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ケンケンが刀剣博物館に!【刀剣博物館編_1】尾上右近の日本文化入門_INTOJapaaaaN!

歌舞伎役者 尾上右近さんと共に日本文化を学ぶ『尾上右近の日本文化入門_INTOJapaaaaN!』。葛飾北斎横山大観国宝 千手観音菩薩坐像に続き、第4回は、東京・墨田区にある刀剣博物館で、刀剣の鑑賞法、歴史を学びます。

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今回は、両国の刀剣博物館で、特別に刀剣を鑑賞させていただくことになり、ケンケンは気を引き締めて、羽織袴での登場です! 

まずは、学芸員の石井彰さんに刀剣の鑑賞方法やポイントを教わりました。博物館の2Fにある閲覧室のテーブルに並べられていたのは二本の刀。13世紀中頃、鎌倉時代の刀工・助真(すけざね)の作刀と極められた「金象嵌銘 助真」。もう一つは17世紀中頃の刀工・助広(すけひろ)が作刀した「津田越前守助広」です。閲覧室にはピンと張り詰めたような緊張感が漂います。

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鎌倉時代の名刀「金象嵌銘 助真」に出会う

まずは日本刀の基本的な見方を教えていただきました。「日本刀を鑑賞する際は、姿、刃文、地鉄(ぢがね)が3大ポイントとなります」と、石井さん。「手に持つ部分のことを専門用語で茎(なかご)と言いますが、刀の姿を見るときは、茎を垂直に立てて、反りかっこうを見ます」。「本当に持っていいんですか?」と尋ねてから、まずケンケンは700数十年前、鎌倉時代中期につくられた刀「助真」を手にしたのです。

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※特別な許可を受けて、専門の学芸員の立会いの元で鑑賞をしています。

「持った感じは、思っていたより重いですね。まあ、いつも手にしている歌舞伎の小道具は竹光ですけど…」と、ケンケン。「竹光とは言え、お芝居で扱われているだけあって、手馴れていらっしゃいます。一般の方はたいていガチガチで腰が退けてしまいますよ」と、石井さん。「われわれは身幅と言うのですが、この状態で、重ね(幅や厚み)や、切っ先の大きさや姿かたちを見るんです。「助真」は長年の間に何回か研ぎ直してはいますが、鎌倉時代のものでここまで健全に残っているものは少ないです」と。そこでケンケンが「すごいな。持った途端にものすごい耳鳴りがしました…」と、少し戸惑ったような顔をしたのです。おや、大丈夫でしょうか…。

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さて、次は刃文を見てみましょう。「左手に袱紗を持ち、袱紗に刀を軽く載せるかたちで、おへそのあたりで刃文を見てください」と、石井さん。天井に備え付けられた白熱球の光を刀身にあてると、照明があたった部分を中心に刃文がパッと浮かび上がりました。

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さらに、照明が当る位置を動かしていくと、それと合わせて刃文が現れてきます。「すごいですね」と、ケンケン。「ええ、非常に華やかな、丁子乱(ちょうじみだれ)という種類の刃文が見られます。沈丁花のつぼみのかたちに倣った名称なんです」と、石井さん。刃文のかたちは植物や波のかたちに例えたりするそうです。日本刀の刃文は一度には見えないので、照明を反射させることで起こる乱反射で刃文が浮き上がるのです。石井さんが「昔は蝋燭の炎で刀を見たんですよ」というと、「なるほど!歌舞伎の演目『籠釣瓶花街酔醒』では最後に次郎左衛門が蝋燭にかざして刀を見ます」とケンケン。「ほう、そういう場面があるんですね。もっと手元に引き寄せてゆくと、黒い部分の地鉄に模様が現れます。そうして姿と刃文と地鉄を見てゆきます」と、石井さん。「ああ、本当だ、全体に木目みたいな模様が見えます」「これがまた日本刀の見どころなんです。あとで2本目の刀を見比べていただくと違いがよくわかりますよ」と、石井さん。

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さて、刃文というのは焼き入れの技術によって生ずる文様だそうです。大体のかたちをつくった刀身にペースト状の焼刃土を刃文の入れたいところには薄く、他の部分には厚く塗り、それを真っ赤に熱して水で急冷します。すると薄く塗ったところは冷めるスピードが速く、厚く塗ってるところはゆっくり冷めるため、その境目に刃文が出来るというわけです。この刃文の美しさが日本刀の美しさを一層引き立てています。

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刃文も地鉄もつくられたほぼ当時のままです。「700年も前の刀が錆びないで今に伝わっているということは、いかに時代、時代で大切に伝えられてきたか、ということだと思うんです。単なる道具を超えたものであることには間違いありません。美術的な高さで言えば鎌倉時代が頂点で、そこからどんどん下降していきます。今の現代刀工はほとんどが鎌倉時代の作品を目指してやっているという感じです。不思議なもので、どれほど科学技術が進んでも、なかなか鎌倉時代のものは再現できません」と、石井さん。そこでケンケンは「鎌倉時代がいちばん実用性が高かったんでしょうね。美術的に優れていたというのは、僕は精神的なことじゃないかと思うんです。死の怖さ、命の危機に比例していると思うんです。器でもそうですが、鎌倉時代のものがやっぱり鋭くて、だんだん娯楽になるとべちゃっと退屈な感じになるといわれます…」。すると、「仏像や仏画に精通する学芸員に聞いても、鎌倉時代が最高だそうです。室町とか江戸になるとどんどん技量的に落ちてくると…。

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「金象嵌銘 助真」。樋(ひ)といわれる二重の溝がある

この助真はわれわれ専門家が見ても相当でき栄えのいいものです。複雑構造によって横からの衝撃を分散するために樋を彫ったのではないかとか、いろんな説があります。溝があれば血を溜めて流れやすくなるという俗説もあります。が、多くは重量の軽減のためではないかと…。それに光の反射具合が複雑になるので、より鋭さが出てきます」と、石井さん。

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鞘に納まる部分の茎(なかご)には、象嵌で「助真」とある

「あっ、助真と入っていますね。…ここに彫られているのは模様?」と、ケンケン。「これはそれぞれ特字、護摩箸、蓮台、鍬形、素剣(すけん)といいます。信仰に基づいたものです。元来、刀は自分の身を守るものですから、自分の信仰の対象とする仏の法具を象り彫っているんです」と、石井さん。これらの彫物は、江戸時代になると多分に装飾的になっていきます。

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信仰の対象とする仏の法具などが象り彫られている

江戸時代の名刀「津田越前守助広」

では、もう一本の「津田越前守助広」を拝見してみましょう。こちらは江戸時代、17世紀中頃の刀工・助広が作刀した刀です。江戸時代の典型的な刀は「棒反り」といわれ、反りが浅いものが多いのですが、それに比べるとこの助広は比較的反っているそうです。

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ほどと同じく、文字通り真剣な面持ちで刃文と地鉄を見るケンケン

「重さは同じぐらい…。でも持った感じが全然違います。刃文も違う。なんか客観性がありますね」と、ケンケン。「そうなんです。助広は明らかに見せるため意図的に、濤瀾(とうらん)乱れといって焼刃の刃文を波のように焼いているんです」と、石井さん。

白熱灯にのせて刃文を見ると、なるほど、てんてんと波から飛沫が上っているような丸いものが見えます。これを濤瀾乱れといい、一世を風靡して同時代で真似た刀匠もいたそうです。

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のちに幕末に至っても、そして現代の刀匠でも、この濤瀾乱れを真似てつくっています。「濤瀾乱れをつくり出したのが、江戸時代前期1660年ぐらいを中心に活躍したこの津田越前守助広という刀匠でした。こちらも名刀です。虎徹(こてつ)と同時代の刀です」と、石井さん。
「先ほどの刃文とは、地鉄の模様も違いますね。模様があまりなくて、てんてんとちょっと入っています」と、ケンケン。「これをあえて名称で言うならば、小板目肌(こいためはだ)。助真は明らかに板目肌でしたが、ほとんど肌目がわからないぐらいにできています」と、石井さん。助広はそれまでなかった波の模様を日本刀の刃文として完成させたという意味で、天才肌の刀工でした。それまでの日本刀の概念というか発想には考えられなかった刃文をつくり出したのです。

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だから何百年たっても名を残しているということです。「たしかにいろんなことを考えてつくられている感じがします。作為を感じます。でも僕は鎌倉時代の助真の方が好きかな…」というケンケンに、「そうです。直感で感じた、好き嫌いでいいと思うんですよ」と、石井さん。

まだまだ続きます!

刀剣の歴史って?
夢は自分の刀をつくること?!
刀剣博物館をぶらり!(とう)ケンケンさんぽ

尾上右近プロフィール

尾上右近

歌舞伎俳優。1992年生まれ。江戸浄瑠璃清元節宗家・七代目清元延寿太夫の次男として生まれる。兄は清元節三味線方の清元昂洋。曾祖父は六代目尾上菊五郎。母方の祖父は鶴田浩二。2000年4月、本名・岡村研佑(けんすけ)の名で、歌舞伎座公演「舞鶴雪月花」松虫で初舞台を踏み、名子役として大活躍。05年に二代目尾上右近を襲名。舞踊の腕も群を抜く存在。また、役者を続けながらも清元のプロとして、父親の前名である栄寿太夫の七代目を襲名10月1日(月)〜25日(木)は御園座の顔見世公演に出演予定。【公式Twitter】 【公式Instagram】 【公式ブログ】

文/新居典子 撮影/三浦憲治 構成/新居典子・久保志帆子

【尾上右近の日本文化入門】

第1回 北斎LOVEな西洋のアーティストたち♡
第2回 大観と言えば富士?!
第3回 東博に超絶御室派のみほとけ大集合!
第4回 ケンケンが刀剣博物館に!
第5回 錦絵誕生までの道程 鈴木春信の魅力
第6回 日本建築とはなんぞや!
第7回 国宝「合掌土偶」が面白い!
第8回 永青文庫で、「殿と姫の美のくらし」を拝見

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