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Culture
2022.10.01

源氏物語にも登場。亥子餅に込められた願いとは【彬子女王殿下と知る日本文化入門】

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『彬子女王殿下と知る日本文化入門』、今回は旧暦10月に関するエッセイをご寄稿いただきました

炉開きで感じる季節の訪れ

お茶のお稽古を始めて、もう何年になるのだろう。確か始めたのは中等科の頃。父の同級生のお茶の先生に習い始め、留学前は向こうでお点前ができるようにと、茶箱のお点前を随分お稽古していただいた。京都に住むようになってからは、別の先生につかせていただき、時々中断はありつつも、細々とお稽古は続けている。しかしである。歴だけは長くなっているのに、全く上達はしていないのである。

私は元来いい加減な性格である。いつまで経ってもお点前の手順がきちんと覚えられず、手はあちらこちらに迷子になり、いつも袂などを引っかけては、カチャン、パタンといろいろなお道具を落としがち。「あっ」「ん?」「あれ?」とついつい声も出てしまうし、おしまいで立とうとしたときに、足首が立たず、しばし固まることもしばしば。毎回完全にリセットされた状態でお稽古が始まるといっても過言ではない。

それなのに、こんなにどうしようもない弟子を、内心本当に呆れていらっしゃると思うけれど、先生はいつも変わらぬおだやかなお顔で、根気よく指導してくださる。研究者気質の私の思考回路を考慮されてのことか、ただ「こういうものだからこうせよ」ではなく、そのお道具組が生まれた時代背景や、なぜこのような手順でお点前をするようになったのかなど、きちんと順序立てて説明してくださる。「なるほど!」「そういうことなんですね」と、毎回新しいことを勉強している。

未だにその御恩に全く報いることができない自分に恥じ入るばかりなのだが、和服を着て、静かな緊張感の中、背筋を伸ばして伺うお稽古の時間は、私にとってはひと月に一度、気持ちのスイッチを切り替えることができるとても大切なひとときになっている。先生に一度も注意されることなくお点前が最後まで出来る日が来るとは到底思えないけれど、先生に愛想を尽かされぬよう、これからも一番できの悪い弟子なりの努力を重ねていきたいと思っている。

『女礼式之内 抹茶ノ部』 一部をトリミング 東京都立図書館

一年を通してお稽古に行くようになり、「ああ、もうこの季節なのか」と感じるきっかけになっているのは、やはり炉開きだろうか。炉開きは、亥の月(旧暦10月)の中の亥の日に行われる行事である。亥は、陰陽五行説では「水」にあたり、火に勝つことから、亥の日に火入れを行うと火事が起こりにくいと言われ、炉開きやこたつ開きを行う。武家では上の亥の日、町人は中の亥の日に行うものなのだと言う。夏の間使っていた風炉をしまい、畳の下にあった炉を開く。室内に火があることは変わらないのに、炉になっただけで急に冬めいて見えるのが不思議である。しゅんしゅんと釜からの湯気が立ち上っていく様子も、下からになると、なんだか部屋全体がやわらかくあたたまるように感じられる。私の好きな冬がやってくる。私にとって炉開きは、そんなことを意識させてくれる機会であるのかもしれない。

平安時代から続く玄猪の祝

この炉開きのお稽古のときに頂くのが、亥子餅(いのこもち)。宮中では、亥の月亥の日亥の刻に、大豆、小豆、豆(ささげ)、胡麻、栗、柿、糖(あめ)の七種の粉を用いて作り、亥の子形に切ったものを頂くと言う、玄猪の祝(亥子の祝ともいう)という行事が平安時代から行われており、源氏物語にも登場する。その年に収穫された新穀の餅を食べて、無病息災を祈るもので、鎌倉時代頃からは、多産の猪にあやかり、子孫繁栄を祈る意味も付け加えられていった。現在の亥子餅は、求肥であんこを包んだものが多いけれど、お店によって、うりぼうの模様が表面についていたり、楕円形だったり、丸だったり、生地に胡麻や栗が練り込まれていたりと、様々な種類があるので、毎年どのお店のものが出てくるのかと、楽しみにしてしまう。

『源氏物語』 第9帖「葵」では、亥子餅が登場する 国立国会図書館

玄猪の祝は、今は廃れてしまっているが、明治頃までは宮中で行われていたようだ。黒(黒胡麻で和えたもの)、白、赤(小豆の汁で色付けしたもの)の三種餅と菊、忍草(シダ植物の一種)を、朝に常御所で天皇に供する。この餅は、現在の兵庫県の野瀬(能勢)の里から献上されるもので、餅を載せる下敷きは、上の亥は菊と忍、中の亥は紅葉と忍、下の亥は銀杏と忍を用いると言う決まりがあるのだそうだ。天皇が餅に息を吹きかける作法などをされ、女官にそれを下賜されるのだが、典侍には黒、内侍には赤、命婦以下には白餅と、身分によって餅の種類が変わるのが興味深い。

夜にはまた、三種餅と野瀬餅(小豆を入れて生搗きにしたもの)、小さな臼に白いおこわを高く盛り、灰塩を混ぜ、杵を添えた「臼杵(つくつく)」を天皇に供する。天皇は、亥の方角に向かって「神無月しぐれの雨のふるごとに我思ふことをかなへつくつく」と3回唱え、お餅を搗く作法をされる。女官たちも同じ作法をした後、玄猪の餅を臣下に賜るのだそうだ。天皇が、ご自身の願いが叶うことを祈られ、搗かれたお餅。それにはきっと、国家の繁栄や、民の平和を祈るお気持ちが込められているのだろう。そんなお餅を頂ける当時の臣下の人たちがとてもうらやましい。毎年何気なく頂いていた亥子餅だけれど、本来の意味を知ると、なんだか頂くときに、より姿勢を正さなければいけないような気持ちになった。

京都の護王神社では、この玄猪の祝を再現した亥子祭が11月1日に斎行され、亥子餅を京都御所に献上する儀式が行われている。今まで一度も行ったことがなかったのだけれど、理由を知った今は、そのお儀式をどうしても見てみたい気持ちになっている。護王神社は、足腰の守護神がお祀りされている神社でもある。お稽古のとき、長時間の正座に耐えられる足腰の強さをお願いするのは、亥子祭とは別の機会に。

書いた人

1981年12月20日寛仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。