江戸時代、幕府公認として誕生した遊郭、吉原。ここは、江戸一番の享楽地であり、江戸文化にも大きな影響を与えました。その中心となるのが遊女です。一説には2000人~3000人もの遊女が、抱えられていたと言われています。この遊女の中でも美しさと知性を兼ね備えたのが「花魁(おいらん)」と呼ばれる上級遊女でした。そんな花魁たちの行った「花魁道中(おいらんどうちゅう)」について紹介します。
今でいえばテーマパークのパレード? 豪華絢爛な花魁道中
借金を抱え、苦界と呼ばれる閉ざされた世界で、ひと際華やかな光を浴びるのが、花魁が吉原を練り歩く「花魁道中」です。
これは花魁が新造(しんぞう)※1や禿(かむろ)※2、番頭や遣手(やりて)※3を従え、大行列をなして、客の待つ引手茶屋※4と妓楼を往復する習わしのようなものでした。
性のエンターテインメント、吉原の遊郭。男性が遊女と遊ぶとき直接店に行かないメリットとは?
一世一代の疑似結婚式?
現代であればトップスターのような花魁を連れて、妓楼へと向かう様は男性にとって、一世一代の大イベントでもあり、結婚式のようでもありました。これが噂となり、一目この花魁の姿を見たいと、町民たちが吉原見物に訪れるようになります。
花魁道中を踏める遊女はほんのひと握り。吉原版出世コースに乗るにはアレとコレが重要!
宝暦期(1751~1764)には、特定の日に行うパレードのようなものとなり、仲の町のメインストリートを絢爛豪華な衣装と派手なパフォーマンスで吉原を練り歩く「花魁ショー」のような興行へと移り変わっていきました。
江戸文化の華として、文学や舞台にも描かれた花魁道中
花魁が髪にたくさんの飾りをつけ、煌びやかな衣装を重ね、三枚歯の塗り下駄、外八文字(そとはちもんじ)と呼ばれる内から外へ足を開く歩く姿は、吉原特有の文化を生み出し、小説や映画、舞台などでも描かれるようになります。また、3月1日には、桜を植え、大きな木の下に山吹を添え、垣根をめぐらすなど、壮大な演出が行われ、桜舞い散る中、美しい花魁との競演を楽しみました。儚く散る桜は、まさに一夜の夢である吉原の姿を映し出していたのではないでしょうか。
一晩500万円?浮気はご法度!遊郭・吉原で高級遊女と遊ぶルールが厳しい!
参考文献:図説 吉原事典 永井義男著 朝日新聞出版、日本国語大辞典(小学館)、日本大百科全書(小学館)
アイキャッチ画像:吉原中之町桜の日(吉原中之町桜の門日)「江戸名所」シリーズより 歌川広重 シカゴ美術館より