非常に完成度が高く、歴史ファンからも一般の視聴者からも愛される大河ドラマ『麒麟がくる』。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大によって撮影が困難になったため、6月7日に放送された第21回を境に放送休止に追い込まれました。制作陣は「麒麟がくるまでお待ちください」というメッセージを発し、歴代大河ドラマの名場面集などを放送してきました。
それも見ごたえがあり面白かったのですが、やはり『麒麟がくる』の続きが見たい。そう思っていた矢先の7月22日に「8月30日からの放送再開」が発表されました。再開までには総集編も放送されるということで、改めて「麒麟がくるの魅力」を整理。すでに視聴してきた方にも、再開から新しく見始めるという方にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。
歴史学の研究成果を生かした重厚な内容
一般に、歴史ドラマというものは「歴史の実像」よりも「ドラマとしての面白さ」を重視して世界観をつくる傾向があります。ドラマはあくまで学術の営みではないので、もちろんそうしたつくりに問題があるわけではありません。
ただ、やはり普段からある程度歴史に触れている立場から言うと、「また魔王信長か……」「また松永久秀は爆死するのか……」と、おなじみの設定に飽き飽きしているのも事実。そして、ドラマに罪はないものの、このような誤った歴史イメージを史実と思い込む視聴者も多いのも懸念点でした。
対して、これまでも大河ドラマは数多くの実績を残す研究者に時代考証を依頼し、歴史創作といえども史実から大きく逸脱しないよう工夫を重ねてきました。今回の『麒麟がくる』では、それがより洗練された形で表現されているといえるでしょう。
今回の大河における描写の難しいポイントは、史実とされる記録にほとんど登場しない明智光秀の前半生を描くことと、複雑怪奇な畿内の情勢を描くことではなかったかと思います。このうち、光秀の前半生に関しては創作の余地しかないので良くも悪くも脚本次第といった感じでしたが、問題は畿内の描写でした。最近はようやく注目されるようになってきましたが、戦国時代の畿内はもうメチャクチャ。応仁の乱、明応の政変からつづく政争が収まらず、内紛や寝返りが頻発していたのです。
加えて、この部分は長らくマトモに研究されてこなかったこともあり、最近になってようやくその実態が見えてきていました。和楽webでも解説してきましたが、例えばこれまでは全然注目されてこなかった三好長慶(みよしながよし)は「信長の先駆者」と呼ばれるほど挑戦的な政治を行っていたり、爆死と裏切りのイメージしかなかった松永久秀はむしろ忠義の人であったりと。
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しかし、これらの研究成果はドラマ的に必ずしも「オイシイ」ものではありません。「長慶を裏切って死に追い込んだ久秀。彼を信長は受け入れるが、やはり飼いならすことはできなかった。そして、最期は華々しく爆死」と、こっちのほうが筋書きとしては面白いですし、久秀のキャラも立ちます。いくら長慶を優秀に描いても、すぐに死んでしまいますからね。
それでも、今作は極力研究の成果を反映しようと腐心し、優秀な長慶とそれを支える久秀の図式をつくりだしていると感じます。確かに王道の展開ではありませんが、畿内を支配して勢力を誇る長慶の威厳と、部下として底知れぬポテンシャルを見せる久秀の姿が非常にうまく描かれています。「史実を重視するとドラマとしてつまらなくなっちゃうんじゃないの?」という懸念を見事に払しょくした、素晴らしい挑戦だと感心しました。
ドラマ的面白さを残しつつ「あったかもしれない」歴史が描かれる
先ほど少し述べた「光秀の前半生」に関しては、こちらも俗説に逃げていない点がまず評価できます。例えば、よく知られたエピソードとして、「光秀と妻の煕子(ひろこ)が結婚する際、煕子は病気で美貌を失ってしまったが、光秀はそれを意に介さず結婚した」というものがあります。
光秀を主人公とするドラマ的にはいかにも「映えそう」なエピソードですが、本作ではそれを採用しませんでした。その理由として考えられるのは、このエピソードが史実ではない可能性が高いだけでなく、ほかの戦国武将にも同じような逸話が多く残されているため。
例えば、「毛利両川」として毛利家を支えた吉川元春(きっかわもとはる)は、ブス過ぎて誰も結婚したがらなかった女性を妻に望み、周囲を驚かせたというエピソードが残っています。他には、大友家の家臣として活躍した高橋紹運(たかはしじょううん)も、光秀と同じく病気で顔に跡が残った婚約者と約束を違えず結婚しています。このように戦国時代には「見た目を気にせず結婚した」という逸話が多く残されており、これは恐らく江戸時代に「軍記物」を描く際、「外見にとらわれない判断ができる人だ」と武将を持ち上げるために同じようなエピソードが創作されたからではないでしょうか。
つまり、この逸話は光秀独自のものではなく、歴史的にも価値の低い情報だったため、ドラマには盛り込まれなかったのではと思います。
ただし、このように史実性をある程度否定できるエピソードも存在するものの、光秀の前半生は良くも悪くも史実が残っていません。それでも、脚本では面白さ重視の展開をつくる一方、実際の史実と矛盾せず「あったかもしれない」と思わせてくれるような構成も意識されていると感じます。
作中では、光秀が何度も何度も京都や尾張に派遣される場面が描かれます。SNSだと「おつかいクエスト発生」と冗談交じりに言及されがちな一連のシーンですが、これも史実の光秀が歩んだ道を考えるうえで重要になってきます。光秀の姿が史実で確認できるようになるのは1560年代のことですが、彼はこの時点で細川藤孝(ほそかわふじたか)や足利義昭(あしかがよしあき)と交流をもっていました。つまり、光秀がここに至る人生のどこかで彼らに出会っているのは確実であり、美濃在国中から京都に派遣されていても不思議はないのです。
また、光秀は義昭の配下として信長の上洛に関する交渉を行っています。こちらは以前から信長と交流があったかは分からないものの、ご存知の通り濃姫が信長の正室となるほど斎藤家と織田家は密接な関係にありました。光秀が斎藤道三のもとに仕えていたとすれば、やはり前半生で信長と交流をもっている可能性は十分に考えられます。
京都や尾張に頻繁に向かうのは、やはり細川藤孝や織田信長といった光秀の人生におけるキーマンと接点を持たせつつ、人気の高い人物たちを登場させることでドラマ的な面白さを狙ったものとも解釈できます。ただ、その一方で光秀の行動は史実と矛盾しないよう設計されており、脚本と時代考証の連携が見事だと感じました。
良質な脚本と時代考証を生かす熱演も
いくら脚本や時代考証といった裏方の仕事が素晴らしくても、やはりドラマには役を演じるキャスト陣の奮闘が欠かせません。ただ、ここまでドラマを見た方に、もはやその懸念はないでしょう。
本作のキャストでなんといっても注目度が高かったのは、斎藤道三を演じる本木雅弘さん。荘厳で整った見た目をしながら、一目見て「こいつ、全く信頼できないな」と思わせてくれます。案の定、作中では裏切りを連発しつつも「はて、なんのことやら」とすっとぼけてみせました。しかし、その一方で鬼気迫るシーンでみせる演技は見るものを圧倒し、道三の死後は「道三ロス」を嘆く視聴者が続出したほどでした。
このように、表面的な部分だけを見ても素晴らしいキャラクターに仕上がっていた道三。加えて、歴史的な視点から考えるとキャラクターの深みはさらに増していくのです。
史実に残されている道三の姿を整理してみると、「間違いなく飛びぬけて優秀なのに、面白いくらい人望がない」という一面が見えてきます。とくに国を奪ってからの反発は根強いものがあり、国衆や息子に反旗を翻されて滅び去ったのは史実でも同じ。
ドラマでもこの点は巧みに再現されていたのですが、ふと冷静に考えてみると「優秀なのに人望のないキャラクター」を魅力的に描く難しさに気づかされます。優秀なのに人望のない人は現実の世界にもいますが、たいていそういう人は見ているだけでイライラして嫌いになってしまいます。人望がないということは、つまり魅力的な人間ではないとみなされがちだからです。
しかし、ドラマの道三は人望のなさに納得できるだけの残念ポイントもあるのに、それでいてたまらなく魅力的なキャラクターに仕上がっているところが素晴らしい。部下にはパワハラし、全く信用できず、最期は惨めに死ぬ。それでも、多くの人には理解されない道三の国や信長を見る思いは私たちに伝わり、「嫌われる理由は分かる。でも魅力的」という人物像が完成していたのではないでしょうか。
残念ながら道三は亡くなってしまったので、今後は回想シーンでのみの出番となってしまうでしょう。それでも、これから信長の躍進と共に光秀も中央政界に顔を出し、そして立身出世を遂げていくことになります。追加のキャストも続々と発表され、迫りくる滅亡の時に向けて光秀をどう描いていくのかは見もの。放送再開後の展開にも期待が高まります!