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2020.02.28

出世魚とは?種類や順番、名前が変わる理由など、意外な豆知識を徹底解説!

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成長するにつれて名前が変わる、いわゆる「出生魚(しゅっせうお)」と呼ばれる魚がいるのをご存じでしょうか。戦国時代は身分が低くても、武士の家系でなくても、才能があれば出世することができた時代です。魚の世界にも、出世するための厳しいルールがありました。

出世魚と呼ばれるようになった理由、成長の順番、出世魚になれなかった魚などについて詳しく解説します!

魚だって出世したい! 「出世魚」と呼ばれるようになったワケ

「出世魚」とは、稚魚から成魚までの成長段階において、異なる呼び名を持つ魚の総称です。

江戸時代までは、武士や学者は現在の成人式にあたる元服を迎えると、名前を幼名から大人の名前に改め、着るものも替えて、社会の仲間入りをすることを祝いました。また、地位が上がる、世間に名が知られる身分になるなど、出世の折々で、身分に応じた改名をする風習もありました。

このような風習になぞらえて、成長するにつれて呼び名が変わる魚のことを「出世魚」と呼ぶようになり、縁起物として、お祝いの際の贈り物にも使われるようになったと言われています。ただし、「出世魚」になるためには、成長して呼び名が変わるだけではだめで、魚の世界独自の出世のルールがあるのです!

成人すると名前が変わる、あるいは出世をすると名前を変えるという風習は、現代の私達にはあまりピンとこないことかもしれませんが、江戸時代までは、当たり前に行われていたことでした。

例として、戦国武将の一人であり、江戸幕府を開いた徳川家康の呼び名の変遷をみてきましょう。
三河国の土豪である松平氏の第八代当主・松平広忠の嫡男として天文11(1543)年1月31日に岡崎城で誕生した時につけられた名前は「竹千代」でした。

幼少期を織田氏、次いで今川氏の下で人質として過ごし、弘治元(1555)年、今川氏の下で元服。今川義元から「元」の字をもらい、「松平元信」となりました。
永禄元(1558)年、「元信」の「信」が織田信長につながってしまうため、祖父・松平清康から「康」をもらい、「松平元康」と改名。
さらに、桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、今川家は衰退。永禄6(1563)年には、「元」を廃し、「松平家康」に改名。「家」は、源義家から取ったと言われています。
永禄9(1566)年、従五位下三河守に叙任され、「徳川」に改姓。「徳川家康」となったのです!

名前を変えるという風習は、歌舞伎や落語などの伝統芸能の世界に「襲名」という形で残っています。
2020年5月の十三代目市川團十郎白猿襲名が話題になっていますが、七代目市川新之助、十一代目市川海老蔵を経て、十三代目市川團十郎白猿を襲名します。歌舞伎役者として成長していく節目で、名前を変えるということが現在でも行われているのです!

出世魚御三家、呼び名はこう変わる!

出世魚の御三家と言えば、ブリ、スズキ、ボラですが、魚体の大きさは厳密なものではなく、呼び名も地方によって多少異なります。

ブリ

名前の由来は、江戸時代の本草学者であり儒学者でもある貝原益軒(かいばら えきけん)が「脂(あぶら)多き魚なり、脂の上を略する」と語ったことから、ブラとなり、ブリに転訛したものだとか。また、漢字の「鰤」の字は、ブリの旬である師走の寒ブリに脂がのって、特においしくなることから、「師」と「魚」を組み合わせたとも言われています。

ブリは出世魚の一つで、成長するにしたがって名前が変わります。4年で全長70㎝くらいに成長し、それ以上を「ブリ」と呼びます。
東京付近では、小さい順に、「ワカシ(ワカナゴ)」→「イナダ」→「ワラサ」→「ブリ」、大阪付近では、「ツバス」→「ハマチ」→「メジロ」→「ブリ」、九州では、「ワカナゴ」→「ヤズ」→「ハマチ」→「メジロ」→「ブリ」→「オオブリ」と呼びます。

「いなだ・ふぐ・梅」(『広重魚尽』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

ブリは代表的な出世魚であり、ほぼ日本全国の海に生息している魚です。日本人にとって、ブリは食文化の観点からも馴染みの深い魚と言えるでしょう。このため、他の出世魚では、関東地方と関西地方、あるいは東北地方での名前の違いがあるのに対して、ブリだけが各地方での呼び名が非常に細かく異なっています。
なお、養殖ものを天然ブリと区別してハマチと呼ぶ場合もあるとか。
英語では「yellowtail」と言います。

「ブリ起こし」は豊漁の前兆

北陸地方では、ブリの漁期の始まる12月から1月にかけて、寒冷前線の通過があると積乱雲が表れ、雷が発生します。地元では、この雷はブリの豊漁をもたらす前兆であると喜ばれ、「ブリ起こし」と呼ばれています。
寒冷前線が通過する前後には、海底の泥土が潮流で攪拌されて海中に濁りが発生。漁師はこれをヌタと称していますが、このヌタには海底に沈殿していた魚の餌が豊富に含まれており、 回遊してきたブリは、ヌタを目当てにして沿岸に接近してくるので、ブリの大漁が期待されるのです!
ブリは、回遊する通路に定置網をはって漁獲しますが、定置網は、歴史的に建刺網から台網、大敷網、大諜網、落網と改良され、技術の進歩につれて漁獲量も増加しました。

「塩ブリ」は正月の必需品

ブリは、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラルなどが豊富で栄養に富んでおり、極めて優れた食品です。旬は冬で、古くから「寒ブリ」を最上のものとしました。
この寒ブリに塩をした塩ブリは、関西地方では、歳末の贈答に用いられるほか、元旦に神社に供えた後、切り身として氏子の無病息災を祈って配られるなど、昔は正月用の肴として必需品でした。

東の鮭、西のブリ

食文化の観点からは、ブリは西日本の食文化を代表する魚として、東日本の鮭とよく比較されます。一般的には、年越しに食卓に上がる「年取り魚」は、長野県あたりのフォッサマグナを境に、東は鮭、西はブリが圧倒的に優勢と言われています。
加賀藩では、初代前田利家の時代から年取り魚として歳暮にブリを贈る風習がありました。現在でも、富山県や石川県の海岸部の地域を中心に、結婚した年の暮れに出世魚のブリにあやかり、嫁婿の出世や嫁ぶりがよくなることを願って、嫁の嫁ぎ先にブリを贈り、婚家から半身を嫁の実家に送り返す「歳暮ブリ」の習慣が残っているそうです。

ちなみに、新潟県の佐渡は、日本海の寒ブリが獲れることや北前船による交流があったことから、ブリを食する文化が広まっており、食文化圏の飛び地となっているのです!

スズキ

スズキの名前の由来には諸説あります。
貝原益軒が書いた語源辞書『日本釈明』(元禄13(1700)年刊行)には、

その身白くてすすきたるように清げなる魚なり

とあります。この「ススキ」が「スズキ」に転訛したと言われています。漢字では「鱸」と書きますが、「盧」には「ならぶ」という意味があり、スズキは「えらの並び方に特徴のある魚」と言えるでしょう。

江戸時代前期の医師、本草学者・人見必大(ひとみ ひつだい)によって書かれた『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1692 (元禄5)年刊行)は、「本草綱目」に依拠しながら魚貝類などの庶民の日常食糧について解説したものですが、この本では、

黒い色を盧という。この魚は白い生地に黒い章がついており、魚偏に盧と書いて鱸となった

とあります。

出世魚と言われるスズキは、東京付近では「コッパ(10cm)」→「セイゴ(25㎝)」→「フッコ(35㎝)」→「スズキ(60㎝以上)」→「オオタロウ(老成魚)」と呼びます。静岡県・浜名湖付近では、小さい物から「セイゴ」→「マタアカ」→「オオマタ」→「コウチ」→「チウイオ」→「オオチュウ」→「オオモノ」と呼びます。
スズキは日本各地の沿岸で漁獲されますが、ブリほど地域による呼び名の違いがありません。英語では「sea bass」と言います。

「すゞき・金目鯛・しそ」(『広重魚尽』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

スズキは、古くから縁起の良い魚、出世を象徴する「吉兆の魚」とも言われており、『平家物語』には、

平清盛が安芸守だった頃、船にスズキが飛び込んで、この吉兆の後、ついに天下をとった

という記述があります。

ボラ

ボラは「腹太(はらぶと)」とも言われ、太腹(ほぼら)が転訛したと言われています。
養老4(720)年に完成した『日本書紀』には、ボラについて、「口女(くちめ)」「名吉(なよし)」として出てきます。「口女」は口に特徴のある魚「口魚」の意味、「名吉」は成長するにつれて名前が変わる出世魚で、めでたい魚という意味からついたと言われています。

ボラは、稚魚から成魚まで段階別に各地で様々な名称で呼ばれおり、東京では、「ハク(2~3㎝)」→「オボコ、スバシリ(3~18㎝)」→「イナ(18~30㎝)」→「ボラ(30㎝以上)」と呼びます。そして、特に大きくなったボラを「トド」と呼びます。
ボラ類は英語で「mullet」と言いますが、本種は「grey mullet」「striped mullet」「common mullet」などと呼ばれています。

「ぼら・椿」(『広重魚尽』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

珍味・カラスミ

ボラの卵巣を塩漬けにして乾燥させたものを「カラスミ」と言い、漢字では「唐墨」「鯔子」と書きます。その製法は、トルコ、ギリシアで考案され、約400年前に中国を経由して日本に伝わったと言われています。

天正11(1588)年、肥前(佐賀県)の名護屋で、長崎代官が豊臣秀吉に野母(長崎県)のカラスミを献上しました。秀吉にその名を聞かれた時に困り、中国の墨石に似ていることから、とっさに
「唐墨でござる」
と即答し、その名前が広まったとのだとか。

知っていました? この言葉、ボラが語源なんです!

ボラは、江戸っ子に最も親しまれた出世魚ですが、ボラが語源の言葉があることを知っていましたか?

おぼこ

まだ世間のことをよく知らず、世慣れていない未成年ことを「おぼこ」と言います。「おぼこ」は「御坊子」の訛で「産子(うぶこ)」が転訛したものとも言われています。

青二才

「青二才」は、年が若く、経験の浅い年若い男を、あざけりや謙遜の気持ちを込めて言う言葉です。「青」は未熟なこと、「二才」は、ボラの幼魚を「二才」「二才魚」と呼んだことに由来すると言われています。

いなせ

「いなせ」は、江戸・日本橋魚河岸の若者の間で流行した髪型「鯔背髷(いなせまげ)」に由来する言葉で、粋で勇み肌でサッパリしている様子、または、その容姿やそのような気風の若者を「いなせ」と言います。
ボラの若い時の名「イナ」の背のように、平たくつぶした髪形を「鯔背髷」と呼び、江戸時代の魚河岸の粋な多くの若者が結んでいました。

歌川豊国(三代)「東海道五十三次の内 日本橋 松魚売」 国立国会図書館デジタルコレクション

とどのつまり

ボラがさらに成長すると、最後に「トド」と呼ばれること、もうこれ以上は大きくはならないという意味から、「挙句の果て」「結局」「ついに」を意味する「とどのつまり」という言葉が生まれました。
海獣のトドではありません。

泡を食う

「泡を食う」とは「とても驚き慌てる」ということ。驚いて、慌てふためく様子を表す慣用句です。
江戸時代の地口(=言葉遊び)に

泡を食って育つは鯔の子ばかり

というものがあります。川を遡上してくるボラやイナが、泥に頭を突っ込んで餌を食べる様子が、泡を食べているように見えたことからきており、ボラの遡上は江戸時代にはありふれた光景であったことがわかります。

残念! 大きくなっても「出世魚」と呼ばれない魚達

成長するにつれて呼び名が変わっても、「出世魚」とは呼ばれない魚もあります。
逆に、呼び名が変らなくても、その魚にまつわる伝説や故事、あるいは容姿、動作、色彩、模様、繁殖力、効用、または呼び名の語呂などを採りあげて縁起を担ぎ、祝儀に用いられる魚もあります。これらは「出世魚」と区別して、「縁起魚」と呼びます。

コイ

国語辞典で「出世魚」の項を見ると、「コイ」が載っています。コイは登竜門の伝説から出世魚と呼ばれることもありますが、成長しても呼び名は変わりません。

「鯉」(『広重魚尽』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

登龍門の伝説

中国では「登龍門の伝説」という伝説があります。中国の大河・黄河のはるか上流に「龍門」という伝説の地があり、そこに泳ぎ着いた鯉が龍門の急流の滝を飛び越えると「龍」になるという伝説です。「龍門の鯉」は、立身出世という意味です。
鯉は淡水の王と言われ、特に滝登りの鯉の様子は好んで描かれてきました。
 

小原古邨「鯉」

コイは「長命の魚」

コイは「長命の魚」とも言われています。普通は30年ほど生息しますが、70〜80年を超えるものもいるとか。

出世の象徴「鯉のぼり」

毎年5月は、鯉のぼりの季節です。
江戸時代には武家が家紋や鐘馗(しょうき)の絵を染め抜いた幟を立てるのに対して、町人は、滝を登ろうとする鯉を「出世の象徴」として5月5日の単語の節句に鯉のぼりを立て、男子の成長を祈りました。鯉は多産であること、鯉は口許に歯がなくて喉に鋭い歯があり、胃袋がなくて食道が腸に直結しているため消化吸収が早く、発育がよいので、子どもの成長を祝福するという意味もありました。

文様としては、「鯉の滝登り文」がおめでたい文様として用いられています。
滝を登る姿をモチーフにしたこの文様は、立身出世への願いがより強く込められているのです!

マグロ

マグロを出世魚と呼ぶかどうかについては、意見が分かれています。
マグロも、小さい時はメジやチュウボウと呼ばれ、成長に伴って呼び名が変わります。漁師達は、成魚になる前のマグロを段階的に呼び分けますが、店頭に並ぶ際は、多少小型でも、「マグロ」という呼び方に信頼感があるようで、あえて出世魚として扱わない傾向があるそう。
なお、地域により異なりますが、マグロと呼ぶのは50kg以上というのが一般的です。

冷蔵技術が発達していなかった江戸時代、赤身のマグロは傷みが早く、敬遠されていました。現代では超高級食材のトロも、脂ばかりで猫も食べないということで、「猫マタギ」と呼ばれていた時期もあったとか。

また、マグロの別名「シビ」が「死日」と通じるので、縁起が悪いということで武士達からは敬遠されていました。この「縁起の悪さ」が、マグロがあまり出世魚と呼ばれない理由のようです。

コノシロ

コノシロを出世魚と呼ぶかどうかについても、意見が分かれています。
コノシロは、「シンコ」→「コハダ」→「ナカズミ」→「コノシロ」と呼び名が変わっていきますが、ブリやスズキと違い、コノシロでも15cm〜20cm程度。コハダは10cm弱程度の小さな魚です。

実は、コノシロは、小さい方が人気で商品価値が高い魚です。
寿司を食べるときは、コハダを「最初に食べるのが通」という人もいるくらい、江戸前の寿司ネタではおなじみの魚です。たいてい酢で締めて食べますが、海辺の地域では刺身も食べるとか。
コノシロになると、骨が太く硬くなり、非常に食べにくくなるため、骨が細くて柔らかいシンコやコハダが重用されています。

真イワシ

真イワシも、成長するにつれて「シラス」→「カエリ」→「コバ」→「チュウバ」→「オオバ」と呼び名が変わっていきますが、出世魚とするかどうかは意見が分かれています。
それは、真イワシは「足の速い魚」で鮮度落ちが早く、日持ちがしないからです。
真イワシのほか、サバやアジなどの魚は、「持ちが悪い」が悪く、出世しても残念な結果となるため、出世魚とは呼ばないというものです。

「鯵・車海老・蓼」(『広重魚尽』より) 国立国会図書館デジタルコレクション

「出世魚」は、姿も味わいも変化します!

「出世魚」と呼ばれる条件として重要なのは、成長にともなって味が変化しておいしくなり、姿かたちも立派になるということが挙げられます。そしてもう一つ、縁起がいい魚でなければダメなのです!
成長して大きくなるだけはダメで、呼び名が変わるだけでもダメ。実は、「出世魚」になるのも、簡単ではなかったのですね…。

主な参考文献

書いた人

秋田県大仙市出身。大学の実習をきっかけに、公共図書館に興味を持ち、図書館司書になる。元号が変わるのを機に、30年勤めた図書館を退職してフリーに。「日本のことを聞かれたら、『ニッポニカ』(=小学館の百科事典『日本大百科全書』)を調べるように。」という先輩職員の教えは、退職後も励行中。