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蔦重AtoZ
S=白河の清きに魚(うお)もすみかねて元の濁りの田沼恋しき
経済・文化を躍進させた田沼意次
「白河の清きに魚もすみかねて元の濁りの田沼恋しき」この狂歌は、寛政の改革の規制の厳しさに辟易した江戸庶民が、田沼時代の自由な空気を懐かしんだもの。市井で大流行した一首です。田沼時代とは、10代将軍家治(いえはる)の側用人から老中となった田沼意次(おきつぐ)が幕府の財政再建を進めたころ。
農民からの年貢が減少した当時、意次は商人を優遇する政策をとり、特権を与えるなどして商業・産業の発展を図り、税収増加に成功。意次はさらに、水田の開発、蝦夷地(えぞち)の開拓など、インフラ整備のための公共事業を敢行し、社会基盤の充実を図ります。
▼田沼意次について詳しくはこちら
【賄賂政治家】田沼意次の実像|改革・政策や生い立ちから失脚までを解説
意次はインフラ事業を重視
その結果、江戸は活気を取り戻し、経済的にも活況を呈し、蔦重のような若き起業家が活躍できる世の中になったのです。しかし、天明の飢饉、浅間山大噴火など、思いがけない天災人災が相次ぎます。
放火による目黒行人坂の大火
さらに、愛息・意知(おきとも)が江戸城内で佐野政言に斬られ、早世してしまうのです。そんな折、政敵であった松平定信(まつだいらさだのぶ)らに追い落とされて、意次は失意のうちに隠居するのです。
意次の跡継ぎの暗殺事件が黄表紙に!
意次暗殺を暗示したかのような黄表紙も!
田沼時代は実は、経済が繁栄した時代であり、意次は偉大な政治家であったという再評価がなされています。
ではなぜ、わいろ政治家などの負のイメージで語られ、否定的な見方がなされてきたのか・・・。それは政敵一派が後年、そのような評伝を流布したからだとか。今も昔も変わらないものが感じられます。