Culture

2026.02.10

波津彬子先生、画業45周年記念取材!「不思議」の集まる波津先生の家の方へ

波津彬子先生へ

お元気ですか。猫ちゃんはどうしていますか。先日はありがとうございました。
波津先生が金沢にお住まいだと聞いて、なによりもまず私の頭に浮かんだのは巨人伝説、ダイダラボッチのことでした。江戸時代の俳人、堀麦水が加賀・能登・越中の三国の奇談をまとめた『三州奇談』に大男の足跡のことが記されているのです。奇妙な話や不思議ないわれのあるところをつい探してしまう私にとって金沢とはそういう土地、つまり謎めいた場所でした。
ご自宅にお伺いした日も、不思議なお天気でしたね。晴れかと思いきや大雨、晴れ間がみえたかと思いきや、ふたたび雨。金沢の雷は冬なのだと、霰が降ると雪になるのだと、それを「鰤起こし」と言い、鰤の美味しい季節なの、と言ってふふふ、と笑った波津先生の無邪気な顔が忘れられません。

昨年、ご近所さんたちがふり返るほど実ってしまった郁子(むべ)。収穫して、配ってまわったそう

廊下に寒桜、床の間に椿。庭には郁子の実。郁子が庭の反対側に実ってしまったせいで、こっそり隣のお宅(空き家とのこと)に忍び込んで収穫したというお話には、思わず笑ってしまいました。
料理上手のアシスタントさんお手製のみかんのチーズケーキ、とても美味しかった。彼女の作る郁子とリンゴのジャムも、さぞかし美味しいのでしょう。
不思議な物語をたくさん描いてきた波津先生のことです。「むべ」という変わった名前の由来についてもきっとご存知かと思います。
昔、蒲生野で狩りをしていた天智天皇が、とても長生きをしている老夫婦から渡されたという果物。口にすれば不老長寿の著効あり、なんて伝説を本気で信じているわけではないですが、波津先生のお庭に不思議果実がすくすくと実っているのは、むべなるかな(もっともであるなあ)と、思えます。

とっても楽しい時間でしたが、「しおちゃん」に会えなかったことだけが心残りです。編集の方ですら一度、それも残像を見ただけとか。神出鬼没と言うだけあって遭遇することは最後までかないませんでした。
波津先生は笑っていらしたけれど、それでもね、私はやっぱり、しおちゃんを見ることができるのは不老長寿の果実が異常に実ってしまうほど生気溢れる、あのお宅に棲む人だけなのでは、なんて馬鹿々々しいことを想像してしまうのです。

『あらあらかしこ』巻一の第一話に描かれる「猫坂」

そうそう、『あらあらかしこ』の取材で奈良県へ出かけたときのお話をしてくださいましたね。奈良の東大寺にある、猫坂について。その坂で転ぶと猫になってしまうという突拍子もない伝説。
遠くまで出向いたというのに、猫坂が坂ではなく階段だったなんて、さぞ残念だったろうと思います。いや、でも『あらあらかしこ』の時代(明治末期から大正にかけて)には、ここは階段ではなく坂だったんじゃないかって、危ない坂だから転んだら猫になるという戒めの話なのだからって、波津先生は仰っていた。
それで寺の住職に話を聞いてみたら、昔この辺りは草が生い茂る荒れた場所だったとか。それなら夜道は真っ暗で、急な坂はとても危なかったことでしょう。
取材の日は、ちょうど桜の美しい季節だったそうですね。波津先生がよそ見して、足をすべらせなくてよかった。だって、もしかしてもしかすると、猫になっていたかもしれないんですよ。波津先生は猫がお好きだし。でも、猫の暮らしというのもなんだか楽しそうではあります。

金沢の三文豪の一人、明治期の作家である泉鏡花の母親は加賀藩お抱えの能役者なのだと、夢幻能の如き幻想性は能からきているのではというお話、たいへん興味深かったです。
現実と夢幻の二つの世界が重なり、相互に干渉し、ときにくるりと入れ替わる。泉鏡花の作品を漫画化したことのある波津先生の幻想文学談義からは、泉鏡花をよく読みこんでいらっしゃるのが伝わりました。
怪と幽が織りなすこの世ならざるものを題材とすることのおおい波津先生が、でも一番お好きな作家は岡本綺堂だとか。岡本綺堂は江戸時代の伝承や民話に題材を得ているそうですから、きっとお好きにちがいない、という私の予想はあたっていたようです。

ただ、予想どおりだったのはそれだけ。興味関心のひろい波津先生の口からは、次から次へと話題が飛び出してくる。豊かな知識に、いったい何度びっくりしたことか。

この場所から幽玄の美に満ちた物語が生まれる

壁いっぱいの本。甲冑、刀剣、草花、恐竜、幽霊画、クラシックカー、服飾、茶席……盗み見るつもりはなかったのですが『毒草の見分け方』『魑魅魍魎の世界』なんて怪しいタイトルもありました。

本棚の前で着物の話をしてくれたでしょう? アンティークの着物は戦前のものまでが面白い、って。覚えていますか。当時の着物は柄の合わせが独特なのにまとまりがあって、いかにも喧嘩しそうなのにしない不思議さがある。アンティーク着物の本を開くと女性たちが遊んでいるのが分かる、って。

日本画にも詳しくて、美人画なら鏑木清方。藤の花と蜘蛛の巣が絡みついた上村松園の『六条の御息所』も好きだとか。ゆるやかに着物を着こなしていた時代の画から布の流れの描き方を学ぶのだ、という話もしてくださいました。

あの蔵書を前に、映画や舞台や茶席にいそいそとお出かけする波津先生のお話を聞き、なるほど和漢洋問わず伝統美と様式美を感じさせる世界観は、現実世界の知見に裏付けされたものなのだと納得しました。

何が出てくるのかな、ドキドキ

なにより印象的だったのは、あの茶箱です。煌びやかな、それでいて謎めいた茶箱を見せてくれたのを覚えていることと思います。骨董屋の飾り窓に並んでいたというそれは、前の持ち主に大切に扱われていたことが一目で分かる美しい骨董品でした。
特別な茶箱のためにあつらえたと思われる小ぶりの安南焼風の茶碗。象牙の茶杓。茶菓子入れ。籠には秋草の紙が貼られ、漆で塗られていました。木箱には赤文字に「け」と書かれたシールが貼りつけてありましたね。
時間の帯を緩めるように茶箱の中身をひとつずつ開封していくあの瞬間、あの場にいた誰もが茶箱のかつての持ち主について思いを巡らしていたはずです。波津先生は、以前の持ち主のことをかなりの趣味人だろうって、おそらく、ものすごく物を持っていたお家の方なんじゃないかと想像していた。箱に貼られた「け」の字は、品物を管理するためにあてがわれた番号なのでは、と。

手のひらにすっぽり収まってしまうほど小さなお茶の道具たち。こんなふうにして波津先生は「不思議」と出会ってしまうんだな、と、私は少し羨ましいような、少し悔しいような気持ちでした。

金沢の骨董屋で出会ったという美しい茶箱

「器物百年を得て化して精霊を得てより人の心を狂かす」これは『雨柳堂夢咄』のなかの私の好きな言葉のひとつです。
人の手を渡ってきた物には記憶が、こう言ってよければ物語が宿ると私は思っていて、耳をすまし目をこらすと、遠くの方で話し声がするのです。それはもう漫画の中だけじゃなく現世(うつしよ)の出来事で、そうなると特別でもなんでもないことなんだけど、そういうモノたちの声を聞くには、物語の力を信じていなくてはいけないのだと、私は思っています。

「想像に幅のあるものが好き」な波津先生の漫画には、もしかしたら人間がやったかもしれないし、ちがうかもしれない、どちらとも説明がつかない作品というのがおおく、それを「どっでもいいようにしている」と波津先生は仰っていました。
あのときの「リアルではなくリアリティを描けばいい」という言葉の意味を、いまでも時々考えることがあります。そしてこれは漫画に関してだけじゃなく、私たちの生活全部を、根本から揺るがす事実であるように思えるのです。

リアルとリアリティ。言葉の意味は似ていても、この二つはまったくの別物です。それは人と幽霊、猫と猫又くらいちがうように思います。
要するに、リアリティには想像することの余白が残されているのではないか、と。
たとえば、あの茶箱には持ち主があって、その人にも表情があって、年齢があって、趣味がある、というような当たり前のことを波津先生はひょい、と簡単に想像してしまう。奈良のお寺に伝わる怪しい伝説、古い着物にまつわる記憶にしてもそうです。そのモノや場所、それ自体に流れている独自の時間のリアリティを鋭い観察眼で描きつつ、お得意の幽玄の美で包んでしまう。
不思議はいつも、現実の中から生まれます。だからこそ、現実との境目に蜃気楼みたいに立ちのぼる神秘を私たちは恐れ、また魅かれずにはいられないのではないでしょうか。ちょうど、波津先生があの茶箱の虜になったみたいに。

『あらあらかしこ』の登場人物たち。小説家の高村紫汞先生と住み込みの書生、杏之介

「君の信じたい理由を信じてもこれに関しては誰も困らない」
『あらあらかしこ』の小説家・高村紫汞先生が住み込みの書生、杏之介に向けて放った言葉です。私はこの場面が大好き。とくに、「これに関しては」の部分。
やみくもに不可思議なことをすべて信じていいわけではない。その人がいた、そういう話があった、ということがすべてで、それはとても楽しくて愉快なことだから、たとえばそれが「本当のこと」じゃないとしても、なんら問題はないのだ、と高村紫汞先生に認めてもらえたような気がして。少なくとも、私はずっとそう思ってきました。
これは私のごく個人的な意見なのですが、世の中はどうやら信じたいものを自由に信じられない時代になってきているみたいです。もちろん、自分が信じたいものだけを信じる、ということには甘美な落とし穴があります。でも不思議は不思議のまま、夢は夢のままで良いこともあると思いませんか。

それにしても、波津先生の描く「不思議」は明るい場所で語られる「不思議」ですね。温かくて、懐かしくて、ほんのり切ない。とはいえ、昼日中から化け物が出るようでは世も末です。でもね、波津先生。暗い怪談はやっぱり怖いですが、明るい怪談はそれよりずっと怖いものだと私は思うんです。

いつか自分で茶箱を組むことがあれば、ぜひ見せてください。美味しい金平糖をもって伺います。特別な紅茶、ごちそうさまでした。次にお会いしたときには、また漫画と幻想の話で盛り上がりましょう。
お元気で。会えずじまいだった「しおちゃん」にもよろしくお伝えください。かしこ。

画業45周年!波津彬子氏 最新コミックス情報

『あらあらかしこ』1~3巻発売中 

小学館 A5判 定価:各 1,100円(税込)
商品情報: https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098723607
試し読み:  https://flowercomics.jp/chapter/17361/viewer

作品紹介
その手紙が不思議に誘う・・・流麗幻想譚
著名な小説家・高村紫汞先生の書生として暮らし始めた青年・杏之介。
謎めく紫汞先生や貫禄たっぷりの猫・櫨染さんとの暮らしは杏之介が驚くことばかり。
そんな中、先生宛に時々届く不思議な手紙を杏之介は清書のため垣間見ることに。
先生が随筆の素材とするその手紙は、各地で起きる不思議な出来事について知らせるもので・・・!?

『波津彬子短編集 ねこの夢 ひとの夢』

小学館  A5判 定価:1,100円(税込)
商品情報: https://shogakukan-comic.jp/book?isbn=9784098733651

作品紹介
麗しい猫たち、思わず心惹きつけられる怪異、そしてロマンス…「あらあらかしこ」ほか数々の大人気シリーズで知られる作家・波津彬子の作品世界を堪能する珠玉の短編集が登場!

波津彬子(はつあきこ) プロフィール

12月16日生まれ、石川県出身。
1980年に『波の挽歌』でデビュー。
代表作に“うるわしの英国シリーズ”『雨柳堂夢咄(うりゅうどうゆめばなし)』などがある。
和漢洋を問わず深い造詣を見せ、趣深く愛情溢れる作品で多大なファンを獲得。
現在、「月刊flowers」にて「あらあらかしこ」連載中。
令和2年に泉鏡花原作のまんが作品等において
金沢市の文芸文化発信に寄与した功績により「金沢市文化活動賞」を受賞。

公式サイト https://namibanpa.com/index.html

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馬場紀衣

文筆家。12歳で海外へ単身バレエ留学。University of Otagoで哲学を学び、帰国。筑波大学人文学類卒。在学中からライターをはじめ、アートや本についてのコラムを執筆する。舞踊や演劇などすべての視覚的表現を愛し、古今東西の枯れた「物語」を集める古書蒐集家でもある。古本を漁り、劇場へ行き、その間に原稿を書く。古いものばかり追いかけているせいでいつも世間から取り残されている。
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