Fashion&きもの

2026.10.16

家康の孫娘、朝廷内で武家ファッションを流行らせる。寛永の着物はクセが強いんじゃ!

江戸初期の寛永(かんえい)は、知る人ぞ知る自由なファッションが盛り上がった時代だ。当時の着物や髪型について、泉屋博古館の学芸部長、実方葉子(さねかた・ようこ)さんに聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室を、国宝級の茶室に見立て抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

教科書に載っていない?戦後バブルに沸いた江戸初期・寛永カルチャー

給湯流:「江戸時代の文化」といえば、江戸中期の元禄時代を思いうかべます。徳川将軍3代の家光が活躍した寛永時代はスルーしがちですが……。

▲寛永時代文化の旗手、仁清の作品。/鶏撮丸香炉/野々村仁清/泉屋博古館東京

実方:歴史の教科書では元禄文化が大きく取り上げられますが、寛永は時代の大きな転換期、文化的エネルギーが爆発した期間。寛永文化(※1)は、俵屋宗達、本阿弥光悦、狩野探幽、野々村仁清など、きら星のような芸術家たちが活躍しました。彼らはみんな京都が拠点です。そんな寛永文化をもっと知ってもらおうと、京都をあげて様々な活動をしています。

給湯流:寛永はざっくりいうと、どんな時代で?

実方:1615年の「大坂夏の陣」によって戦乱の世が終わり、まだ10年余りしか経っていない時代。長年の戦乱で、大量の浪人や戦争孤児たちが京都の街にもあふれていたのです。厭世的で、社会の規範からはみ出した人々もいたと思います。

給湯流:戦後の混乱が生々しく残っていたのですね。

実方:そんななか、今からちょうど400年前の1626年に江戸幕府が挙行した一大イベント「二条城行幸(にじょうじょうぎょうこう)」が開催されました。後水尾(ごみずのお)天皇が、徳川家の二条城へ招かれ5日間にわたり豪華で優雅なもてなしをうけるというものです。特に初日、天皇一家が城へむかう行列は、都の話題をさらいました。

▲二条城行幸図屏風/泉屋博古館 パレードの観客が、一人ひとり違うファッションで描かれた超力作!

給湯流:泉屋博古館が所蔵する「二条城行幸図屏風」が、そのパレードのようすを描いているのですね。

実方:5日間、古式ゆかしい音楽や芸能で天皇をもてなす催しが開催されました。この短期間のもてなしのために、幕府から莫大な資金が投入され、京都は行幸バブルに沸き立ったのです。

※1:寛永文化……寛永年間(1624~1644)から17世紀後半にかけて花開いた文化

革パンツでロックだぜ!寛永の着物はクセが強い

給湯流:屏風には、パレードの見物にきた観客の服装も細かく描かれています。寛永時代のファッションは、かなりクセが強い?

▲パレードを見に来た遊女の髪型がファンキー。/二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

実方:行幸というきわめて稀な機会に、みな着飾って見物にでかけたといいます。この時代、町人が経済力をつけ、富裕層が豪華な小袖(こそで)を着るようになります。また、遊女やかぶき者、社会の軌範からはみだし異様な風俗で町を闊歩するやんちゃな男性たちが、新しいヘアスタイルや着こなしを生み出しました。安土桃山時代以後、日常着だった小袖が豪華な晴れ着になる流れは、江戸初期にいたり飛躍的に拡大していきます。ちなみに小袖は古く平安時代には貴族の下着でした。

給湯流:え!小袖って、下着だったのですか?

実方:動きやすい小袖は庶民の日常着となり、鎌倉時代以降、武士階級が台頭するにつれ、それがだんだん格式ある衣服となっていきました。鹿の革でできた袴(はかま)も流行しましたよ。

▲鹿の革でできた袴をはくイケメン!柄もオシャレ。(中央の前髪がある男性)/二条城行幸図屏風(一部)

給湯流:革パンツをはいてロックだぜ、みたいなノリでしょうか?

実方:革袴(かわばかま)は、武士が甲冑の下に着た機能的な衣類。鹿革は職人がていねいになめしており、履き心地が良かったといいます。

給湯流:戦闘モードで街を闊歩!パンクすぎます。

実方:作業着として生まれた頑丈なデニムが、後に若者たちのファッションアイテムになった過程と似ている、と個人的に考えています。

まるでヤンキー特攻服?文字が入ったド派手着物が流行

給湯流:屏風の中に、文字を派手にあしらった着物の観客がいます。黒地に金色の文字で「君」「君」「君」……。これはすごい(笑)。

▲「君」「君」「君」……もはや狂気的だ。/二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

実方:寛永時代、漢字や和歌の文字をいれた文字柄の着物が大流行しました。

給湯流:ヤンキー“特攻服”の「夜露死苦」が想起されます(笑)。

▲衿(えり)に、平安時代のイケメン貴族・在原業平(なりわらのなりひら)の和歌、「唐衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」の一部が書かれている。(中央、オレンジ色の着物をきた女性)愛しい妻を都に残し、左遷で遠くの田舎まで移動した際に詠んだとされる。古今和歌集に収録。/二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

実方:文字柄を最初に着こなした層のひとつは、遊女。寛永時代、位の高い遊女は古典の和歌を学び、高い知識をもちました。ほかにも豪商の奥様たち、町人の富裕層も和歌の教養が必須。和歌の一節を散りばめた着物で「この和歌、続きを知ってる?」と粋な遊びを仕掛けていたわけです。

給湯流:ヤンキーとは教養の次元が違った!大変、失礼いたしました。

寛永の髪型がカオス!若いイケメンが謎の“バーコード”ヘア

給湯流:あれ?屏風に、変な髪型の男性がいませんか?

▲え?どういう髪型?(緑色の着物で背を向けている男性)/二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

実方:立髪(たてがみ)といいます。頭頂部の月代(さかやき)を剃り上げつつ、前髪だけ残したスタイル。この人は、それを後ろになでつけていますね。

▲ボサボサに前髪が乱れています(笑)/二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

給湯流:全然かっこよくない……。失礼な言いかたですが……おじさんの髪型「バーコード」のようにみえます。どの点が当時、人気だったのでしょう?

実方:前髪は元服前の少年の証。いい年になっても元服しない、できない浪人もいたようですね。「大人でもない、子どもでもない」曖昧な立場を表現しています。既存の社会の枠組みには納まらないぞ、という反骨精神、自由な感覚が象徴されているのでしょう。

給湯流:なんと!“バーコード”にそんな深い意味があったとは。

家康の孫娘は、朝廷内で武家ファッションを流行させた

給湯流:ところで、家康の孫娘、東福門院(とうふくもんいん ※2)は大量の小袖を発注したとか?

▲東福門院像/源秀飛/京都・光雲寺

実方:そうです。東福門院、徳川和子(まさこ)は2代将軍・秀忠と、浅井三姉妹の末娘・お江(ごう)の間に生まれた姫君。信長や家康と血が重なり合う超絶サラブレッドです。家康は、彼女が幼い時から「この子を将来、天皇に入内させる」と決め、他の姫とは異なる特別な教育をさせたようですよ。

給湯流:特別なプリンセス!

実方:祖父・家康の胆力や、母方の浅井三姉妹が持つ力強くしなやかな気質、人を惹きつける魅力を彼女はもっていたのではと想像します。

給湯流:熱い!そして当時の天皇、後水尾天皇のもとへ嫁いでいくのですね。

※2:東福門院…入内前の名前は徳川和子。入内直後は中宮和子(ちゅうぐうまさこ)と呼ばれ、後に東福門院となった。

尾形光琳の実家「雁金屋」と東福門院がしかけた、朝廷ファッション革命

実方:東福門院は幕府から莫大な予算をもらい、京都の最先端デザインを誇る呉服屋に大量の小袖を注文しました。その呉服屋は、後に琳派の大スターとなる尾形光琳(おがたこうりん)の実家、雁金屋(かりがねや)です。

給湯流:光琳の実家は太かったと聞きかじっていたのですが、本当にすごい実家だ!

実方:雁金屋は、街の流行を察知しつつ、天皇家にふさわしいエレガントなデザインをうみだしました。雁金屋が「皇室の象徴である菊の模様を片側に大胆に寄せて、こんな文字を刺繍するデザインはいかがでしょう?」などとプレゼンし、東福門院が「それ、素敵ね」と採用。そんな流れだったのではないでしょうか。

▲雁金屋と東福門院のコラボで作られた小袖。雁金屋の『御用雛形帳』のデザイン画をもとに考証された。/波に網目模様小袖 (復元)/関西学院大学博物館

給湯流:時代のトップクリエイターとトップパトロンのコラボ。聞いただけで鳥肌がたちました。東福門院が発注した小袖の復元、めちゃくちゃかっこいいですね。

実方:「山」と「水」、漢字が斜めに配置され非常に斬新。朝廷が好む伝統的な装束の概念を軽々と吹き飛ばす、攻めたデザインです。東福門院は寛永4年の1年足らずの間、200着近い膨大な発注をした記録が残っています。

給湯流:200着!

実方:彼女は自分用だけでなく、朝廷で働く女官(にょかん)たちに、小袖を惜しみなくプレゼントしました。

幕府の“アメとムチ”政策の裏で……ファッションが平和を支えた?

実方:当時の幕府による朝廷政策は、アメとムチ。お金に困る朝廷に莫大な献上金を与える一方で、天皇が政治に介入することを制限し、「天皇や公家は学問だけしていなさい」という政策をとりました。

▲後水尾法皇像(一部)/真敬法親王/京都・法常寺

給湯流:朝廷側に「徳川、調子にのりやがって!」と腹を立てた人もいそうですね。

実方:徳川から朝廷に嫁いだ姫は、超絶アウェイ。東福門院は当初、女官から強い反感も買ったでしょう。そこで東福門院が利用したのが武家発祥ファッション「小袖」だったのかもしれません。

給湯流:武家の文化である小袖を、大人気デザイナーに作らせてプレゼントした!

▲東福門院と同時代と思われる小袖デザイン。大胆なレイアウトがかっこいい!/白統地扇文字の丸模様小袖屏風/国立歷史民俗博物館

実方:このような目にも美しい小袖をプレゼントされたら、武家を嫌う女官でも嬉しいし、着てみたくなりますよね(笑)。東福門院は小袖をひとつのコミュニケーションツールとした。それも一因として女官たちの心を解きほぐしたと思います。夫・後水尾天皇とも奇跡的に大変仲良くしていたようです。

給湯流:もし東福門院が朝廷でうまく立ち回れず、幕府と朝廷の対立が深まったらまた戦乱の世になっていたかも。その後の元禄文化は花開かず、蔦屋重三郎が出版する世界線もなかったかも!

実方:壮大な仮説ですね!幕府と朝廷の対立が深刻になれば、少なくとも京都は衰退したでしょう。大げさにいえば、東福門院がファッションを通じて朝廷と幕府の架け橋となった。そんな側面もあったと想像します。

給湯流:ファッションと政治が結びつくとは、想像もしていなかったです。興味深いお話をありがとうございました。

アイキャッチ:二条城行幸図屏風(一部)/泉屋博古館

寛永行幸四百年祭

寛永3年(1626年)、後水尾天皇が徳川家の二条城へ招かれ豪華で優雅なもてなしをうけた「寛永行幸(かんえいぎょうこう)」。「寛永行幸」から400年の節目を迎える令和8年(2026年)、京都の美術館や博物館、寺院などで寛永をテーマにした展覧会が秋から冬に開催されます。「寛永行幸」の行事を再現するイベントも実施!ぜひ足をお運びください。
https://kaneigyoko400.jp/event/

泉屋博古館

●寛永行幸四百年記念 特別展 寛永行幸と花の都の文化びと
https://sen-oku.or.jp/program/202609_splendidparade400/
会期 2026年9月5日(土)〜10月18日(日)
開館時間 10時~17時(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日(9月21日、10月12日は開館)、9月24日(木)、10月13日(火)

●特別展 没後100年記念 住友春翠-仕合せの住友近代美術コレクション
https://sen-oku.or.jp/program/202610_shunsui100/
会期 2026年10月31日(土)~12月20日(日)
開館時間 10時 ~ 17時(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日(11月23日は開館)、11月24日(火)

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給湯流茶道

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!
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