくて、政治的な意図マシマシなんだろうけど……。ここら辺の関係性を、ドラマではどう描くかのう?
丹後局役、鈴木京香殿について
文句なしの美貌と色気!!!!!! 「朝務ひとへにかの唇吻にあり」とまで言われた丹後局を、鈴木京香殿が……! たまんねぇな、おい!
「法皇様、頼朝のことはお諦めになってはいかがですか」
年齢を重ねれば重ねるほど、その熱意をより募らせていったという丹後局。今はもう彼女の大ファンです!
うむうむ。きっと鈴木京香殿の代表的な役の1つとなるに違いないぞ! 早く観たい!!
関連人物
夫:平業房、後白河法皇
子:覲子内親王
人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)