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2022.10.07

ヒルコはボッチの星だった!?蘇った先はあの神様「ひねくれ日本神話考〜ボッチ神の国篇vol.18〜」

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さて、今回こそボッチ界のパイオニアにして真祖とも呼びたいヒルコ神である。

イザナギ・イザナミの国生み神話において、古事記では初子の水蛭子、日本書紀では三貴子に並ぶタイミングで生まれた蛭児として記され、どちらの神話でも生まれつき身体的問題があったため捨てられた、とされている。本当にひどい話だ。←まだ怒っている。
だが、遠い遠い神代に起こったできごとはもう取り返しがつかない。ひとまず、怒りは腹に収めて、ヒルコのその後を探っていこう。

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捨てられたヒルコは、記紀神話では顧みられることなく、平安時代には「かわいそうな神様」代表として憐れまれるほどだった。
だが、第一子、もしくは貴神とともに生まれた子は、やはり神としてのポテンシャルが違った。ただでは終わらなかった。もしかしたら意地だったかもしれないが、中世になると華々しく蘇ったのだ。
 “えびす神”として。

えー!何というどんでん返し☆

日本神話の複合性の生き証人

えびす様といえば七福神の一角を占める神。釣り竿を持ち、鯛を小脇に抱えて福々しい笑顔を浮かべる「商売繁盛で笹持ってこい!」の神である。
親に見放され、海に流される仕打ちを受けた子がなんと立派な姿に。事ここに至るには、涙なくしては語れない苦労話があったに違いない……。
つい浪花節的エピソードを想像してしまうわけだが、残念ながら復権の経緯は詳らかではない。そもそも日本神話は非道い話ならてんこ盛りだが、心温まる話など存在しない。

日本神話、人の心がないんか…(神だもんな)


結局のところ、水蛭子がえびす様になったのも、いろんな糸が寄り集まってこんがらがった結果のようなのである。

では、どうこんがらがったのだろうか。

それを知るには、まずえびす様の総本社で採用されている公式ストーリーを見てみよう。
関西人にとってえびす様といえば、まずは兵庫県の西宮戎である。こちらはえびす宮の総本社とされ、第一殿に蛭児大神、第二殿に天照大神と大国主大神、第三殿に須佐之男大神を祀っている。
さて、ここでまず「ん?」となるのは蛭児以外の祭神だ。天照大神と須佐之男は妹弟なのでいいとして、なぜ大国主大神が出てくるのだろう。

だが、ひとまずその謎は置いといて、関西にはもう一つ大事なえびす社がある。大阪の今宮戎神社だ。ここの十日戎の賑やかさといったらそれはものすごいのだが、問題は祭神である。こちらは事代主命(ことしろぬしのかみ)がえびす神であり、ほかは天照皇大神と外三神として素盞鳴尊、月読尊、稚日女尊を主神とするのだ。
なぜ同じえびす様なのに、正体になる祭神が違うわけ? 蛭児大神はどこに? 事代主命って突然どこから出てきたの? 混乱するではないか。なので、ちょっと整理しよう。

えびす様の本体は西宮戎では蛭児、今宮戎では事代主命となっている。
だが、この二柱の神は明確に別の神格を持っている。蛭児はイザナギ・イザナミの子だが、事代主命は大国主、つまり出雲大社に祀られている神の長男だ。
なのに同じ名前で、あたかも同じ神格であるかのように、同系列神社で祀られているってどういうこと? である。しかも、互いに、微妙に関係あるようなないような設定がなされている。
西宮戎には蛭児とは関係ないが事代主の父である大国主が祀られている。
一方、今宮戎にはヒルコの姉弟になる神々が祀られている。さらに「えべっさんは耳が不自由なので大きな音を出さないと願い事を聴いてもらえない」とする俗伝がある。ヒルコの特徴である身体障害を連想させる属性だ。

だが、両者が違う神であるのは間違いない。
なんなのでしょうか、この二重構造は。

そこで、神話学の本に色々あたったが、合体の経緯は結局のところよくわからないらしい。
それも致し方ない。神様がいかように祀られるようになったかは一々記録されているわけではなく、現在伝わる縁起譚も後世にでっち上げ、もとい、過去の人々が大人の事情をベースに想像力を駆使した創造の産物であるので、鵜呑みにはできない。

何事も「大人の事情」ってやつですね。


ただ、痕跡を丁寧に辿っていくと、こんな背景が見えてくるという。
そもそもヒルコには、記紀双方とも「蛭」の字を当てていることから、ヒルコが環形動物門ヒル綱Hirudineaに属する生物の蛭と同様、骨のないグニャグニャした姿をしていたと想像される。実は、世界の神話において、最初の神々あるいは人間が生んだ第一子が何らかの障害を負っていて、そのために育児放棄されるという逸話はよく見られるという。だから、ヒルコの出生譚は、神話界においてはごく自然なものであるらしい。

確かに、ギリシャ神話もなにかと子を捨てがちな気がします。


一方、ヒルコとは、天照大神の異称でもある日女(ヒルメ)と対なる日子(ヒルコ)だったのではないかとする説がある。この場合、太陽神としての神格を持っていたことになるが、実は世界には広く「太陽の子が流される」や「太陽神が海から寄ってくる」系の神話があるそうなのだ。

どうやら、ヒルコ神は人類に共通するプリミティブな複数の神話の記憶を深くとどめた存在らしい。実際、西宮戎の縁起では、蛭児大神は西宮の漁師が大阪湾の沖でたまたま漁った神像をお祀りしたのが最初とされている。まさに「流れ着いた神」なのだ。そして、漂着する神は、日本においては外界から福をもたらす存在だった。

 一方、事代主命は国譲り神話において、自らの意思で海に沈んでいった神として語られている。もともと海神的性格を持ち、かつ漁業神でもあった。絵画に描かれる恵比寿様のお姿は、こちらに由来するようだ。まあ、蛭はちょっと描きづらいでしょうし、この選択は当然だったか、と。

何にせよ、このように「海」や「外(海)から福をもたらす」などいくつかのイメージが重なった結果、この二柱の神は同じ神格として混合されてしまった、ということらしい。なんともいい加減だが、神話とはわりとこんなものである。

福の神はボッチ神

さて、中世以降のえびす様は、現世利益をもたらす強力な神として広く信仰を集めるようになる。近世初期には大国様(これも仏教系インド神の大黒天と国津神である大国主命が「音読みが一緒」という雑な理由で一つにまとめられた神)とペア福神として人気になり、やがて他の福神系の神々とグループになって、江戸期には七福神という概念が誕生した。だが、グループになってからもトップの人気を誇り、ソロとして活躍することも多い。
そして、何より強調しておきたいポイントは、七福神に入るまでのヒルコは徹頭徹尾ボッチだった、という点だ。
彼は生まれた時から親兄弟には縁がなく、配偶神もいない。
祀られるようになってからも、中央の正統神道からはほぼ無視される神だった。
ある意味、完全なる負け組だ。
けれども、彼は実力(というか素質というか)で勝ち上がって来て、今や日本中の数千社で祀られる人気神にのし上がった。
彼以上にボッチ人生を宿命付けられた者に勇気を与える存在がいるだろうか。
いや、いない。
世のボッチ仲間よ、今こそ蛭子神をボッチの主神として大いに奉ろうではないか。
親兄弟がいなくとも独りでやっていける。
一度沈んだところで、また浮き上がれる。
置かれた場所で咲けないなら、新たな地平を求めて広い海に繰り出せばいい。そこにはきっと、迎え入れてくれる仲間たちがいる。
流れ着いた場所、それこそが自分の生きる場所なのだ! 
そんなことを教えてくれる偉大な神、それが我らボッチのスター神・ヒルコなのである。

……たぶんね。

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書いた人

文筆家、書評家。主に文学、宗教、美術、民俗関係。著書に『自分でつける戒名』『ときめく妖怪図鑑』『ときめく御仏図鑑』『文豪の死に様』、共著に『史上最強 図解仏教入門』など多数。関心事項は文化としての『あの世』(スピリチュアルではない)。

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平成元年生まれ。コピーライターとして10年勤めるも、ひょんなことからイスラエル在住に。好物の茗荷と長ネギが食べられずに悶絶する日々を送っています。好きなものは妖怪と盆踊りと飲酒。