シリーズ一覧はこちら。
蔦重AtoZ
T=手鎖(てぐさり)の刑で盟友・山東京伝の心は折れたが・・・
松平定信による厳しい緊縮政治「寛政の改革」で蔦重が受けたダメージは計り知れません。
幕府を批判した黄表紙が大ヒットしたものの、戯作者であった武士の朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)は断筆、同じく戯作者で武士の恋川春町(こいかわはるまち)は死去、大田南畝(おおたなんぽ)は戯作を自粛するなど、人気作家が相次いで離れていきます。
関連記事:47歳・蔦屋重三郎の死因は“寛政の改革”!?車浮代さんと紐解く江戸の食文化
公私にわたって支えあった盟友・山東京伝
さらに、出版統制令によって、政治批判や、風俗や秩序を乱す文物も禁止になってしまいます。
蔦重はそれに反抗し、遊郭を舞台にした洒落本(しゃれぼん)を山東京伝(さんとうきょうでん)へ依頼。それが、深川の遊里風俗を『曾我物語』の世界に仮託した『仕懸文庫』、遊女の暮らしを歌舞伎・浄瑠璃『廓文章(くるわぶんしょう)』の登場人物に仮託した『青楼昼之世界錦之裏』、吉原での客と遊女のやりとりを近松門左衛門の『冥途の飛脚』の人物で描いた『娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)』の3冊でした。
しかし、法の網をかいくぐることができると考えていた蔦重の目論見は甘く、蔦重と京伝のほか出版に携わった者は罪を問われ、蔦重は3作絶版のうえ身上(財産)半減に。京伝は手鎖50日の刑に処されてしまいます。
筆禍事件のもととなった『仕懸文庫』『青楼昼之世界錦之裏』
両手首に手錠(てじょう)をはめられた状態で50日間謹慎しなければならないという厳しい刑に懲りた京伝は、引退を真剣に考えます。それを説得し、撤回させたのが蔦重でした。
元来商人気質であった京伝はその後、銀座に煙草(たばこ)関連グッズの店を開店。後輩作家の曲亭馬琴(きょくていばきん)の相談役をつとめながら、蔦重が亡くなった後も作家活動を継続。思いのままに才を発揮しながら、56歳で人生を終えました。
京伝が銀座にオープンした煙草入れ屋
京橋銀座一丁目に開いた煙草入れ屋の店先。店の奥にいる京伝は、吉原の遊女・花扇(はなおうぎ)と会話中。客の中には三代目瀬川菊之丞(せがわきくのじょう)、三代目沢村宗十郎(さわむらそうじゅうろう)、三代目市川八百蔵(いちかわやおぞう)らも描かれている。