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Culture
2021.10.17

名古屋、最強にロックだぜ!「やっとかめ」から尾張名古屋300年の芸能文化を紐解く!

この記事を書いた人

「やっとかめだな~」「やっとかめだなも~。ゆっくりしてチョー」といった会話は、カメたちの会話ではありません。ほんのひと昔前に、名古屋で普通に使われていた言葉です。訳すと「すっごい、久しぶり」「本当、ひさしぶりだよね~!ゆっくりしてね~」というもので、この不思議な名古屋弁「やっとかめ」は「八十日目ぐらい長い時間」であることから、「久しぶり」という意味で使われるようになったといわれています。ちなみに「チョー」は最近の若者言葉である「チョーかわいい~」などとは違い、名古屋弁の「チョーダャー(ちょうだい)」の省略形です(発音の難易度が高いです)。例えば、「やってチョー」「見てチョー」「食べてチョー」などのように使います。

自分は生まれも育ちも名古屋なのですが、初めて「やっとかめ」を聞いた時どういう意味か全然わからなかったです笑

芸能文化が色濃く残る町・名古屋

あまり知られていませんが、名古屋は独特の方言を始め、江戸時代以前からの伝統的な芸能文化が色濃く残る町です。名古屋に芸能文化? 名古屋に文化なんてあるの!という人も多いですよね。かつて「文化不毛の地・名古屋」という汚名を着せられた時期もありましたが、実は深くて、長い歴史があるのです。

この古き名古屋弁を冠につけた「やっとかめ文化祭」が、名古屋を中心に注目を集めています。約1か月半もの間、町中のあちこちで、伝統芸能やら街歩きやら、講演やら、まさにごちゃまぜ的に芸能文化を楽しもうという市民中心のお祭りなのです。

「やっとかめ文化祭」のホームページにはこんな言葉が書かれています。

「江戸時代、尾張徳川家のもとで大きく花開いた名古屋の芸能。狂言をはじめとするさまざまな芸事を先人たちはおおいに愛し、暮らしのなかで愉しんできました。
 (中略)
まちじゅうが舞台の『芸どころ・旅どころ・なごや』の祭典。今年も、リアルとオンラインを自在に行き来しながら時空がつながるまち巡りを楽しみませんか。」

壮大なテーマを掲げた時空を行きかうイベント! ならば日本文化の入り口マガジンである和樂webでも、その内容を突き止めなければと「やっとかめ文化祭」のディレクターであり、名古屋をどりの西川流四世家元西川千雅さんと名古屋の伝統文化継承に尽力する安田文吉教授に名古屋の魅力と共にお話を伺ってきました。

安田文吉南山大学名誉教授(左)と西川流四世家元西川千雅(右)

伝統芸能を支えてきた尾張名古屋のパワー

——「芸処名古屋」というのは、愛知県以外の人にはあまり知られていないと思うのですが、名古屋が芸処と言われる所以はなんだったのでしょうか。

安田:芸能文化が育つ土壌には、「演じる人」、「見る人」、「支える人」がいないと続かないんですね。特に「支える人」というのはいろいろあって、経済で支える、唄や三味線、囃子などの地方(じかた)で支える、三味線やバチといった道具を作る職人で支える、その材料を作る人で支える、というようにこれらが全部揃わないと芸能は維持できないんです。こういった人たちがいっぱいいたのが尾張名古屋でした。そもそも木曽の豊かな山々があり、そこから流れ出る木曽山川があり、肥沃な濃尾平野と自然に恵まれた土地で、生産性も高く、物を作ればすぐ売れる場所だった。最初から国力があったんですね。だからヤマトタケルの神話でも、尾張は東征じゃなくて、ミヤズヒメとの成婚。ミヤズヒメのところに熱田神宮のご神体ともなっている草薙剣(くさなぎのつるぎ)を置いていったことに由来する。尾張と戦ったら損だと思った大和朝廷が、かなり気を使っていたってことの証なんです。

実母が常磐津節の師匠であり、幼い頃から西川流で日本舞踊を習うなど自ら伝統芸能を体現

西川:いきなり大和朝廷まで遡ってしまいましたが、尾張名古屋は、古くから豊かな国で経済力もあり、芸能を支える土壌があったということなんですよね。

安田:そう、そこに目を付けたのが、戦国時代の今川義元と徳川家康。今川親子を滅ぼしたのは織田信長親子ですが、信長は天下を取るためには京へ近づくことが重要と、どんどん居城を移し、尾張を離れてしまった。しかし徳川家康は天下を取った後に尾張に名古屋城を作ったわけです。ここがポイントで、名古屋城は戦のための城じゃない。経済活動の拠点のために作った城だった。その象徴があの金鯱なんです。

——初代尾張藩主の徳川義直の正妻となった春姫との婚儀もとても派手だったんですよね。今で言えば新居にあたる名古屋城の本丸御殿もものすごく絢爛豪華で、戦国の世が収まり、この世の春の象徴だったんですね。

安田:徳川家康は、関ヶ原の戦いの前に、唐でバイブルとされた帝王学、「貞観政要」を活字にして印刷し、家来に配っていたという記録があるんです。関ヶ原の戦い以前に、もはや戦いには勝つと見て、戦乱後のその先をどう治めるかにについて考えていたんです。

西川:そうやって世の中が安泰になり、尾張名古屋も徳川家康の経済戦略で潤うようになり、人々の間には楽しみ、享楽が生まれ、江戸時代は各地でも芸能が盛んになっていった。

伝統芸能の家に生まれながら、小学校からインターナショナルスクールに通い、NYの美術大学でアートを学ぶ異端児
さすがは天下人を生み出した土地。名古屋城の本丸御殿も先ごろ復元されたばかりですよね!

尾張藩主・徳川宗春が江戸幕府へ反乱?

安田:中でも尾張名古屋にはその地盤が強かった。だから、家康が江戸幕府を作ってからおよそ100年後の享保の時代、江戸は財政難で大変なことになった時にもゆとりがあった。徳川吉宗が行った享保の改革は、質素倹約で締め付けが厳しく、人々は大変苦しんでいたけれど、当時の尾張藩主・徳川宗春は、倹約なんてやっててはダメだ。酒は飲むな、物は食うな、芸は見るなでは、金が回っていかない。それで歌舞伎も遊郭も奨励しましたから。

西川:今の時代とちょっとかぶりますね。人々のエネルギーが失われていくと、町にも活気がなくなるということですよね。

安田:宗春は、政の要として1731(享保16)年に、自らの政策を21カ条にまとめた「温知政要」を書いたんです。その中の第9条で、「節約は大切だが、ただ節約するだけでは、いつのまにか無慈悲な政治になり、人々が苦しむことになる」と書いているんです。それで、規制緩和をどんどんやって、禁止されていた武士の芝居見物を解禁し、名古屋各地に約60もの芝居小屋を作りました。歌舞伎、浄瑠璃、見世物をどんどん奨励し、江戸とは真逆に繁栄していった。そのため尾張名古屋はハイパーインフレになる一歩手前になったが、宗春は市中に出回る金を引き締めるため借金をして、そのお金で人々を雇い、浪人や町人に仕事を与え、報酬を払ったんです。人々がお金を持つことで町は豊かになる。そうやって町人も職人も力をつけていった。お金を持つ町人がいたから、芸能文化を支えられたわけで、尾張名古屋の繁栄は町人力なんです。だけど、好き勝手やりすぎたから江戸幕府からはにらまれ、宗春を良く思わない一部の家臣たちから反乱を受け、失脚してしまうんです。

——なんか和樂webにも似たような長がいますが(笑)。そういう人がいないと芸能文化は広がっていかなかったんでしょうね。それにしても宗春はすごく先進的な人だったんですね!

安田:人命尊重、死刑廃止論も掲げた人で、宗春時代には死刑を一件も出さなかった。宗春の時代に有名な心中未遂事件が起きたんですが、この二人は宗春の計らいで、3日間さらし者にされただけで、許され、結婚したんです。当時、心中は死罪を問われるほどのものだったのにです。さらにこの話のすごいところは、男は畳屋職人で、遊郭で馴染みとなった遊女と一緒になれないならと心中事件を起こすんですが、遊郭で馴染みとなるには相当なお金が必要。ということは、尾張名古屋の職人はそれぐらいお金を持っていたということでもあるんです。これが「名古屋心中」として評判になり、浄瑠璃の太夫で豊後節(ぶんごぶし)の始祖と言われた宮古路豊後掾(みやこぶんごのじょう)が新作浄瑠璃を書き、江戸でも上演されました。宗春が失脚後は、名古屋心中から生まれた豊後節も全面禁止になってしまうんですが。ただ、その後、江戸にとどまって作った豊後節から、新内節(しんないぶし)や歌舞伎や舞踊に欠かせない常磐津節(ときわづぶし)が誕生し、そこからまた、富本節、清元節が生まれたんです。そういう意味では、長唄、義太夫、語り物の大本は、名古屋発だということになります。

西川:文楽にも影響を与えていたと言われる「からくり人形の仕掛け」も名古屋発祥ですしね。宗春が失脚しても、商人も農民も含めて町人が豊かだったから名古屋は伝統芸能がその後も栄えた。名古屋は昔から民衆によって新しいものが生まれる土壌だったんです。それが現代にも続いていて、パチンコも、出会い系喫茶も、地下アイドルも名古屋発(笑)。不思議な組み合わせで新しいものを生みだす土地柄ですよね。西川流でも代々家元が自分たちで劇団作ってみたり、歌手の振り付けをしたり、ショーをやってみたり、既成概念を取っ払ったことをやってきましたしね。

「あんこ+クリーム」「あんかけ+パスタ」「とんかつ+味噌」など、たしかに不思議な組み合わせばかり…笑

やっとかめ文化祭のルーツは江戸時代から続く町人文化

——市民の祭りが1カ月半も町中で行われる「やっとかめ文化祭」のルーツも、江戸時代から脈々と続いている町人文化ということなんですね。

西川:「やっとかめ文化祭」はみんなで作っているお祭りで、誰かが主導しているわけではないんです。いろいろな人がごった煮的に参加していく。各流派が競い合うことも芸を磨くうえでは大事なことですが、文化を拡散させるためには、勝手に真似をする民衆がいるんです。文化って政策ではないし、「クールジャパン」を掲げたからできるものでもないんですよ。民衆の中から出てきて、真似をする人たちが出てきて、どんどん広がっていく。そういう民衆のエネルギーみたいなものなんです。

「やっとかめ文化祭」では伝統芸能が気軽に楽しめるよう価格設定もリーズナブル。能や狂言の世界を3,000円で楽しめるのは初心者にもうれしい

——プログラムを見ると、伝統的な能や狂言、常磐津に、ストリート歌舞伎や尾張の太鼓、お座敷ライブといった現代風にアレンジした伝統芸能もありますね。まさに多様性の世界。

西川:ストリート歌舞伎も歌舞伎役者ではなく舞踊家やいろいろな人を中心にプロではない人たちが演じています。名古屋には独自のロック歌舞伎やむすめ歌舞伎があり、そのOB・OGが指導にあたってくれたり、市民の人材が豊富。私も「ナゴヤカブキ」をプロデュースしていますが、歌舞伎ものがルーツだとしたら、信長、秀吉、家康の時代から、歌舞伎踊りがあり、スピリッツは名古屋生まれ、「カブキモノ」でいればいいと思っています。それでカタカナで「ナゴヤカブキ」と付けました。

ナゴヤカブキとして人気を誇る名古屋山三郎一座によるアクロバティックなオリジナル歌舞伎も

世界的なジャズ歌手であるケイコ・リーが、和楽器と一緒に歌ってみたいと、和と洋がつなぐジャズのステージも名古屋能楽堂で行われます。その他、昔からお座敷芸として芸妓がお座敷で披露する「しゃちほこ踊り」に市民がチャレンジするイベントもあります。名古屋は、あんとトーストを足して「あんトースト」を作るように、もともとあるものにどんどんのっけて、さらに新しいものを生みだすプラス文化なんです。

名古屋の芸妓が習得必須とされているしゃちほこ踊りの最後のポーズ。やっとかめ文化祭では「芸妓に教わる着物でしゃちほこ芸」のイベントも

——喫茶店のモーニングもどんどんプラスされて、コーヒーにトーストにサラダや卵だけでなく、うどんやお味噌汁をつけるところもありますもんね。

しゃちほこ踊りの写真のインパクトよ…笑

モーニングで有名な名古屋の喫茶店は抹茶文化に由来!

安田:抹茶文化も名古屋は独特で、尾張藩に来るとまずは抹茶で迎え、能でもてなしていた。名古屋城には能舞台もありましたよね。その習わしが武士から町人、そして農民にまで広がったのが喫茶文化です。1829(文政12)年には「文武両道の妨げになる」と抹茶禁止令が出るんですが、そんなことには意を介さないのが名古屋市民で、当時、碁茶乱(ごちゃらん)が流行っていたんです。碁は囲碁、茶は抹茶、乱は乱舞と、尾張には流行りものがあると言われるぐらい盛んだった。今でも名古屋では10時と3時にお抹茶を飲むという習慣が残っているところもあります。

西川:「碁茶乱」って、「ごちゃごちゃ」や「ごちゃまぜ」の語源かもしれないですね。

——「碁茶乱」面白い! それで名古屋には喫茶店が多いんですね。

安田:そうなんです。喫茶店は「まぁ、よういりゃした(よく来てくれた)抹茶でもどうぞ」ともてなしていたのが、「喫茶店でもどうぞ」になって、お客さんを連れていくようになったんです。抹茶の代わりがコーヒーになり、自宅から喫茶店になった。名古屋では、そもそも抹茶は式作法ではなく、団らんを楽しむものだったんです。

西川:茶の湯を支えた名古屋には、大らかな抹茶文化があったんですよね。そういう意味でも名古屋は伝統文化というより、誰もが楽しめる大らかな芸能文化が合っているなと思います。それを体感しにぜひ、名古屋に来て「やっとかめ文化祭」を楽しんでいただけたらと思います。

——B級グルメが流行ったり、戦国武将たちがアイドルになったり、自分たちで現代流にアレンジして受け継がれていく―まさに芸能文化のパラレルワールド。そのパワーの源を受け継いだのが「やっとかめ文化祭」と言えます。コロナ禍で閉塞感漂う今の日本には「何でも楽しんじゃおう」というごちゃまぜのエネルギーが必要な気がします。名古屋市民だけではなく、オンラインなども使って、全国の方に名古屋文化を楽しんでもらえたらと思いました。そして次の次の次ぐらいに「徳川宗春」で大河ドラマを作ってほしいです! 今日はパワーあふれる面白い話をありがとうございました。

徳川宗春の大河ドラマ、観てみたい!!

プロフィール
安田文吉:1945(昭和20年)11月名古屋市生れ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程修了後、南山大学文学部専任講師、助教授を経て、教授となり、2014年(平成26)年3月定年退職後、東海学園大学人文学部特任教授、現在、同大学客員教授。南山大学名誉教授。常磐津節を中心とする歌舞伎・浄瑠璃研究及び名古屋文化研究をライフワークとする。伝承文学研究会会員、日本歌謡学会常任理事、東海近世文学会代表、名古屋芸能文化会代表、全国地芝居連絡協議会顧問を務める。

西川千雅:名古屋を中心に約170年の歴史を持つ日本舞踊流派・西川流四世家元。NYの美大で絵画・映像・彫刻など現代美術を学び卒業。舞踊出演・指導のほかラジオ出演やコラム執筆、「ナゴヤカブキ」や「戦国武将隊」をはじめ、「あいち戦国姫隊」名古屋市「やっとかめ文化祭」など多彩なプロデュースを行う。

やっとかめ文化祭 2021 時をめぐり、文化を旅する、まちの祭典

能や狂言などの3つの「名古屋舞台」、19の専門家による「まちなか寺子屋」、39の「まち歩きなごや」と開催期間中、名古屋市内で芸能文化が楽しめる祭りとなっている。
■開催期間:2021年10月23日(土)~11月14日(日)
■会場:名古屋能楽堂他、名古屋市内
やっとかめ文化祭

安田先生のご著書では名古屋の文化をもっとディープに解説してくださっています。ぜひ↓↓↓


なごや飲食夜話 単行本

書いた人

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。