Travel
2021.11.13

名物料理と露天風呂も満喫!江戸時代の一大イベント「大山詣り」を登山初心者が体験してきた

この記事を書いた人
この記事に合いの手する人

この記事に合いの手する人

「なんで、こんなことをしてるんだ……」
何度、そう思ったことか、わかりません。いや、ずーっとそう思いながらの山登り。しかも、くもり、ときどき霧の中。寒い、なのに汗だく。
それでも、鳥居が見えた! その先に建物がある! ついに頂上だっ、とテンションはあがったものの、想像通りの視界不良……。

ここは神奈川県伊勢原市の名峰・大山(おおやま、1252m)。本当は写真のように富士山が眺められたはずなのに(写真は大山の中腹に下社、山頂に本社がある大山阿夫利神社から借りました)。

でも、よく考えると、この雲しか見えない風景も大山ならでは、なのかもしれません。

神社の名称「阿夫利(あふり)」は「雨降り」に由来するといわれます。山頂の本社境内には「雨降木(あめふりのき)」も。そしてまた、中腹にある寺も「雨降山(あぶりさん)大山寺(おおやまでら)」。そもそも、大山の別名は「雨降山(あふりやま)」ともいわれます。

古代より大山は、山岳信仰の地であり、雨乞いの信仰の地でもあり、そして江戸時代には年間20万人もの参拝者が「大山詣(まい)り」に訪れた一大観光地でした。

年間20万人ってスゴい!

麓には参詣者を迎えた宿坊が、今も数多く並んでいます。今回は、創業1600年(関ヶ原の戦いがあった年!)の宿坊、東學坊を訪問。登山、参拝のあとは、名物豆腐料理と露天風呂が待っています!

大山阿夫利神社からは江の島が間近に見える

大山へは、小田急線伊勢原駅北口から大山ケーブル行のバスに乗車。約30分で終点・大山ケーブルバス停に到着しますが、大山ケーブル駅はそこから約15分、こま参道と呼ばれる石段の坂道を上がります。参道の両側には土産店などが並び、名物の「きゃらぶき」や知恵や金が“まわる”縁起物の「大山こま」が売られています。

こま参道。27ヵ所ある石段の踊り場にはこまが描かれている。大きいこまは10。なので、ここは18ヵ所目
こまで表すって、面白いですね!

大山の全体図。さまざまな山歩きルートがある

大山ケーブルカーは20分毎に出発。中間駅の大山寺駅には約2分、山上の阿夫利神社駅には約6分で着きます。駅を出て、石段を上がると大山阿夫利神社(下社)の境内。標高は約700mです。境内からは、海と江の島が意外と近くに見えます。曇り空でしたが、その形ははっきりとわかりました。

大山阿夫利神社(下社)境内からの眺め。中央にぼんやりと見えるのが江の島

拝殿と御守などが並ぶ授与所との間には「大山名水入口」の看板があります。奥に進むと、龍の口から名水が流れていて、そこで口にすることも、ペットボトルを購入して汲むこともできます。

今から2200年以上の昔に創建されたとされる大山阿夫利神社。山頂では、祭祀に使われたと思われる縄文土器などが出土していますが、「当時の人びとの信仰の遺物であるとする説と、後世の修験者たちが宗教祭祀を行うために持ち込んだものとする説とに分かれ、未だに決着をみていない」(『大山詣り』川島敏郎/有隣堂 2017年)とのこと。文献上に大山が初めて登場するのは、奈良時代中期の『万葉集』だそうです。

大山阿夫利神社(下社)の拝殿。右に小さく開いているのが「大山名水入口」
そんなに長い歴史が…….。

とにかく、大昔から霊山として崇敬を集めてきた大山。その歴史については、あとで触れるとして、本社のある山頂を目指します。「入山祓所」で安全を願い、「登拝門」をくぐり、午前10時、いよいよ登山へ。しかし、そこには、登山者の本気度を試すような急な石段が目の前に立ちはだかっていたのでした。

ひたすら急な岩場を登り続ける

いや、そんなこと言ったら登山好きの人たちには笑われるのでしょうね。でも、この石段を上がるだけで、すでに息があがってしまう。山頂を目指す気持ちも萎えてくる。登山に慣れていない人間にとって、このスタートはツラすぎるのです。

この階段を見たら、私も怯む~

石段を登りきると、木々に囲まれた山道へと入っていきますが、ごつごつとした岩場のやや急な道が続いていきます。すでに「ハァー、ハァー」いってますから、キツい。山のガイドブックには「登りやすい」と書いてあったものもあったはず。いつものことですが、ふだん登山をする人たちと自分の感覚は少々(だいぶ)違うようです。

足元の標石には「3丁目」の文字が。コピーしてきたガイドブックを読むと、頂上は「28丁目」……。「丁目」というのが高さを基準としているのか、距離を基準としているのかわかりませんが、とにかく、あと残り25丁目。曇り空を見上げたまま無言になります(それまでも無言だけれど)。何も考えずに、一歩一歩岩場を踏みしめ踏みしめ、1分もたたずに立ち止まって休息。そのうち、10歩でひと休み、5歩でひと休み、という状況に。たまに飲む水が、とにかくおいしい。

3丁目ってあるけど、まだ、まだ頂上には遠いんですね。辛いなぁ。


頭の中には「戻ろうかな」という言葉が浮かびます。が、来た道をふり返ると、結構高いところに上がってきている。20分ほど登ってきたので、当たり前ですが。仕方なく再び登ると、しばらくして「夫婦杉」が現れました。左右同じような巨木がそびえています。樹齢は500~600年とのこと。木の根元にはお札やお金が置かれています。「へぇー」とだけ思って、さらに先へ。

10時50分頃には「天狗の鼻突き岩」に到着。岩に天狗が鼻で開けたような穴が開いています。ガイドブックには、神社(下社)からここまで所要35分となっていますから、だいぶオーバー。「でも、どうでもいいや」と半ばヤケになりながらも、歩くと16丁目に。

蓑毛(みのげ)方面との分岐地点で、「十六丁目追分の碑」が建っています。この石碑は1716(享保元)年に建てられたらしく、高さは3m68cm。麓から強力たちが担ぎ上げてきたそうです。スゴすぎる……。

どうにか山頂へ!

この分岐点から山道を眺めると、それまでとは少し雰囲気が違ってややゆるやかな登り道に。板が敷かれた道も続きます。登山に慣れてきたためか、歩くのもだいぶ楽になりました。とはいっても、ところどころ岩場のキツい場所はありますが。そして、「富士山の眺めがすばらしい」とガイドブックに書かれた「富士見台」へ。もちろん、なんにも見えません。

富士山が見られなくて残念ですが、霧がかった様子が、ちょっと神秘的。

富士見台からの眺め。かなたに富士山がある、はず

富士山の方角(おそらく)を眺望して、すぐに登山続行。これまでのような急な坂はほとんどなくなります。最後の分岐点に到着すると、看板には「大山山頂300m」の表示が。ようやく、あとどれくらいか具体的にわかり、大きくひと息つきます。もちろん、その300mも決して“楽”ではありませんが、ゴールが近づいていて気分はだいぶ“楽”です。

すると、鳥居が見えました! でも、その先にはまだ山道が。しかも、なかなか険しい登り坂。それでも、少し歩いて目を上げると再び鳥居が見える。その向こうには、うっすらと神社らしき建物が見える。「!」声にならない声が出ます。鳥居をくぐり、ようやく頂上へ。時刻は11時30分。1時間30分かけて登り切りました。そして、水がおいしーい。

ヤッター!一緒に頂上に到達した気分!

御祭神をお参りして下山

シーズン中などは売店が開いている頂上ですが、この日は閉まっていました。登山客もいません。

本社には、山の神、水の神であり、海運の神、酒造の神としても信仰され、富士山の御祭神・木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)の父君である大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)。鳥居近くの前社には、水の神、高龗神(たかおかみのかみ)。奥社には、雷の神の大雷神(おおいかずちのかみ)がそれぞれ祀られています。奥社の扉は開いていたので、お参りしてしばらく休憩。

本社の近くに枝を広げる雨降木も間近で見学。この木につねに露が滴っていたことから雨降り山といわれるようになったと伝えられるそうです。うっすらと霧のかかった山頂の風景は、この木にふさわしいような気がしました。

なんだか精霊が宿っていそう!

ここからは途中、見晴台を通って大山阿夫利神社(下社)へと続く別ルートを下ります。見晴台までは1時間10分、そこから神社までは30分ほどの行程。山頂から下り始めると、山道の風景が違います。ほぼ岩場が続いた登山時とは異なる、高原のような眺めです。登山道にも木道が続いていたり、かなり整備されています。

「こちらから登った方が楽だったか……」と思いつつも、距離は登ってきたルートの約2.2kmに対し、こちらは約3.2km。下山途中、登山客グループとも3、4回すれ違いましたから、見晴台経由の登山ルートの方が人気なのかもしれません。「まぁ登山に変わりはないから、どっちもどっち」などと考えていたら、突然、5mほど前を「ざざっ」と1頭の鹿が駆け抜けていきました。奈良の鹿よりひとまわり大きくて、びっくりです。

ええっ!!野生の鹿と遭遇?まるでジブリ映画の世界!

そういえば、途中すれ違った登山客は熊よけの鈴をつけていました。「熊出没注意」の看板もよく見ますから、やはり身近な山でも、山は山。また、整備された山道の下山といっても、滑落に注意しなければならない場所も結構あります。登山時にはいろいろと注意が必要です。

しばらくすると、視界も開け、街並みが見えてきました。見晴台に着いたのは、山頂を出発して約1時間後。ここからの道のりはほぼ平坦です。修験者などがみそぎをしたとされる二重瀧を過ぎると、10分ほどで大山阿夫利神社の境内の下に到着。時刻は午後1時20分をまわったところ。およそ3時間半の大山登山を無事終えました。

見晴台。後ろの山が大山。眼下には街並みが広がる
無事に下山できて、やれやれですね~

江戸っ子は木太刀をかかえ大山阿夫利神社へ?

太古より霊山として栄えた大山阿夫利神社。源頼朝をはじめ武士たちの信仰も篤かったとされます。源頼朝は平家打倒のため挙兵する際、神社に太刀を納めたと伝えられます。江戸時代になると「講」というグループを作って大山へ参詣する「大山詣り」が盛んとなり、最盛期に年間20万人が訪れたのは前述のとおりです。

源頼朝が太刀を納めた話は江戸庶民にも広く知られていて、木太刀を納める「納太刀(おさめだち)」の習慣もありました。最初は小さな木太刀がほとんだったようですが、そこは江戸っ子、次第に大きくて“粋”な太刀を納めるようになりました。

別名「雨降山」の大山には、水に関係した職業である火消しや鳶(とび)などの「講」が多く、彼らは競って大きな太刀を納め、中には6~7mもある木太刀を納めた例もあるそうです。彼らの姿は浮世絵や歌舞伎に取り上げられています。

国輝「大山参詣日本橋之図」。いざ大山へ出発という掛け声が聞こえてきそう(画像提供:伊勢原市教育委員会)
太刀を担ぐ姿が、粋ですね!

豊国「大當大願成就有が瀧壷」。参拝者たちは中腹にある滝で身を清めてから参拝した。職人たちにとっては彫り物を披露しあう場でもあったという(画像提供:伊勢原市教育委員会)

大山は江戸に近い(といっても70km以上ありますが)ことから人気があったわけですが、「大山詣り」に出かける道は「大山街道」と呼ばれました。「大山街道」はいくつかあり、その代表は国道246号線、通称「246」。青山、渋谷、三軒茶屋を抜けて神奈川へと続く“おしゃれ”なイメージがある「246」を、かつては大きな木太刀をかかえた江戸っ子たちが、大山を目指していたのです。

現在は「納太刀」の風習を復活させる活動も行われている(画像提供:大山阿夫利神社)

大山は間もなく紅葉のシーズンを迎える(画像提供:大山阿夫利神社)

大山阿夫利神社

弘法大師も住職を務めた大山寺

大山を訪ねたなら、ケーブルカーの中間駅から徒歩3分の大山寺にもぜひ立ち寄りましょう。大山寺は、もともと大山阿夫利神社(下社)の場所にありましたが、明治の廃仏毀釈により現在の場所に移りました。大山には寺社も数多くありましたが、これらも廃仏毀釈で失われてしまいました。

大山寺は755(天平勝宝7)年、奈良の東大寺を開いた良弁僧正によって開山されました。良弁僧正は相模(現在の神奈川県)の国の生まれ。晩年、大山へ登ると、五色の光を放つ不動明王を山上で発見し、奈良へ戻って聖武天皇の許しを得て東大寺を離れ、大山に伽藍を整えたとされます。

その後、大山寺の第3世住職となったのは弘法大師(空海)。弘法大師が開祖という寺院は多いものの、住職を務めた寺は珍しいそうです。弘法大師により数々の霊所が開かれ、「大山七不思議」として今も見どころとなっています。

「大山七不思議」のひとつ「爪切地蔵」。弘法大師が自らの爪で一夜にして彫ったと伝えられる。高さは2m以上。1652(慶安5)年の作とされる

江戸時代に入ってからは、春日局が家光のため大山にこもり、家光が世継ぎとなるように不動明王に祈願したとされ、のちに家光は「寛永の大修理」と呼ばれる大山寺の造営に着手。大山寺は全盛期を迎えました。

大山寺の紅葉も見事(画像提供:一般社団法人伊勢原市観光協会)

大山寺

紅葉の時期に立ち寄るのに、良さそう!

2016年「大山詣り」は日本遺産に

ところで、「大山詣り」は落語にもなっています。ただし、大山詣りの様子は描かれてません。大山詣りをした帰り、「講」のみんなとの約束を破って喧嘩騒ぎを起こしてしまい坊主頭にされた熊さんが、ひと足先に江戸へ戻って復讐をくわだてるという噺。そのサゲ(おち)には「?」と感じる人も多いかもしれません。古今亭志ん生のものなど、図書館などで借りられると思いますので、ぜひ聴いてみてください。

この落語を聴くと、江戸時代に大山詣りが流行したことが、リアルに感じられます!確かにオチは???江戸時代の人ならではの大らかな終り方!

大山での描写がなくても「大山詣り」が大人気だったことは、落語があることでもわかります。この「大山詣り」は2016(平成28)年4月、日本遺産に認定されました。認定タイトルは「江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣り」~」です。

東學坊で至福のひとときを

「大山詣り」における「講」などの参詣者をもてなすのは、先導師とよばれる宿坊の主人たち。以前紹介した御岳山の御師と同じような役割です。大山には40軒以上の宿坊がありますが、訪ねたのは創業1600(慶長5)年の東學坊。ご主人は19代目の相原秀美(ひでみ)さんです。

「御坊料理」という豆腐懐石で有名な大山の宿坊でも、自家製の豆腐を使っているのは東學坊だけ。豆腐づくしのメニューは季節ごとに変わります。また露天風呂があるのも東學坊の魅力。食事をすれば、風呂は無料で利用できます。

大山の良質な水を使って豆腐が作られる(画像提供:東學坊)

料理は多彩な「膳」が用意されている(画像提供:東學坊)

山を歩いたあとの露天風呂は何よりもうれしい(画像提供:東學坊)

「山歩きや参拝をしたあとに、露天風呂に入って、御坊料理を楽しまれるお客様が多いですね」と相原さん。

大山に登り、大山阿夫利神社や大山寺を参拝してから東學坊でゆっくりとくつろぐ……。まさに至福のひとときを過ごせます。
東學坊

わー!最高のご褒美ですね!江戸時代の人も、温泉や食事を楽しんだのでしょうね~ 行ってみたい!

11月半ばから紅葉シーズンとなる大山。いよいよ1年でもっともにぎわう季節を迎えようとしています。

書いた人

1968年、北海道オホーツクの方で生まれる。大学卒業後、アフリカのザイール(現コンゴ)で仕事をするものの、半年後に暴動でカラシニコフ銃をつきつけられ帰国。その後、南フランスのマルセイユで3年半、日本の旅行会社で3年働き、旅行関連を中心に執筆を開始する。日本各地や都内の路地裏をさまよい歩く、または右往左往する日々を送っている。

この記事に合いの手する人

幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。十五代目片岡仁左衛門ラブ。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。