表現者として身が引き締まります
松緑さんの好きな拵えは、狂言物の舞踊『素襖落(すおうおとし)』の太郎冠者(たろうかじゃ)。
「『素襖落』は、無義道(モギドウ)と呼ばれる肩衣も外した袴だけになります。身体の線も出ますので僕の中では素踊りに近い感覚。きっちりと踊らなくては、といつも以上に神経を使います。決して派手なナリではありませんが表現者として身が引き締まる衣裳です」
松緑さんは、歌舞伎の立役として、数々の大役をつとめています。たとえば『菅原伝授手習鑑 寺子屋』の松王丸のようなメジャーな拵えが挙がることを想像していましたが、違いました。
「松王丸はたしかに気のいい役ですね。でも『寺子屋』ならば、武部源蔵(たけべげんぞう)の方が好みですし思い入れもあります」
源蔵は、『寺子屋』で松王丸と対峙する重要な役。菅原道真への忠義から苦しい選択を迫られ、寺子(生徒)を手にかけます。
「現在、源蔵を演じる方の多くは白茶の着物に羊羹色の羽織です。私の祖父(二世尾上松緑)もそうでした。過去には鼠色の方もいて、三津五郎のおにいさんは濃い茶色でしたね。僕が源蔵の時は、深緑の着物を着ます。羊羹色の羽織がよく合う、結構好きなコーディネートです」
「僕が深緑を選ぶのは、親父(尾上辰之助)が深緑だったからです。親父はこの役を(十四世)守田勘弥のおじさんから教わりましたので、おじさんと話した上でのことだと思います。祖父と父では羽織の紋も違います。祖父と親父でここまで衣裳が異なる役は他に思いあたりません」
松緑さんが12歳になって間もない頃に辰之助さんが、そして14歳の時に二世松緑さんが亡くなられました。松緑さんが源蔵を初めて演じたのは1999年2月。当時23歳での大役でした。松緑さんは源蔵を、十二世市川團十郎さんから教わりました。
「團十郎のおじは、うちの親父と幾度となく共演していたので、自分のやり方だけでなく、うちの親父の場合はどうしていたかも教えてくださいました。それをベースに(五世中村)富十郎のおじさんからも多くを学びました。松本白鸚のおじにみていただいたこともあります。最後にお焼香をする場面は、片岡仁左衛門のおにいさんの源蔵を拝見して、『正装とまではいかないが(一度脱いだ)羽織を着るのもやり方の一つ』と思いました。たしかにその方が、寺子への申し訳なさがより伝わると思い、近年では僕も着ることにしています」
歌舞伎の「芸の継承」は、単なるコピーには留まらないようです。
「お客様の中には、なぜ先代(辰之助)の通りにしないのか、と思われる方もおられるでしょう。でも僕は僕なりに理由をもち、腑におちるやり方はなるべく取り入れていきたいと思っています」
47人、一人ひとりに物語がある
港区高輪の泉岳寺(せんがくじ)は、『仮名手本忠臣蔵』(以下『忠臣蔵』)のモデルとなった赤穂義士たちが眠る場所です。忠臣蔵ファンや観光客が47名の墓石に手をあわせます。そして歌舞伎俳優たちも、忠臣蔵物に出演する際はしばしばここを訪れます。松緑さんも、新作歌舞伎『俵星玄蕃』の初演に向けて足を運びました。
「歌舞伎では塩冶判官(浅野内匠頭)、大星由良助(大石内蔵助)あたりがビッグネームです。以前は泉岳寺で、その方々の名前に意識がいきました。しかし講談には『義士銘々伝』という一人ひとりのエピソードがあります。昨年、神田松鯉(しょうり)先生のお力添えをいただき講談『荒川十太夫』を新作歌舞伎に。あらためてここを訪れた時、“四十七士”の1人ひとりがどんな人物であったか、などの思いが過ぎりました。僕の中で、義士それぞれのキャラクターが、より際立つ感覚でした」
インタビューをした11月、松緑さんは『元禄忠臣蔵』の『松浦の太鼓』で、赤穂浪士の大高源吾(おおたか・げんご)をつとめていました。その人となりは、どう意識されたのでしょうか。
「源吾は町人に身をやつし、主君・浅野内匠頭の仇である吉良上野介を討つ時を待ちます。もとは赤穂藩の武士で、俳句をたしなむ風流人でした。如才ない男だったのではないでしょうか。ただし僕の源吾は、先輩方の源吾ほどには二枚目ではありません。少し無骨です。松浦侯役の仁左衛門のおにいさんが、僕のタイプを見て、アドバイスをくださるので、日々演じ方も変わっていきました」
松浦侯は、元赤穂藩の浪士たちによる仇討ちを待ち望み、やきもきしていました。そこへ、ついに源吾が「吉良を討った」と報告に現れます。
「役者により解釈は色々かと思いますが、僕は『やるべきことはやった。あとは後ろ指さされることをせず切腹するのみ。はやくあの世にいる主君・浅野内匠頭のもとへ行き、側に仕えたい』という心で源吾を演じました。そして松浦侯から『よくやった』と褒められます。自分のやったことは間違っていなかったのだと感じ、源吾の中で、松浦侯の言葉に内匠頭の声が重なります。完全に同一視するわけではありませんが、松浦侯と内匠頭がシンクロする。仁左衛門のおにいさんの松浦侯を見て源吾を演じていると、ぐっと込み上げてくるものがあるんです」
そして『元禄忠臣蔵』の『御浜御殿綱豊卿(おはまごてんつなとよきょう)』で演じた、富森助右衛門(とみのもり・すけえもん)も赤穂浪士でした。助右衛門は仇討ちへの思いを隠しながら、身分の高いお殿様である綱豊卿と対峙します。
「助右衛門にも、源吾と同じように仇討ちへの思いがあります。しかし内匠頭と綱豊卿をダブらせることはないでしょう。少々短慮で意地っ張りな性格。自分たちの思いを否定する人間は、たとえ相手が次期将軍候補の綱豊卿であろうと、手討ちも恐れずケンカを売るような物言いをします」
「不器用で頑なな、面倒くさい男です。意見は絶対に曲げたくない。そのためなら目上の人に対しても、言いたいことを言う。僕自身にもそのようなところがあります。きっと助右衛門よりも源吾の方が、人間ができているのでしょうね(笑)」
討入り前夜からの『俵星玄蕃』。時がたち七回忌の『荒川十太夫』
本年12月初演の『俵星玄蕃』と2022年初演の『荒川十太夫』は、どちらも講談の「赤穂義士外伝」を原作とした新作歌舞伎です。松緑さんは両作で主演しますが、どちらも四十七士の役ではありません。描かれるのは、赤穂義士たちと人々の心の交流です。
「『俵星玄蕃』は吉良邸討入りの前夜からを描いています。主人公の俵星玄蕃は槍の名手の道場主です。酒飲みで宵越しの金は持たないタイプの男ですね。そんな彼の内なる葛藤を表現したいです。そして作中で玄蕃は、坂東亀蔵さんの演じる赤穂義士の杉野十平次と肚の探り合いをします」
『荒川十太夫』は討入りの後日譚です。赤穂義士たちの切腹で介錯をつとめた十太夫は、秘密を抱えながら、四十七士の七回忌の日に泉岳寺に現れます。
「十太夫は非常に真面目な人物です。作中では追い込まれているため暗くなりがちですが、彼自身の性格が元々暗かったとは思いません。普段はさっぱりとした人物ではないでしょうか」
大谷竹次郎賞、文化庁芸術祭賞・芸術祭優秀賞を受賞し、初演から1年で再演が決まりました。神田松鯉先生、縁を繋いだ神田伯山先生、そして作品づくりに関わったスタッフ・共演者への感謝を述べ、「皆さまに、また観たいと言っていただけたことがうれしいです。新年から温かい気持ちになっていただければ」と松緑さんは笑顔をみせます。
こちらの作品には、四十七士の堀部安兵衛が登場。さらに『俵星玄蕃』から『荒川十太夫』まで2作続けて、松緑さんの長男・尾上左近さんが、大石主税(ちから)をつとめます。左近さんは「大石主税は最年少で討入りに臨み、抜け穴に最初に飛び込んでいったといわれる人物。その勇猛果敢な闘志に想いの強さ、忠義の素晴らしさを感じます」とコメントしています。
歌舞伎の『忠臣蔵』は、長きにわたり多くの方に愛されてきました。しかし現代の日常生活で、忠義や仇討ちについて考える機会はなかなかありません。松緑さんも「まず、それだけの価値がある上司が、今の時代にいるかどうか」と冗談めかして話します。
「世の中はシステマチックになり、人との付き合い方もドライになりました。今どき忠義、情愛、恩愛などは流行らないのかもしれません。僕自身、かつて大正生まれや戦前の生まれの先輩方がそのようなものを大事にしているのを、『暑くるしいな』『押しつけがましいな』と感じたことが、なかったわけではない。けれども自分が先輩方の年齢に近づいてきて思うのは、ちょっと熱くならなければ伝えられないものもある、ということです。仇討ちの物語にも友情や情愛があり、熱い人たちには彼らなりの論理があった。今の時代を生きる方々にも『日本人はこういうものを大事にしていたんだな』と知る取っかかりにしてもらえたらうれしいです」
上向きでも下向きでもなく、まっすぐに
『松浦の太鼓』は喝采の中で千穐楽を迎え、『荒川十太夫』は好評を受けて早くも再演となりました。『俵星玄蕃』にも期待が高まります。取材の終わりに「このご活躍の勢いを楽しまれていますか」と聞きました。松緑さんは「冷めているわけではなく、平常心です」と穏やかに答えました。
「よく『好きなことを仕事にしてはいけない』と言いますがその通りですね。物心がついた頃には、僕は歌舞伎が大好きな子どもでした。しかし責任の重い役をいただくようになり、若い頃は劇評家の言葉を気にしたり、お客さんの入りも考えるようにもなり。舞台で芝居することがあれほど楽しかったのに、舞台以外のことでがんじがらめになっていきました。松緑を襲名してからの10年ほどは、日々の舞台に手応えを感じることはありつつも、基本的にネガティブな気持ちで歌舞伎と向き合っていたんです。歌舞伎をものすごく好きなのとまったく同じ熱量で、歌舞伎をものすごく憎く思っていました」
変化が訪れたのは、歌舞伎座が新開場するくらいの頃から。松緑さんは歌舞伎と少し距離をおくようになります。
「先輩方の中に、憑りつかれるように歌舞伎に打ち込み、まるで命と引き換えのように亡くなられてしまわれた方々がいらっしゃいました。うちの親父もその1人だと思っています。そして『俺は絶対に歌舞伎に憑りつかれたくない』と思うようになりました。そこで、よくも悪くも仕事だと割り切ったところ、歌舞伎とニュートラルな気持ちで向き合えるようになったんです。僕に限らず役者という商売をしている人間は、プライベートがどうあろうと、花道がチャリンと開いてお客さんの前に出れば、がんばるぞと100%の全力になります。舞台に出る前からエンジンをふかしていたら本番で120%に。それを続けていたら、いつかバーストしてしまうでしょう。恋愛も過剰にベタベタするよりは少し距離があるくらいの方が長続きします(笑)」
松緑さんは決して、歌舞伎に憑りつかれた人たちを否定するわけではありません。
「憑りつかれた人間だけが放つ、鬼気迫る格好良さ。あれを誰よりも美しいと感じているのは、僕かもしれません。歌舞伎に限らず音楽でも絵画でも。カート・コバーン、シド・ヴィシャス、リヴァー・フェニックス、歴史を遡れば画家のカラヴァッジョもそう。世間ではそれを天才とか鬼才とか、時には気がふれた奴だとか言うのでしょうね。そのように生きた人間を父に持つからこそ、僕はあの人たちに惹きこまれるのだろう、という気もします」
「そして、それゆえに彼らがどれほど多くのものを捨て、どれだけ周りを悲しませたかも知っているつもりです。あの人たちは、そんなことに気がつく思考回路を、生まれつき持ちあわせていないのでしょう。失くすものの存在に気づいてしまった僕は、親父のようには生きられません。今は歌舞伎と丁度よい距離感です。決して上向きではなく下向きでもなく、真っすぐでいることを大事にしていきたいです」
関連情報
『十二月大歌舞伎』
会場:東京・歌舞伎座
日程:12月3日(日)から26日(火)まで
※松緑は第二部『俵星玄蕃』、第三部『猩々(しょうじょう)』に出演。
『壽 初春大歌舞伎』
会場:東京・歌舞伎座
日程:2024年1月2日(火)から27日(土)まで
※松緑は昼の部『荒川十太夫』、夜の部『鶴亀』に出演。