「音楽は世界語であり、翻訳の必要がない。そこにおいては、魂が魂に話しかけている」
西洋音楽の基礎をつくったとも言われるJ・S・バッハは、かつてこんな言葉を残したとか。そんな「音楽の父」が活躍した17世紀から、さらに遡ること700年。日本にはすでに「オーケストラ」が存在していた――。
2019年10月に天皇陛下の即位を祝う行事の一つ「饗宴(きょうえん)の儀」でも披露された雅楽は、日本が誇る伝統音楽です。
奈良時代に伝来したとされ、演奏形式や音色はほぼ当時のまま、現在まで脈々と伝承されてきた雅楽は、「世界最古のオーケストラ」とも呼ばれています。
1000年以上にわたって受け継がれているにも関わらず、普段あまり耳にすることがない雅楽の魅力を探ってみると、それはまさに「魂に話しかける音楽」でした。
古墳時代の日本人「これが、最先端の音楽……!」
5世紀〜6世紀ごろの日本は、古墳時代まっただなか。先ごろ世界遺産に登録された仁徳天皇陵古墳を中心とする大阪の「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」などをはじめ、全国に多くの古墳が築造されていました。
このころ、仏教文化が日本にもたらされるとともに、古代アジア大陸諸国の音楽と舞も、中国や朝鮮半島から日本に伝わってきました。
「これが、最先端の音楽……!」
バッハ、ベートーベン、ブラームスの「3B」はもとより、モーツァルトやハイドンなど、「音楽の父」「巨匠」「偉人」などと讃えられる彼ら天才たちの音楽が、常に当時としては前例のない最先端な音楽、前衛的な音楽として捉えられたように(たぶん)、大和朝廷をはじめ当時の日本人も、大陸の最先端音楽に驚いたかもしれません。
彼らは積極的に自らの文化のうちに、そうした大陸の音楽を取り入れていきました。
奈良時代のプロ雅楽集団「うたまいのつかさ」
一方で、仏教伝来以前から日本には独自の「神楽(かぐら)歌」「大和歌」「久米(くめ)歌」といった音楽があり、これに伴う簡素な舞もあったと考えられています。
世界の文化を吸収してオリジナルな”日本流”をつくってしまうのは、この国のお家芸。大陸の音楽と日本独自の音楽が融合してできたのが、「雅楽」なのです。
701年に日本で初めて制定された本格的な法律「大宝令(たいほうりょう)」には、宮廷で行われるさまざまな音楽や舞を学び、演奏し、伝えていく公的な機関として「雅楽寮」を設置することが記されています。
ちなみに、「雅楽寮」と書いて「うたまいのつかさ」と読みます(「うたつかさ」「ががくりょう」とも)。なんだか声に出して読みたくなるのは私だけでしょうか。
雅楽寮には、歌人・舞人・楽師など数百人が配属され、当時の官庁のなかでも、最も大きな規模を備えていました。
伝来当初の雅楽は、混沌としたものだったようですが、歴代天皇の庇護のもと、この雅楽寮を中心に300年近くかけて形式が整えられていき、平安時代には芸術文化としてほぼ完成したとされています。
職員全員が「人間国宝」
主に宮中で演奏されてきた雅楽は、平安時代以降、世襲によって演奏方法などが伝承されるようになりました。現在、雅楽師として活躍されている東儀秀樹さんも、奈良時代から代々演奏の伝統を受け継いできた家系のご出身です。
普段メディアなどで取り上げられる機会が少ない雅楽ですが、天皇陛下のご即位を祝う一連の宮中儀式はもとより、饗宴や春・秋の園遊会などの行事の際にも、演奏されています。
雅楽団体は日本各地にありますが、宮中で演奏を行うのは、宮内庁式部職(しきぶしょく)楽部の方々。現代における「うたまいのつかさ」と言えるかもしれません。
楽部に属する楽師(がくし)が演奏する雅楽は、国の「重要無形文化財」、ならびにユネスコの「無形文化遺産」に指定されています。また、楽部の楽師は全員が公務員でありながら、重要無形文化財保持者、いわゆる「人間国宝」に認定されています(個人認定ではなく総合認定)。
清少納言をして「いとをかし」と言わしめた音色
雅楽の音色は、神社で執り行われる結婚式などで聴いたことがある方もいるのではないでしょうか(神道形式では、お葬儀でも雅楽が用いられます)。
雅楽は主に、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)、鳳笙(ほうしょう)の三つの管楽器で旋律を奏でます。
最も”雅楽っぽい”音色を奏でるのは、鳳笙(単に「笙」とも)でしょう。17本の竹の管から成り、それぞれに開けられた指穴を押さえながら、匏(ほう)と呼ばれる部分の吹き口に息を吹き込むことで、幻想的な和音を奏でることができます。
17本のうち15本に「簧(した)」とよばれる金属製のリードがあり、それらが振動することで、長さの違う竹管が共鳴する仕組み。
息を吸うことでも吐くことでも音がなる原理は、バグパイプやハーモニカと同じ構造で、常に音程が一定しているため、曲の音階を決める基準になります。笙が奏でる和音は、ほかの二つの楽器の”伴奏”のような役割も担っています。
龍笛も竹の管から成る管楽器。2オクターブの音域(E5~D7)があり、低い音から高い音の間を縦横無尽に飛び回るその音色は、古来「舞い立ち昇る龍の鳴き声」に例えられたといいます。
また、清少納言も『枕草子』のなかで「いとをかし」と書き綴るほど優雅で美しく、源義経が弁慶と出会った五条大橋の欄干の上で吹いていた(と、よく描写されるけど本当かどうかは謎です……)のも、この龍笛。美男子とセットに語ることで、「映える」のかもしれません。
そして、曲の主旋律を奏でるのが篳篥です。縦笛の一種で、それほど大きくないにも関わらず、非常に力強い音を出します。
ただ、あれほど龍笛を褒めていた清少納言は「篳篥は、いとかしましく、秋の虫を言はば、轡虫などのここちして、うたてけ近く聞かまほしからず」と、あまりお好きではなかった様子。
けれど、20センチほどの竹の管に、葦でできたリードを差し込んで演奏するその音色は、非常に力強く雅やか。篳篥でしか奏でられない音は多くの人々を魅了してきました。
また、中東からシルクロードによって伝来したと考えられているダブルリードの楽器形態は、現代の「オーボエ」や「ファゴット」にも共通しており、同じ祖先を持つグローバルな楽器とも言えます。
これらの管楽器に、楽太鼓、鉦鼓(しょうこ)、鞨鼓(かっこ)、琵琶、箏などが加わって一つの曲を奏でます。
雅楽の心とは「チームの為に!」
古来、人々は、篳篥の音色は人々の声を、笙の音色は天から降る光を、龍笛の音色は大地から天に登る龍を、それぞれ表していると信じてきたといいます。そうして雅楽の音色によって、この世界の有り様を表現してきたのです。
伝来当時から、雅楽はこれらの楽器が合奏することで、一つの曲を奏でてきました。西洋音楽におけるオーケストラとは、管弦楽曲を演奏する目的で編成された楽団のことを指しますが、雅楽も一つの楽器が単独で奏でるのではなく、合奏を必要とする”オーケストラ”なのです。
一方で、一般的なクラシック音楽とは異なり、雅楽には指揮者がいません。互いの音を聞き、敬意を払いながら心を合わせて演奏することで、一つの曲をつくりあげています。自分のうまさをひけらかしたり、一人が目立つような演奏では、良い曲を奏でることはできないといいます。
「お前の為にチームがあるんじゃねぇ チームの為にお前がいるんだ!!」
日本でいちばん有名なバスケットボールチームの監督、安西先生の言葉を俟つまでもなく、一つの目的を達成するためにチーム全員が心を合わせることは雅楽にとっても非常に重要なことであり、雅楽は1000年以上にわたって、その心を受け継いできたのです。
このような伝統が、ほぼ形を変えることなくいまに伝わっていることは、”奇跡”といってもいいかもしれません。世界最古のオーケストラは、単に古いというだけなく、世界で最も長く愛されてきた”奇跡のオーケストラ”なのです。
なお、宮内庁は年に2回雅楽演奏会を皇居で行っているほか(観覧は公募による抽選)、創部60年以上の歴史があり、世界42カ国以上で公演を行ってきた実績のある天理大学雅楽部(奈良県天理市)なども、定期的に演奏会を開催しています。
ぜひ足を運んで、古代の人々の魂にふれてみてはいかがでしょうか。