「嘘をついたら地獄に落ちて、閻魔様に舌を引っこ抜かれるよ!」
幼い頃にそんな話を聞かされませんでしたか? 私もこの話が凄く怖くて、嘘は一生つかないぞと誓ったものです。え? その誓いが今も守られているかって? それはまあ置いといてですね。
「嘘」というのは、どこまでを指すのでしょうか。人を傷つけたり、財産を騙し取ったりするような嘘はもちろん犯罪ですし、罪から逃れるためにつく嘘も罪になります。
では人を傷つけないため、守るためについた嘘はどうでしょう? さらに、人を楽しませるためについた嘘は?
人を楽しませるためにつく嘘。現代ではそれは「小説」「マンガ」「アニメ」「映画」「ドラマ」「バラエティ」などの様々な創作作品やエンターテイメントとして存在し、表現の自由の元に、誰でも自由に作って発表できます。
けれど、昔の日本ではそんな「物語」すらも「罪深い嘘」と扱われ、楽しむことを批判された時代がありました。その最大の槍玉に挙げられたのが『源氏物語』です。
紫式部が地獄に落ちた!?
平安時代、日本には「仏教の教えこそが至高」という思想がありました。
「日本はお釈迦様の出身地のインドから遠く離れているので、仏の加護が薄いのでは?」「末法の世(1052年以降)になって、さらに加護が薄くなるのでは?」という考えがあり、まじめに仏教を学ぶ人が増えたからです。
仏教の教えを守る事を第一と考えて、そうでない者は罪深いと僧侶たちは説きました。その中でも特に基本的な5つの戒律に「嘘をついてはいけない」というものがあります。これが拡大解釈され、虚構の物語や詩歌は煩悩そのものであり、これを作る者・楽しむ者は堕落しているという意見が出ました。
平安時代末期に成立した仏教説話集『宝物集(ほうもつしゅう)』や、鎌倉時代中期の説話集『今物語』では、「紫式部は『源氏物語』という嘘を広めて多くの人の心を惑わしたために、地獄に落ちた」という話が収録されています。
しかも源氏物語にドはまりしたら同じように地獄に落ちると考えられていて、その罪を償うために出家し、写経をする「源氏供養」という儀式もありました。
現代で、もし「物語の影響で人に迷惑をかけるなんてけしからん! だから物語を作る事も、それを楽しむ事も罪とします。違反したら罰金か禁固刑ですよ!」と言われたら、「ちょっと待て!」と怒って立ち上がる人はけっして少なくはないでしょう。
それは昔の人も同じです。ましてや『源氏物語』のファンは当時の著名人にもたくさんいたのですから。
物語は素晴らしい! 表現の自由を守れ!
「紫式部は地獄行きだ! 源氏物語を読んではいけない!」
平安時代から鎌倉時代にかけて、このような風潮が主流でした。源氏物語ファンですら紫式部が地獄に落ちていることが前提で、彼女にどうにか地獄から救い出そうと写経をしたり、祈りを捧げたりしました。
けれど当時の知識人の中には、「地獄に落ちた紫式部」に対して、理論的に反論を試みて救済しようと人たちもいます。彼らの代表的な反論を見てみましょう。
反論1.「そもそも紫式部は、本当に地獄に落ちているの?」
平安時代末期に成立した歴史物語『今鏡(いまかがみ)』では、「紫式部が地獄に落ちた」ことに言及して、「そんなわけがない」と反論しています。
「こんなに素晴らしい物語を書いたのが、ただの人なわけないでしょう? むしろ紫式部は観音様の化身だよ!」
現代でも、素晴らしい創作者を指して「神」と評することはありますが、昔からそうだったんですね。
そういえば、今や「漫画の神様」と評されている手塚治虫も、何度も「こんなマンガはけしからん」と批判されていましたね。歴史は繰り返すというものでしょうか。
一見、熱烈なファンの感情的な反論にも見えますが、そもそも紫式部が地獄にいるという論拠が「物語を書いた事」ですから、観音様の化身であるという論拠も「物語を書いた事」で十分という、いわゆる「ミラーリング論法」かもしれません。
もしこれに「紫式部は地獄にいるんだ。観音様の化身と言うならその証拠を出せ」というのなら、「ではまず、あなた方が紫式部が地獄にいる証拠を出してみてください」となります。どちらも物的な証拠は示せませんからね。
反論2.「お坊さんも物語を使ってらっしゃいますよね」
平安時代末期の歌人に藤原俊成(ふじわらの としなり)という人がいます。藤原定家の父で、『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』の編集長として知られる人物です。本人も数々の和歌論の本を書き残しています。
彼の和歌は古い歌や物語を引用して膨らませるものが多く、その中にはもちろん『源氏物語』もありました。むしろ「歌詠みならば、『源氏物語』を読んでおくべきだ」と言ったといわれているほどです。
その歌風に現れる「幽玄」「艶」といった趣向は、和歌だけでなく後世の能や茶道にも通じ、まさしく日本文化の礎を築いた人物でもあります。
そんな彼が記した和歌論書『古来風体抄(こらいふうていしょう)』に、この「物語は罪である」という当時の風潮に対しての反論が、こんな風にされています。
「確かに仏教から見たら物語や詩歌は煩悩ですよ。でも、だからこそ仏教の入り口として認められなければいけないものだと思います」
当時、比叡山延暦寺に澄憲(ちょうけん)というお坊さんがいて、彼の説法はめっぽう面白と評判でした。なんで面白いかというと、物語の技術を使っているからです。
時には驚かせ、時には悲しませ、怒らせたり、喜ばせたりと、大いに人の心を動かす物語は、何があっても心を動かさない事を目指す仏の道とは相反するものです。けれど仏の道を広く説くには「物語」は有効である。それを実践しているのは、ほかならぬ僧侶たちではないか、という事です。
また、「物語」と同じく、大きく動かされた心そのものを詠む「和歌」も仏教から目の敵にされていましたが、著名な歌人の中には有名なお坊さんが多々いることも、俊成は指摘しました。これは僧侶もタジタジになっちゃう見事な反論ですね。
私は日本の現代人なので更に「そもそもお釈迦様の話として伝わっていることだって全部本当のことなんです?」って疑問に思っちゃいますが……さすがに宗教に対して、生半可にそこへ切り込むのはやめておきます。多分、俊成さんもそこはあえて指摘しなかったのでしょうね。
反論3.「多分、お釈迦様が日本に生まれてたら和歌を詠んでたんじゃないですか?」
また、この物語や詩歌を下に見る風潮に異議を唱えた人の中には僧侶もいました。
その1人は鎌倉時代中期の僧で、『沙石集(しゃせきしゅう)』という説話集を書いた無住(むじゅう)です。
無住は仏教の説話にある『清水観音(きよみずかんのん)』を例にあげます。清水観音は人々の夢に現れては、和歌でお告げをする観音様です。和歌が仏教で忌むものだというのなら、なぜ清水観音は歌を詠むのかと指摘します。
そして「仏教は多くの国に広まった教えです。その布教には言葉の壁があったはず。その言葉の壁を乗り越えて、現地の言葉で語ることが重要です。和歌が日本の文化として根付いているのだから、観音様だって我が国にやってきたのなら、和歌ぐらい詠みますよ」と論じます。
そして、無住は「もしもお釈迦様が日本に生まれていたら、陀羅尼(だらに)は和歌になってたでしょうね」と言いました。陀羅尼とは、般若心経でいうところの「羯諦羯諦(ぎゃーてい ぎゃーてい)」「〇〇薩婆訶(そわか)」の部分です。
この部分はお釈迦様の出身地の母語、サンクリット語の音をそのまま使っています。お経自体も中国語なので呪文のようですが、漢字を読めばなんとなく意味は解ります。しかしこの部分は当て字なので、漢字からは意味が解らず、ますます呪文のようです。
無住が主張したのは「もしお釈迦様が日本生まれだったらこの部分は和歌になっていて、世界中の仏教徒が日本語で和歌を唱えていたでしょう」ということです。
もしそうなっていたら、法要で木魚のリズムに合わせて、みんなで一斉に和歌を詠みだす事になるのでしょうか。ちょっとその状況、見てみたいですね。
あなたは、えっちな表現をどこまで許せる?
源氏物語が槍玉に挙げられるのは「嘘の話だから」というだけではありません。「えっちな話」であることも問題にされていました。仏教の戒律には「淫らな行為に耽ってはいけない」というものもあるからです。
「淫らな行為をしまくっている男がモテモテでいい思いしてるなんて仏の教えに反している! 紫式部は淫らな行為を推奨しているし、読む人をえっちな気分にさせているから、地獄に落ちるほどの大罪人だ! 源氏物語もこれ以上人に読ませるわけにはいかない!」というわけです。
しかし、これにも中世の教養人たちは「光源氏はたしかに淫らな行為をしまくっているが、その後に必ず報いを受けている。ということは紫式部だって因果応報を意識して源氏物語を作ったはずだ。仏の教えに則った物語なので罪があるわけがない。そもそも光源氏は実在していないのだから、光源氏が物語の中でどのような行いをしたとしても現実的な罪にはならない。よって源氏物語を楽しむこと自体に問題はない」というような反論を展開しました。
……これ、本当に800年前の論争なのでしょうかね。つい最近も似たような論争を見かけたような気がします。
現代で槍玉に上がるのはマンガやアニメですが、戦前ぐらいまでは源氏物語の性表現がどこまで許容できるかは度々議論となっていました。
もともと「源氏物語はえっちな話」という認識があったところに、明治以降はキリスト教的な価値観も加わります。性的なものは更に厳しい批判の対象となってしまい、『源氏物語』はとうとう「いかがわしい悪書」と扱われてしまいます。
もちろん「現代的な価値観で中世の価値観を断罪すべきではない」という反論者はいましたが、「源氏物語なんてただのエロ本だ」という意見は、明治以降の知識人・教養人の間で主流となってしまったのです。
しかし戦後になると、キリスト教的な価値観から脱却を図る「性の解放運動」が日本にもやってきました。「えっちな事の何が悪いのか? 男性も女性も等しく、性を自由に楽しもう」という主張です。
そして人気の女性作家たちが堂々と「ただのエロ本」なはずの『源氏物語』について語ったり、現代語訳やマンガ化されたことにより、再び源氏物語が大人気となります。そこから文学的・歴史学的な価値が再評価され、「ただのエロ本」から「古典文学」として復活しました。
現在、紫式部はどこにいる?
中世から現代に至るまで多くの議論を巻き起こした『源氏物語』。その批判と擁護の歴史は、そのまま日本における表現の自由を求める戦いの歴史です。地獄に落ちた紫式部を救う事は、創作者が表現の自由を勝ち取る事と言えるでしょう。
現在、性表現と表現の自由で議論が起こっている作品たちも、ひょっとしたら数十年後には『源氏物語』のように「素晴らしい古典作品」と評価されているかもしれません。マンガでは既に手塚治虫作品がそのように扱われてますね。
紫式部は歴史の中で、地獄に落とされたり観音様の化身と言われたりしていました。そして現在は、どこにいるでしょうか。
きっと多くの人のイメージでは天国でのんびり読書をしたり執筆活動しているはずです。けれど今までの歴史を見てわかるように、その評価も永遠ではありません。数百年・数十年後に紫式部がまた地獄に落ちてないと良いですね。
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