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Culture

2024.03.01

なぜ今日まで伝えられてきたのか。「神話に学ぶ」ということ【彬子女王殿下が次世代に伝えたい日本文化】

子どものころ、私は神話を読むのが好きだった。漫画や子ども向けに書かれた『古事記』や『日本書紀』にある因幡の白うさぎや海幸彦と山幸彦のお話などは、挿絵の絵柄まで今でもはっきりと覚えているほど。でも、神話で語られる場所が存在するなど夢にも思わず、全ては遠い昔に作られたお伽噺だと思っていた。その思いが揺らいだのは、父に連れられて初めて訪れた伊勢でのことだった。

伊勢、そして出雲の神話の世界へ

私が初めて行った「家族旅行」の行先は、伊勢だった。仕事が趣味で、観光が苦手な父とは、スキー合宿以外の家族旅行をほとんどしたことがない。子どもの頃など、月の半分くらい父は地方でおられなかったし、旅行といっても、父は基本的に空港や駅、ホテル、仕事会場の3地点しか回られない。「観光とは、何をしたらよいのかわからない」のだそう。そんな父が初めて計画してくださったのが伊勢と京都の旅だった。確か私が初等科の3年生の頃。以来父とは何度も一緒に旅をしたけれど、仕事がからまなかった旅はこれが最初で最後だったと思う。

寬仁親王殿下

それは、皇室の御祖神である伊勢の神宮に子どもたちを連れて行かなければ、という父の思いからだった。そのときの神宮の玉砂利を踏みしめた感覚や神宮の杜のぴんと張りつめた空気感は、とても鮮烈なものだった。不思議なことに、神宮は足を進めるに従って、刻一刻と空気感が変化する。車を降り立ち、鳥居をくぐって一歩一歩神様に近づいていくごとに、どんどん空気が神聖になっているような気がする。初めて目にした神宮のお宮から感じる清浄な空気と威風堂々とした佇まいは、そこには本当に神様がお住まいになっておられるのだと小さな私に感じさせた。ここにいるときは大騒ぎをしてはいけない。姿勢を正していなければいけない。そう思わせるような力を神宮の神様は持っておられた。

そして、その伊勢から20年ほどの時を経て、出雲に初めて行ったとき、神話と現実の境が自分の中であいまいになっていくのを感じた。今まで自分が神話の中で読んでいた、天照大神より国譲りの指令を受けた建御雷神(タケミカヅチ)が、大国主神と対面した場所である稲佐の浜、力比べをした建御名方神(タケミナカタ)が投げたと伝えられるつぶて岩、天穂日命(アメノホヒ)が高天原から降臨された時、乗って来られたと伝えられる鉄のお釜がある神魂(かもす)神社など、神話にゆかりの場所を、神話の登場人物である天穂日命の子孫、出雲国造(こくそう)である出雲大社の千家尊祐宮司様とご一緒に巡っているうちに、神話はフィクションなのか、ノンフィクションなのかわからなくなっていった。

『出雲大社図』北爪有卿筆 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

彬子女王殿下が綴る、寬仁親王殿下との思い出

神話を学ぶのではなく、神話に学ぶ

そんなことを思っていたころ、心游舎で出雲神話の所縁の地を巡る二泊三日の旅に出かけた。このとき案内役を務めてくださった万九千神社の宮司である錦田剛志さんに言われた言葉にハッとした。それは、「神話を学ぶのではなく、神話に学ぶことが大切」ということ。

錦田さんが案内してくれたのは、斐伊川上流の八岐大蛇のすみかといわれる天が淵。木々が生い茂り、確かに大蛇が住んでいそうな空気に満ちている。斐伊川は、その昔暴れ川として有名で、しばしば氾濫しては人々を困らせていたのだという。八岐大蛇の「ほおずきのように赤い目」というのは、この地で昔から操業されていたたたら製鉄の赤い炎ではないかと錦田さんは言う。「その暴れる大蛇(斐伊川)を制圧した時に、その体内から三種の神器のひとつとなる草薙の剣(鉄)を得られるということなのではないか」と。

この斐伊川の流域には、大蛇退治の後、素戔嗚尊(スサノオ)の妻となった櫛名田比賣(奇稲田姫)が、両親のアシナヅチ・テナヅチと共に住んでいたといわれる住居の跡地もあるのだという話をしながら、錦田さんがこう続けた。「このアシナヅチ、テナヅチというのは、「足を撫づ」「手を撫づ」で、両親が娘の手足を撫でて慈しむという説が有力なんですが、自分は足を使い、手を使って一所懸命働いたら、美しい田んぼ、つまり、神秘的な稲田の女神(奇し稲田姫)が生まれるっていう意味じゃないかと思っているんです」と。

この説明に、本当に目から鱗が落ちたような気がした。これが「神話を学ぶ」のではなく、「神話に学ぶ」ということ。伝えられてきたことには必ず理由がある。その理由を考えることで、なぜそれを伝えなければいけなかったのかを理解することができる。フィクションなのかノンフィクションなのか、そんなことはどちらでもいい。伝えられてきたことにどのような意味があるのかを自分で考え、そこから何を感じ取れるかが大切だということなのだろう。

『素戔鳴尊』歌川豊国筆 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

神話に、フィクションとノンフィクションの境目はない

心游舎のキッズキャンプに参加していた子どもの一人が、「出雲はなぜいずもっていうんですか?」と国造さんに聞いたことがある。国造さんは彼に、雲が沸き上がる様子を表す言葉だというのが一般的だけれど、様々な説があるとわかりやすく説明された後、「出雲と大和は対立構造で語られることが多いけれど、大和は「大いなる和」で大和だから、日本は昔から平和な国であったことが名前からもわかるんだよ」と結ばれた。

それをこっそり後ろから盗み聞きしながら、日本の国の始まりの歴史を日本の国を作られた神様の子孫である国造さんがお話してくださるなんて、なんとありがたいことなのだろうと、とても幸せな気分になった。神話に、フィクションとノンフィクションの境目はない、やはりそう思うのである。

アイキャッチ画像:『大黒様に白兎』葛飾北斎筆
colbase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10569-6000?locale=ja)を元に作成
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彬子女王殿下

1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日本美術史を専攻し、海外に流出した日本美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日本文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日本文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。
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