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2021.10.22

源範頼は伊豆を逃れて生き延びた?日本五大桜「石戸蒲ザクラ」伝説【北本奥の細道】

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日本の国花であり、硬貨や紙幣の図柄の一部としても使われる花、サクラ。
入学や卒業をはじめとする行事のシンボルでもあり、縁起の良いものとされる一方で、不吉な予兆や短命を示すとされることも。華やかで美しくも、あっという間に散ってしまうサクラは人々の心に深く残り、多くの物語や伝承に取り上げられてきました。

「花の色はうつりにけりないたづらに……」という、桜や美貌のはかなさを詠んだ小野小町の和歌もありますね。

今回は、埼玉の北本市にある桜の名木・石戸蒲ザクラ(いしとかばざくら)と、それにまつわる伝承をご紹介。蒲ザクラを知ることで、日本の歴史に少し詳しくなれるのも嬉しい点です。

赤で囲んでいるのが今回訪ねた主な場所です。全体図はこちら

緑が鮮やかな蒲ザクラ。太い幹がいくつもの柱に支えられています。

石戸蒲ザクラとは?
天然記念物に指定された「日本五大桜」の一つ

「石戸蒲ザクラ」は、 埼玉県北本市の石戸宿3丁目にある東光寺境内に所在する、およそ樹齢800年の巨桜です。江戸の昔より高名で、曲亭馬琴の『玄同放言(げんどうほうげん)』をはじめ、かずかずの随筆や地誌に取り上げられてきました。なお、『玄同放言』の挿絵を担当したのは渡辺崋山。崋山の描く蒲ザクラは、紙面から飛び出してくるような迫力があります。

『玄同放言』瀧澤觧瑣吉甫 著/渡辺崋山 画/国文研等所蔵
提供:ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(http://codh.rois.ac.jp/)画像は該当部分のみ抜粋
※『玄同放言』の、渡辺崋山の描いた蒲ザクラ。写実に優れた筆致に目を奪われます。なお、馬琴は複数の筆名を用途に応じて使い分けており、『玄同放言』は瀧澤觧瑣吉甫の名義で書いています。

蒲ザクラは、品種としてはエドヒガンザクラとヤマザクラの自然雑種で、枝がしだれているのがエドヒガン、開花の時期がソメイヨシノよりも遅いのはヤマザクラの性質に由来するとされます。自生する樹としては世界でただ一本しかなく、非常に希少な存在です。毎年多くの花見客が訪れる蒲サクラの見ごろは4月上旬、ソメイヨシノを追うように咲きます。花は白く可憐で、リンゴの花にも似た風情です。

世界にたった1本なんて……! それだけでもうロマンチック。

この名木は、大正11年10月12日には国の天然記念物に指定されました。この時一緒に天然記念物指定された五本の桜は「日本五大桜」と呼ばれ、蒲ザクラもその一つとして数えられています。
巨木でありながら物寂しく、どこか幽玄の趣を持つ蒲ザクラは、長らくこの土地に根を張っており、北本という土地が長い歴史と伝統を持つことを示す生き証人でもあるのです。

蒲ザクラの前の石柱には、「天然紀念物石戸蒲櫻」の文字が。

「石戸蒲ザクラ」の「蒲」って何?
2022年の大河『鎌倉殿の13人』、源範頼ゆかりの古木

最初に蒲ザクラと聞いて、「『蒲』って何だろう?」と思った方も多いのではないでしょうか。江戸時代には既に「蒲桜(kabazakura)」として定着していたこの名は、源範頼の伝説に由来しています。

そうなんだ。「うなぎの蒲焼」に関係があるのかと思ってました(笑)

ここで「源範頼って誰?」と首をかしげた方もいらっしゃると思います。源範頼は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟であり、薄命のイケメンとして多くの能や歌舞伎に登場する源義経の兄にあたる人物。源平の合戦で武勲を立て、その後頼朝をサポートするなどして、有能な人物だったようです。
歴史に名高い兄や弟に比べ、範頼はあまり目立たない存在ですが、NHKで2022年に放送予定の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(作:三谷幸喜)にも登場、俳優の迫田孝也さんによって演じられるそうですので、今後はもう少し有名になるかもしれませんね。

源範頼。有名人の兄弟たちに挟まれて、ちょっと地味な印象ですが、実は源平の合戦で活躍し、サポーターとしても優秀だったようです。もしも源兄弟の中から身近な上司や同僚を選ぶとしたら、範頼がいいかもしれませんね。

範頼は、兄の頼朝に謀反の疑いをかけられ、伊豆の修善寺に幽閉された後、殺害されたとされています。しかし実は、歴史史料上も、「殺された」というはっきりした記述はありません。そのため誅殺されたとも自害したとも伝えられており、謎に包まれているのですが、範頼と石戸の関わりが出てくるのはこの部分です。
石戸の範頼伝説では、範頼は修善寺から石戸の地に逃れて隠れ住んだとされています。そして、逃れる際に突いてきた杖を立てると根付いて桜の木になり、それが蒲ザクラであると伝えられているのです。範頼は、蒲御厨(かばのみくりや・現在の浜松市蒲)で生まれたため、自らを「蒲冠者(かばのかじゃ)」と称していました。つまり、蒲ザクラの「蒲」は蒲冠者の「蒲」なのです。

範頼が杖をポンと立てると、根付いて桜の木になったとか。その後、範頼が手で植えた、兜をかけた、馬をつないだ、実は墓標である等、さまざまな伝承に変化したそうです。

範頼には亀御前という娘がいましたが、彼女は早くに亡くなってしまい、範頼は娘の供養のために阿弥陀堂(東光寺)を建立したと言われています。なお、石戸から2キロほど北の高尾では、亀御前は範頼の妻とされており、伝承が変化しています。

蒲ザクラの傍らにある東光寺の阿弥陀堂。お兄さんといろいろあって大変だった範頼も、最後はこの地で静かに暮らしたのだと信じたいですね。
源範頼についてはこちらの記事でもご紹介しています。

古より残る板碑のかずかず
刻み込まれた歴史と信仰の跡

昔の蒲ザクラの写真を見ると、根元に平らな板が重なっているように見えます。こちらは鎌倉時代の武士が建てた板碑(いたび。板石塔婆とも呼ばれる)です。この板碑は、今は東光寺の横にある収蔵庫に保管されています。
※普段は公開されていないので、見学を希望される場合は北本の教育委員会に連絡する必要があります。

大正時代の石戸蒲ザクラ。五大桜の一つにふさわしい風格があります。

昔の蒲ザクラの写真では、根元に板碑が所狭しと並んでいます。
※木を保護するため、今は収蔵庫にあります。

板碑の中には、かつて日本最古といわれた貞永2年(1233)の銘を持つものも。県指定文化財にもなっているこの塔の表面を見ると、中央部分に阿弥陀を意味するキリークなどの梵字が刻まれており、それを囲うように円や半円などが並んでいます。文字だけを記したのではなく、周囲の円なども含めて何かのモチーフのようにも見えますが、これは一体、何を意味しているのでしょうか?

板碑はいずれも緑泥片岩(りょくでいへんがん)という石材が使われています。中央が貞永の板碑。

この板碑の正面の模様は特殊で、全体を梯子状の区画で囲んでいます。梯子で例えれば、空洞部分に梵字や文字が刻まれており、二本の縦木の部分に円と半円が並んでいます。縦木と横木が重なる部分に半円が位置します。このことから、梯子の部分は帯を重ね合わせたもので、半円は、円が上位の帯に隠されたために半分になったのだと考えらえます。そして、このような形態の区画は、仏具の幡と一致しているので、この板碑は幡をモチーフにしているのだと推測できるのです。
なお、半円が円の一部が隠れたものであれば、円は仏教美術に見られる丸い球の文様、「連珠文」であると考えられます。

貞永の板碑をアップ。梯子状(赤い囲み)の中央の空洞部分に梵字などが刻まれ、縦木と横木にあたる部分に円や半円などの文様が見えます。

刺繍三昧耶幡(七) 鎌倉時代・13~14世紀 奈良国立博物館 重要文化財
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/
※奈良国立博物館蔵の幡。貞永の板碑とは、ぱっと見の雰囲気も似ていますね。恐らく制作年代も近いと推測されます。

※幡(ばん、はた)…仏や菩薩の威徳を示すための仏具。法要や葬儀の時に、寺院の境内や堂内に立てる飾り布を指す。古代インドの軍旗を源流としており、材質的には布製が多い。

東光寺には、他にも幡をモチーフにしていると思しき板碑が二基あります。蒲ザクラは、いくつもの供養塔を立てて祈りを捧げたいという人々の思いをかきたてるのでしょう。古より、蒲ザクラの花見に来ていた人々は、根元にある板碑を見るたびに、気持ちが浄化されるような気持になったのではないでしょうか。

重厚な板碑のかずかず。かつて人々の信仰の象徴として蒲ザクラの根元に並んでいました。
北本の人々の心の拠り所でもあったのかもしれませんね。

さまざまな花々の中で、とりわけ人の心を動かすサクラ。北本の石戸蒲ザクラは、源範頼という貴人の伝説を伝える無二の名木で、かつて置かれていた複数の板碑も、蒲サクラが昔から人心を動かしてきたことを示しています。ところで、板碑が仏具の幡をモチーフにしているというのは、研究の結果判明したことです。もしかすると蒲ザクラには、範頼の死と同様に、まだまだ判明していない謎があるのかもしれません。

蒲ザクラの根元の石塔は、範頼の墓であるとされています。緑に苔むして、風情があります。

蒲ザクラは一時期樹勢が弱り、枯死寸前とまで言われたこともありましたが、たくさんの人の努力によって、今は見事な花を咲かせるまでに復活しました。天然記念物をはじめ、伝承や伝説も、伝える努力や守ろうという気持ちがなければ廃れてしまいます。深い由緒を持つこの木がずっと守られ、知られていない事実が解き明かされるとともに、これからもたくさんのロマンを生み出していくことを願ってやみません。

お地蔵様が蒲ザクラを見守っていました。赤い帽子がキュート。
いつまでも蒲ザクラが咲き続けますように。

石戸蒲ザクラ・板石塔婆 基本情報
住所:北本市石戸宿3-119 東光寺境内
電話番号:048-594-5566(文化財保護課)
アクセス:JR北本駅西口から北里大学メディカルセンター行きバスで15分、「北里大学メディカルセンター」バス停下車、徒歩約5分
料金・営業時間・休日:見学自由 
*詳細はこちら(北本市公式HPより)

取材協力:磯野治司(埼玉県北本市役所 市長公室長)
参考文献:大法輪閣『大法輪』第76巻6号

「連載 北本奥の細道」

第一回 東京へ向かうのになぜ“下り”?埼玉県北本市「中山道」謎を紐解くぶらり旅
第二回 0歳の赤ちゃんが富士山にのぼる?江戸時代から続く初山参りと浅間山信仰
第三回 武蔵国を駆け抜けた鴻巣七騎とは?岩付太田氏と家臣団をつなぐ岩槻街道を歩く
第四回 塩(しょう)がなかったら高尾へ行け。関東ローム層、大宮台地の最高地点はここだ

▼範頼も登場する大河ドラマ『鎌倉殿の13人』関連書籍はこちら
鎌倉殿の13人 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

書いた人

哲学科出身の美術・ITライター兼エンジニア。大島渚やデヴィッド・リンチ、埴谷雄高や飛浩隆、サミュエル・R.ディレイニーなどを愛好。アートは日本画や茶道の他、現代アートや写真、建築などが好き。好きなものに傾向がなくてもいいよねと思う今日この頃、休日は古書店か図書館か美術館か映画館にいます。