嫉妬は醜い。
頭ではそう理解しても、なんせ心はどこ吹く風。昨今、アンガーマネジメントが注目されているが、怒りは抑え込めても嫉妬ってヤツはなかなか難しい。
あの「日本近代詩の父」、萩原朔太郎だって、こんな言葉を残している。
「女に於ける嫉妬は愛の高雅な情操によるのでなく、実には猛獣の激情に類するところの、野蛮の本能によるのである」
(萩原朔太郎著『虚妄の正義』より一部抜粋)
ああ、納得。嫉妬って野蛮の本能なんだ。
そんな女の激情を、飼いならさず解放できればいいのに。ほら、男同士の友情が殴り合いの末に築かれるみたいな。女だって、堂々と嫉妬を声高に宣言できる場があれば、案外スッキリするかもしれない。って、夢物語なんかで終わらないのが、この和樂web。
ちゃんと探してきましたよ。じつは、そんな風習、奇習が、かつて日本にもあったのです。武士のみならず、一般の庶民の間にも存在したとされる「うわなり打」。室町、戦国時代を経て江戸時代には廃れてしまった風習である。
今回は、そんな奇習「うわなり打」をご紹介。併せて、この奇習に悩まされた肥前佐賀藩初代藩主・鍋島直茂(なべしまなおしげ)の恋愛模様もご紹介しよう。
戦国時代の結婚事情。離婚なんて日常茶飯事?
まず、冒頭の絵が気になっている方が多いのではと思うのだが。コチラの絵のタイトルは『往古うハなり打の図』。歌川広重が描いたものである。
「うハなり打(うわなりうち)」の「うわなり」。じつは、漢字に直すと「後妻」と書く。大名など一部の結婚に関しては「正室」のほかに「側室」を持っていた。このように一夫多妻制の場合の第二夫人以下、もしくは一夫一婦制で先妻が離縁され、そのあとに嫁いだ後妻を意味する。
そんな「うわなり」を打つのが「うわなり打」。つまり、第一夫人が第二夫人を虐げたり、先妻が後妻を襲撃することを指す。特に、先妻から後妻へ行う襲撃は、当時の風習として、ある一定のルールの下で認められていたのである。
そこで、1つの疑問が。
なぜ、先妻が後妻を恨むのかというコト。そもそも、どうしてこのような風習が存在したのか。
これは、当時の結婚、離婚事情によるところが大きい。
中世では、離婚はなにも珍しいことではなく、なんなら現代よりも軽微な理由での離婚が可能であった。来日したイエズス会宣教師ルイス・フロイスも、戦国時代の離婚事情をこのように記録している。
「ヨーロッパでは、妻を離別することは、罪悪である上に、最大の不名誉である。日本では意のままに幾人でも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、また結婚も出来る」
(ルイス・フロイス著『ヨーロッパ文化と日本文化』より一部抜粋)
夫から一方的に離婚する場合は、妻からの持参金など全額返還するなどの要件を満たせば、問題なくできたという。また、夫のみならず、妻からの離婚も可能。その場合は夫の同意として「離婚の証明」なるものが必要となってくる。室町時代では「暇の印(いとまのいん)」ともいわれ、物品だったが、戦国時代には「離縁状(去状、さりじょう)」、そして江戸時代には「三行半(みくだりはん)」へと制度化されていく。ちなみに、再婚する際は、この離婚の証明が必要となるのだとか。
こうみると、当時の世相からは、伸び伸びとした結婚、離婚事情がうかがえる。しかし、逆をいえば。夫から一方的に離縁された妻もなかにはいるワケで。そんな彼女らの心には、ぼおっとした炎が常にくすぶっていたのではないだろうか。
ほうきに、しゃもじに、はたまた、お重?
どうして、女の恨みは女の方、つまり同性へと向きがちなのか。
先妻からすれば、このまま一方的に追い出されるのは、なんだか癪。このむしゃくしゃした気持ちに、どうにか折り合いをつけたいと思うのだろう。その解決方法は千差万別。よくよく考えれば、多くの選択肢もあったはず。しかし、彼女らは、なぜか安易かつ最も原始的な方法を選ぶ。
「徹底的に暴れるしかない。後妻め、思い知らせてやる」
という結論に流れてしまうのである。
ただ、この「うわなり打」。さすがに無礼講ではない。卑怯で流血沙汰になるような、無茶苦茶なモノは、いつの時代も同じく認められないのだ。礼儀作法に則り、一定のルールに沿って行うことが必要。
そして、その作法の1つが、「後妻への事前通告」である。
先妻は、後妻のところへ使者を派遣し、日時と武器を伝達する。いつ頃、どのような武器で決行されるかを、相手に通告しなければならないのである。
このルールが、果たして良いのか悪いのか。
というのも、通告することで、より一層、「うわなり打」は派手に大々的に行われるからだ。だって、襲撃する方は襲撃する方で、親類やら友人やらを集めて、思いっきり暴れてやろうという心積もり。一方、迎え打つ方も、ただ黙ってやられるワケにはいかないと。こちらも親類や友人、お隣さんなどを揃えて、徹底抗戦の構えを見せるのだ。
実際に、江戸時代に描かれた『往古うハなり打の図』。
その細部をよく観察すると、当時の生活道具が武器として使われていたことがわかる。
まずは、コチラ。
いいねえ。
着物をたすき掛けしてまくり、動きやすい格好にアレンジされている。
もちろん、手には「箒(ほうき)」である。まあ、一番機動力がありそうではある。
箒の種類は様々。短いのから長いのまで。使われる素材によって、硬い、柔らかいと変わってくる。「うわなり打」では、重要なアイテムの一つであろう。
次に、「しゃもじ」がエントリ―。真ん中の女性は両手にしゃもじだ。欲張りすぎだねえ。おっと。左側の女性は、かごのようなモノを手にしている。あれで、叩くつもりなのだろうか。取っ組み合う寸前の意気込みが感じられる。体育祭の騎馬戦を見ているような既視感だ。
さらに、レアなアイテムとして登場したのが「帽子」。どうやら、麦わら帽子のようで、つばが広い。振り回せば、かなりの威力を発揮するのかもしれない。ただ、柔らかいから、そこまでダメージを与えることはできないかも。ひょっとしたら、護身用の可能性も大いにある。
おきゃんだねえ。「しゃもじ」に対して棒で応戦しているところ。右下には、折れた箒が散乱している。とにかく、後妻の家で暴れまくり、めちゃくちゃにして、胸のもやもやを吐き出している様がよく分かる。
最後のアイテムは「お重」。コレ、上から振り下ろそうとしてない?
角ばったトコロが当たれば、相当痛いはず。この本気度合いは、なんだか、先妻と後妻の当人同士の戦いなのかも。罵声、嬌声、入り乱れ、大変凄まじい有様だったことだろう。
それにしても、多くの女性が本気でやりあっているのとは対照的に、その武器は生活用具。非常にシュールである。ただ、当の現場は、混乱を極め、シュールどころではなかっただろうが。
あの鍋島直茂も振り回された?先妻の怒り
さて、ここまで「うわなり打」を見てきたわけだが、最後はどうやって終わるのか。
嫉妬の炎は昇華し、どす黒い恨みつらみは、後妻の家で暴れて発散。あとは、双方が和解という体で、遺恨は残さない。これが、本来の「うわなり打」の終わり方である。
しかし、1回では飽き足らず、何度も行う恐るべき先妻も。そんな先妻に振り回されたのが、肥前佐賀藩初代藩主、鍋島直茂(なべしまなおしげ)である。
『葉隠(はがくれ)』には、鍋島直茂の継室(後妻)である「陽泰院(ようたいいん)」の苦悩が記されている。
何度も「うわなり打」って。考えただけで、卒倒しそうな感じ。これには、どうやら鍋島直茂の離婚事情が関係しているようだ。じつは、直茂は慶円尼(けいえんに)を正室に迎えていたが、岳父の高木胤秀(たねひで)が敵方へ寝返ることに。これが原因で、慶円尼は直茂側から一方的に離縁されたという。意に添わない離縁で、恨む気持ちもあったのだろうか。
一方で、直茂の継室となったのが「陽泰院」。領国では国母として絶大な人気を誇り、89歳で亡くなった折には、側近の武士が殉死したとも。それほど、人格のある女性だといわれている。
そんな継室の「陽泰院」のところへ、「うわなり打」のために出向く慶円尼。
これに対して、一体、継室の陽泰院はどう対応したのか。
「うわなり打」の通告が来れば、後妻は負けじと親類縁者を集め、こちらも迎え打つ準備をするのが一般的。しかし、陽泰院は、違った。何の準備もしなかったのである。慶円尼が来れば、ただ普通の来客のように接したのだとか。丁寧に慶円尼に挨拶をして、茶菓子まで出す見事な対応。
これには、さすがの慶円尼も手も足も出ず。先までの勢いは尻すぼみとなり、毎回、何もせずに帰っていく。このやりとりが何度か繰り返されたのだとか。
そう思うと、慶円尼もそこまで悪い人ではなさそうだ。だって、丸腰の女性相手に戦うことはできなかったのだから。逆に、ちょっと可哀そうな気もする。遺恨を残さず、1回限りで思いっきり暴れるからこそ、先妻たちの無念は浄化されるのだ。それすら叶わず、毎回お茶だけして帰る慶円尼。発散どころか毎回ストレスだけ溜めることになったのでは。
それでも、何度も足を運んで、次こそは暴れてやるという闘志。
陽泰院も慶円尼も。どっちもどっちというところか。
さて、最後に、
奇習「うわなり打」について。
最初は、なんて、えげつない風習なんだと驚いたが。どうやら、彼女たちは彼女たちで、当時どうすることもできなかった離婚事情に抗おうとしていたのだ。そう、思うようになった。
当時は、恋愛感情だけで全てが割り切れる結婚、離婚ではなかったはず。だからこそ、自分自身の手で、煮えたぎった感情を鎮めるしかなかったのだろう。そういう意味では、「うわなり打」は、ある種、同性だからこそできるのかもしれない。この気持ちが分かるのは、同じ女性だけ。そんな無言のメッセージが含まれているように思う。
ちなみに、ソクラテスはこんな言葉を残している。
「嫉妬は魂の腐敗である」
まさしく、その通り。やはり恋の痛手を忘れるには、次の新しい相手。これは、古今東西変わりなきこと。
先ほどの、慶円尼。いつしか「うわなり打」は止まったというが。
なんでも、彼女は鐘ヶ江盛清(かねがえもりきよ)という武将と再婚したというではないか。
「うわなり打」に対抗するには、正々堂々と迎え打つ? 丁寧に挨拶する?
いや、それよりも。
新しい相手を紹介する。この斬新な方法を、是非とも彼女らには、おススメしたい。
参考文献
『47都道府県の戦国 姫たちの野望』 八幡和郎著 講談社 2011年6月
『戦国姫物語―城を支えた女たち』 山名美和子著 鳳書院 2012年10月
『戦国の城と59人の姫たち』 濱口和久著 並木書房 2016年12月
『戦国武将 逸話の謎と真相』 川口素生著 株式会社学習研究社 2007年8月
『お寺で読み解く日本史の謎』 河合敦著 株式会社PHP研究所 2017年2月
『日本の大名・旗本のしびれる逸話』左文字右京著 東邦出版 2019年3月
『虚妄の正義』萩原朔太郎著 講談社 1994年1月