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Fashion&きもの

2024.08.06

産後の不安定な体だからこそ。着物家・伊藤仁美の【和を装い、日々を纏う。】4

産後3日目に着た有松鳴海絞りの浴衣

一年の中でもひんやりと空気の冷たい頃、予定日より遅れて息子は生まれてきました。お腹の中に長くいたおかげで、人一倍大きな身体で元気な声で泣いていたのを、昨日のことのように思い出します。慣れない手で抱っこしたり授乳したり、一気に母業がスタートして嬉しくてニヤけながらも、初めてのことだらけで不安も抱えていました。

病室で産後パジャマを着たままだった私は、産後3日目に藍色をした有松鳴海絞りの浴衣を着ました。寝ても覚めても息子のことばっかり考えていた私は、浴衣を着る時だけふと意識が自分自身に戻り、眠かったことや腰が痛いことに気づきました。

着る工程で言えば、洋服よりも多い着物や浴衣。ひととき着ることに集中することで、着終わった頃には身も心もスッキリしていることが多いように感じます。そして、あの時ほどそれを実感した瞬間はありません。
身をととのえることで、心が自然と調う。これは瞑想に似たような、着物文化に宿るマインドフルネスな要素のひとつだと思います。

「子育て着物」に最適な綿コーマ

退院後、本格的な子育て奮闘記が始まるわけですが、これを機に私の着物生活には大きな変化が訪れます。
着物選びの大前提が、「肌の弱い息子が触れても肌荒れせず気持ちいいもの」に変わり、着ている物のしわなどを気にせず、ぎゅと抱きしめられるものに。そして、ミルクなどをこぼしてもすぐに洗濯機で洗えるもの。これらを絶対条件として、着物や浴衣を選ぶようになりました。

そこで日常着として大活躍したのが綿コーマの浴衣でした。
綿コーマは、丈夫な木綿のコーマ糸を使用した平織りの生地です。丈夫でケバが少なく、太さにムラがない糸で織られた生地は、柔らかくしっとりしていて肌触りが最高に気持ちいいのが特徴です。

特にお風呂上がりなんて最高でした。お風呂上がりの後、息子のことで精一杯な私にはボタンを一つ一つ止めたりする余裕なんてその当時はありませんでした。タオル代わりにバサっと羽織って、紐で結ぶだけの浴衣はもってこいだったのです。

どうりでそのはず、それは浴衣の起源を遡れば納得です。現代ではお祭りや花火大会でよく目にする浴衣の起源は、平安時代、貴族たちが湯殿で用いる服装として親しんでいた「湯帷子(ゆかたびら)」だと言われています。それがやがて、庶民も湯上がりに着るようになり、藍で染めたものを町着、散歩着として愛用するようになったと言われています。

子育てで必死の中、機能を重視して選んだ着方は、先人たちの智慧の結晶だったのです。

産後の不安定な体を安定させた帯

私はこのころ、帯は博多織の半幅帯をよく巻きました。その中でも、江戸時代に幕府への献上品として贈られたという仏具をモチーフにした献上柄が昔からずっと大好きで、伝統的なお柄でありながらモダンな風情漂うところが飽きない理由です。

さらに縦糸をたくさん使って織ることによるしなやかさや、一度締めたら締め戻りのない締めごごちの良さは秀逸です。締める時に絹同士が触れることで鳴る独特のキュキュという絹鳴りの音も、他にはない特徴の一つです。
帯を巻くことで産後の不安定な下半身を安定させるようにして、赤ちゃんを抱き抱えていました。

着物の着方にも大きな変化がありました。最初のころは、胸元を子供に引っ張られた後や抱っこ紐をした後に大きく着崩れてしまうことが悩みでしたが、ある時、それは今この瞬間しか味わうことのできな子供との愛おしき記憶であると感じるようになりました。
抱っこをした後の着物のしわは、愛情いっぱい抱きしめた証。その人となりや日々の営みが着姿に現れた美しさ。寸分違わず、左右対称に整えられた着姿とはまた違う、唯一無二の魅力であり味だということに気づいたのです。

この時期の写真は、襟元や背中はいつもふわふわ浮いていて帯も緩んでいますが、赤ちゃんだった頃の子供との光景が着姿に投影されている、私にとってかけがえのない愛しき記憶であり宝物なのです。

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伊藤仁美

着物家/株式会社enso代表  「日本の美意識と未来へ」を掲げ、着物を通して日本の美意識の価値を紐解き、未来へとつないでいく事をテーマに『enso』を主宰。 祇園の禅寺に生まれ、和の空間に囲まれて育つ。祖父の法要で色とりどりの衣を纏った僧侶がお経を唱える美しい姿に出逢い、着物の世界へ進む。着付け師範、一般着付けから芸舞妓の技術まで習得。 講演や連載、イベント出演他、国内外の企業やブランド、アーティストとのコラボレーションや監修も多数、海外メディアにも掲載。着物の研究を通して着物の可能性を追求し続けるなか、自身の理想を形にすべく、オリジナルプロダクト「ensowabi」を立ち上げる。
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