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Culture
2020.05.06

北条義時とはどんな人物?2022大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主役の意外な人柄

この記事を書いた人

「ステイホーム」「家にいましょう」

緊急事態宣言が発表されて、外出自粛が国や地方自治体から呼びかけられています。

「あなたと、あなたの大切な人を守るために家にいましょう」というCMが流れていて、無策で外出する人がSNSで批判されているのを見かけるようになりました。

外に出ると怒られる……つまり「家にいるだけで褒められる」のでは?

鎌倉時代マニアの私は「家にいたという事実を褒められた男」に心当たりがあります。

それが2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主役「北条義時」です。

頼朝「家にいたお前はえらい!」

事の発端は、寿永元(1182)年に遡ります。義時の姉夫婦である、北条政子と源頼朝の夫婦問題「亀の前事件」です。

詳細は以前紹介した「妻の妊娠中に不倫?バレた後も密会⁉︎源頼朝を虜にした美女「亀の前」とは」にあります。

概要をざっくりと解説しますと、頼朝が政子の妊娠中に浮気をしました。
政子は大激怒して、父の後妻である牧の方の父、牧宗親(まき むねちか)に命じて浮気相手の家を破壊します。

これに今度は頼朝が激怒し、牧のちょんまげを人前で切り落とすという、当時の男性にとって最大級の屈辱を与えます。

そして、この屈辱に政子の父北条時政が大激怒し、本拠地がある伊豆に一族郎党を従えて、なんの挨拶もなしに帰ってしまいました。

あっちでも激怒、こっちでも激怒!
マッドマックスもビックリなしっちゃかめっちゃかの怒りのデス・ロードっぷりです。

絶対に巻き込まれたくない!

頼朝は時政と一緒に帰ってしまった北条一族に対しても怒りますが、1人帰っていない北条一族の者がいると聞きます。

それが、当時20歳だった若かりし北条義時です。
頼朝は義時を呼び出してこう言いました。

「お前の父親は私の趣旨に反して伊豆に帰ってしまったが、お前は私の意を汲んで鎌倉に留まってくれたのだな。えらいぞ! 後日褒美をやろう」

義時は父親には言及せず、ただ礼を述べて家に帰って行きました。

義時「だって姉さんや親父の問題で俺は関係ないですし……」

一族の長の言葉は絶対に従うべきものとされていた当時、義時はなぜ父親に従わなかったのか。頼朝の言う通りに「父親よりも頼朝様に従います!」という忠誠心の表れなのでしょうか。

当時の義時は「北条」ではなく「江間」という名字を名乗っています。これは当時、独立したら区別をつけるため本家とは違う名字を名乗っていたからです。

この時点で義時は北条の跡継ぎではなく、分家である江間の初代という扱いだったと考えられています。ある程度、父とは別に自分で考えて行動する自由はあったでしょう。

しかし私が思うに、忠誠心とかではなく、ただ単に「面倒なことに巻き込まれたくない」と思って家にいたかったんじゃないかなぁと思います。

実は義時の長男は寿永2(1183)年生まれです。生まれた日はわかりませんが、亀の前事件のあった寿永元(1182)年は新婚さんで、奥さんは妊娠中かもしれないなという事は想像に難くありません。

妻と家にいたい……

それから、この後も義時は「基本的に家にいたい」と思っていそうです。

むしろ外に出ろ、義時

義時は頼朝の死後、父親との確執が深まります。そしてついに父親を鎌倉から追放し、北条の後を継いで「執権」となりました。

政治の場では将軍の実朝やその母である政子を表に立たせ、今でいうところの「バックヤード業務」に徹します。

ところが、基本的に戦が本業の現場タイプが多い武士たちの中で、バックヤード業務が得意なタイプは少し特殊でした。

しかも義時は戦では目立った功績を残していません。
自分が執権になったら、弓を持って「現場」に行くこともしませんでした。

義時に追討命令が出された「承久の乱」でも、京都へ攻める軍勢を差し向けるだけで、自分は鎌倉で待機していました。

このような性質が反北条の御家人たちから「いい加減にしろよ義時」と思われた原因じゃないかなと、私は思っています。

陰で「計画通り」とほくそ笑む義時のイメージは、バックヤードタイプだったから!?

危険な仕事は部下に押し付けて、自分は自宅で悠々と過ごすブラック上司! と、当時一部の武士たちに思われていたのかもしれません。

現代人なら多分ホワイトな義時

あまり表に出たがらない、引きこもり的な気質が見え隠れする義時。
800年前ではちょっと、いやかなり変わり者に見えたのかもしれません。

しかし800年の時が経ち、職業の自由があって、それぞれの特性も「個性」として認められる時代になりました。

もし、現代に義時がいたら、いち早くZoomやSlackを使いこなし、リモート化を推進したことでしょう。

コロナと戦うこの状況下では、通勤ラッシュから社員を開放するホワイト上司となっていたかもしれません。

「北条さん、ありがとうございます!」「いや、自分が家にいたいからやっただけなんだけどね~(プシュッ)」

「ステイ・ホーム? ばっちこーい!」
「おうち最高!」
「外出自粛がつらい? なんで?」
「在宅勤務が快適すぎて、もう出社したくない……」

なんてことを呟いている人は、もしかしたら北条義時に共感できるかもしれませんね。

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。