Culture

2023.09.06

筋肉隆々!「相撲絵」で知る、江戸時代の人気力士5+1

『古事記』や『日本書紀』などの力くらべの神話に始まる相撲(すもう)は、神事として受け継がれ、江戸時代に大成。土俵で力士が一対一で闘う相撲が現在のような様式や興行となったのは、江戸時代中期。当時から歌舞伎と並ぶ人気を集め、力士たちはアイドル的な人気を集める大スターになりました。なかでも注目されたのが、この5人の横綱と番外編のひとりの力士でした!
アイキャッチ画像 一恵斎芳幾『勧進大相撲土俵入之図』 大判錦絵3枚続 安政6(1859)年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl,go,jp/pid/1313339

江戸時代の人気力士と横綱の条件とは

神話の時代の力くらべから、農作物の収穫を占う神事として定着した相撲。織田信長など戦国大名も、鍛錬のために相撲を取っていました。江戸時代に入ると、浪人や力自慢の男たちから相撲を生業(なりわい)とする「力士」が登場。寺社の造営・修復の費用を集める勧進相撲(かんじんずもう)が各地で行われ、江戸中期には興行が定期的に開催されるようになっていました。

当初、相撲人気を盛り上げたのが、初代の明石(あかし)から数えて4代の横綱・谷風、5代の小野川、そして雷電(らいでん)の3人でした。中でも特筆すべき存在が、身長189㎝、体重161㎏の大型力士であった谷風です。強いだけでなく人としても抜群の品格を備えていたことから、歴代横綱の筆頭と称される谷風は、今も横綱の理想像として語り継がれています。ちなみに当時の最高位は大関。横綱は優れた力士に贈られる称号でした。小野川は体格が劣っていたものの、スピードで谷風に対抗しえた力士。雷電はふたりの横綱より高い勝率を残しましたが、横綱になるタイミングを逸した悲運の力士でした。

一対一で闘い、勝ち負けが明確でわかりやすい相撲は、名力士の登場によって人気沸騰。将軍の上覧(じょうらん)相撲も行われ、歌舞伎と双璧をなす娯楽となります。江戸庶民にとって最新メディアであった浮世絵でも「相撲絵」と呼ばれる、力士の浮世絵が大ヒット。取組(とりくみ)を見た人も見てない人も、〝推し〟力士の浮世絵をわれ先にと買い求め、今のポスターのような感覚の相撲絵は、相撲はもとより、浮世絵の隆盛にも一役買っていました。

その人気を率いていたのは、やはり横綱。9代秀ノ山、10代雲龍、11代不知火、13代鬼面山。以上4人の横綱は、谷風の人気を受け継ぎ、相撲を発展させた名横綱。その姿を写した浮世絵は、筋肉隆々でいながらも神々しさを伴っていて、まさに美丈夫(びじょうふ)。江戸庶民の興奮が伝わってくるようです。

伝説として語られる江戸の名横綱
4代横綱・谷風(たにかぜ)

谷風は、相撲史上屈指の強豪と語り継がれる偉大な力士です。陸奥国(宮城県仙台市)の豪農に生まれ、幼少期から怪力だった逸話をもちます。全盛期には4年間負けなし、63連勝を記録する偉大な成績を残し、江戸時代の相撲人気を大いに盛り上げました。

勝川春英『谷風・瀧ノ音』 大判錦絵 江戸時代・18世紀 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

小柄ながら気迫と怪力で頂点に立つ
9代横綱・秀ノ山(ひでのやま)

秀ノ山は陸奥国(宮城県気仙沼市)出身の9代横綱です。海上運輸を担う家の長男で、元力士の荷揚げ人に相撲を習いました。力士を目ざして江戸へ上るも、背の低さから相撲部屋に入門できず、努力を重ねて力士となります。怪力と闘志で頭角を現し、横綱となりました。

香蝶楼豊国『秀ノ山雷五郎横綱土俵入之図』 錦絵 江戸時代・19世紀 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1313383

雲龍型の名はこの横綱に由来する
10代横綱・雲龍(うんりゅう)

雲龍は筑後国(福岡県柳川)出身。土地相撲から大坂相撲を経て、江戸相撲へ進出、新入幕から4場所連続で優勝相当の成績を残しました。その土俵入りの姿の見事なことから、雲龍型という名称が残っています。引退後の明治時代には、相撲復興に尽力しました。

香蝶楼豊国『雲龍久吉』 錦絵 嘉永5(1852)年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1313402

横綱土俵入りの型に名を残す名横綱
11代横綱・不知火(しらぬい)

不知火は身長177㎝、技に優れた力士。江戸時代に不知火と名乗った横綱が複数いましたが、不知火型という横綱土俵入りの型の元となったのは、11代横綱の不知火光右衛門。その土俵入りの姿は、白鶴が翼を広げたようだと評されるほどでした。

春蝶楼国貞『不知火光右衛門』 錦絵 安政5(1858)年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1313392

幕末に活躍した明治時代最初の横綱
13代横綱・鬼面山(きめんざん)

鬼面山は身長188㎝、体重140㎏の巨漢力士。鬼面山とは怖そうな四股名(しこな)ですが、武士のような風格をたたえ、人柄は温厚で人気を集めたといいます。明治時代に横綱になったのは43歳のころ。横綱の最高齢記録は以後も破られていません。

歌川豊国『鬼面山谷五郎』 錦絵 安政4(1857)年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1303910

【番外】身長229㎝の大人気力士!
生月(いきつき)

男性の平均身長が160㎝未満だった江戸時代、巨漢力士は神々しい存在でした。なかでも最長身が生月。親が肥前国松浦郡(長崎県平戸市)の鯨漁師だったことから、平戸藩主より与えられた名が鯨太左衛門。多数残る相撲絵が、人気を物語っています。

歌川国貞改め二代豊国『生月鯨太左衛門』 錦絵 江戸時代・19世紀 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1313350

※本記事は雑誌『和樂(2023年6・7月号)』の転載です。

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山本 毅

通称TAKE-G(たけ爺)。福岡県飯塚市出身。東京で生活を始めて40年を過ぎても、いまだに心は飯塚市民。もともとファッション誌から始まったライター歴も30年を数え、「和樂」では15年超。日々の自炊が唯一の楽しみ(?)で、近所にできた小さな八百屋を溺愛中。だったが、すぐに無くなってしまい、現在やさぐれ中。
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