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Culture
2022.04.01

現代の日本でしか楽しむことのできないお花見のカタチ【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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この時期になると身を縮こめていた寒い冬の時期を忘れてしまうくらい、華やかでのびのびとした春の訪れを感じます。それは桜が示し合わせたかのように一度に咲き誇ることも影響しているのではないでしょうか。「彬子女王殿下と知る日本文化入門」では、彬子女王が桜守の佐野藤右衛門さんから教わった桜にまつわるエピソードや現代の私たちだからこそできる暦の楽しみについて、寄稿してくださりました。

桜守の佐野藤右衛門さんの言葉

文・彬子女王

桜は満月に向かって咲く。

そんなことを教えてくれたのは、桜守の佐野藤右衛門さん。私が何気なく「今年は去年よりも咲くのが遅かったですね」と言ったときの返答がそれだった。「満月の日は毎年違いますやろ? その前後にね、桜はわーっと咲きますのや。だから、毎年開花する日が違うのは当然なんですわ」と。「え、そうなんですか?」と思わず聞き返してしまった。藤右衛門さんによると、桜前線の北上も、関東・関西、東北、北海道と大体2、3週間ずつずれているのは、そういうことであるらしい。それ以来、桜の開花予想が出ると、私はカレンダーの満月の日を確認する。確かにそれはいつも満月の日の近くなのである。

満月と桜の不思議な関係。それは現代科学で証明できることではないのかもしれない。でも、それが天地自然の理というものなのだろう。数式や化学式などで説明できないことにこそ、無限の広がりが満ちているように思う。

『東名所墨田川梅若之古事』 (部分) 大蘇芳年 国立国会図書館デジタルコレクション

そのとき藤右衛門さんが教えてくれたことは他にもある。大抵の花は太陽に向かって咲くけれど、桜は下に向いて咲く。だから、桜は下から見るのが一番美しいのだそうだ。「お月さんに照らされた桜を見上げるのは最高にきれいですわ」と目を細められるお顔からは、桜を心から愛しておられる様子が伝わってくる。この人に世話されている桜は本当に幸せだろうと感じさせてくれるし、桜たちはその思いに応えるようにいつも美しく咲き誇るのである。

西行の桜に思いを巡らせる

藤右衛門さんが会長を務められる植藤造園では、桜の時期は夕方になると、お庭でかがり火を焚かれる。一度夜桜見物に伺ったことがあるのだが、上からは月明り、下からはかがり火に照らされた桜の得も言われぬ妖艶な美しさが今も脳裏に焼き付いている。「魅入られる」とはまさにこのことと思えるくらい、腰かけた床几からしばし離れることができなかった。西行法師が「願はくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠んだのは、まさにこういうことなのだろうと実感した。

そこでふと気付いたのだ。桜が満月に向かって咲くという藤右衛門さんの理論が正しいとするならば、旧暦では毎年同じころに桜が咲いていたのではないか、と。旧暦は、毎月1日が新月(朔)で、15日が満月になる。新暦で、桜が咲くのは大体3月後半から4月の始めの満月の頃と仮定すると、旧暦では2月15日頃と言うことになる。つまり、「如月の望月の頃」。西行が生きていた時代、毎年2月15日は桜が満開だったのである。

新暦では、桜が咲く日が毎年違うから、満開の桜の下で死ねる日がいつになるかを決めることはとても難しい。でも、旧暦如月の望月の頃にはいつも桜が咲いている。そしてその日は釈迦が亡くなった日でもあった。だからこそ、桜をこよなく愛し、仏の道をひたすらに歩んだ西行は、桜が一番美しく見える満月のその日、満開の桜の下で死にたいと願ったのだろう。

この和歌を詠んでから約10年の後、西行は2月15日を一日過ぎた2月16日に亡くなった。満月の桜の下で、西行は最期に何を思ったのだろうか。こんなにも、和歌の意味をしっかり理解できたと思えたのは初めてだったかもしれない。そのまま床几に寝転がって、目をつぶってしまいたいと思ったほどである。

『千代田の大奥 お庭の夜桜』 楊洲周延 国立国会図書館デジタルコレクション

新暦と旧暦、二つの時の流れを意識する

英国留学中、「桜が咲いたことがニュースになるのは日本くらいだ」と向こうの友人に言われたことがある。言われてみれば、確かにそうだ。英国では、あざやかな黄色のラッパ水仙が咲くとみんなが春だと認識するようなところはあるけれど、それがどこでいつ咲いたなどとニュースになることは決してない。日本人は、桜の開花予想と天気予報を見ながら、お花見はいつにしようか、鴨川沿いの桜はまだ四分咲きくらいだったとか、来週あたりが見頃かなぁなどと、それぞれが持っている桜情報を共有しながら、皆がそわそわわくわくする。この時期、街中がふわふわと落ち着かない気配に包まれるのは、人々の桜待ちのそわそわ感があふれ出ているからではないかとさえ思う。

でも、旧暦の時代、桜は2月15日の前後に咲くのが当たり前だったのだから、今のように人々が、桜はいつ咲くのかとニュースを待ちながら一喜一憂するようなことはなかったのだろう。桜の開花予想がもたらすそわそわ感は、新暦になったからこそ生まれた日本人の楽しみのひとつと言えるのかもしれない。

日本にあるお花見や五節句などの様々な年中行事や神社の祭礼などは、旧暦の時代に定められたものがほとんどなので、新暦に当てはめると本来の意味が伝わりにくくなってしまっているものが多い。桃の節句に桃は咲いていないし、夏越の祓は夏が来る前に行われてしまうからである。でも、新暦と旧暦二つの時の流れを意識してみると、日々の生活が二倍に楽しくなるような気がしている。暦とは、「日読み(かよみ)」が変化した言葉で、「一日を数える」という意味である。つまり、日本には新暦と旧暦という一日の数え方が二通りあると言うことだ。

新暦で桜情報を聞きながらそわそわし、旧暦で月夜のお花見を計画できる。それは、現代の日本でしか楽しむことのできないお花見のカタチ。桜の花が咲いたら、旧暦カレンダーを確認してみてほしい。それはきっと、「如月の望月の頃」だから。

※アイキャッチは”Dandelions and clovers beneath cherry tree” 葛飾北斎 シカゴ美術館

書いた人

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。