「玉手箱」というと、浦島太郎のイメージが強いですが、玉手箱とは本来は身の回りのこまごまとしたお道具をしまう容れ物のことです。かつて鶴岡八幡宮には、北条政子の玉手箱と、そこに入っていたとされる化粧道具が伝わっていました。
鎌倉幕府のトップレディのメイク道具……とても気になりますね! そこで小学館のひみつ地下室にあるタイムマシンに乗って、鎌倉時代に取材してきました。
しかし途中、時空乱流に遭遇し、時空の座標がズレてしまい、着いた時代は嘉禄元(1225)年……北条政子さんの最晩年でした。
拝見! 北条政子の手箱
北条政子さんがまだ体調を崩される前だったのは不幸中の幸いでした。私はさっそく「ホンヤクコンニャクしょうゆ味」を齧りつつ、手箱の取材を申し入れたところ、快く応じてくださいました。
政子(以下敬称略):まぁまぁ。私に来客なんて珍しい事。
尼僧姿の政子さん。尼将軍と呼ばれ「女傑」のイメージが強いですが、とても落ち着いていて上品な雰囲気でした。
政子:手箱を見たいとおっしゃってましたわね。私はこの通り、夫が亡くなってから仏門に入って久しく、無用の物となっていたので、鶴岡八幡宮に奉納していましたのよ。今回、特別に持ち出していただきました。
— わぁ! ありがとうございます。
政子:夫は同じような硯箱*を持っていました。手箱と一緒に後白河法皇から賜ったものです。
(* 正式名称「籬菊螺鈿蒔絵硯箱(まがき に きく らでん まきえ すずりばこ)」 国宝 所蔵:鶴岡八幡宮)
— 夫婦でお揃いって素敵ですね!
政子:でしょう? ほんとう、使うのがもったいないくらいでしたよ。
鎌倉時代の化粧道具
さっそく中身を拝見させていただきました! まずはこちら……櫛ですね。
— 櫛が5枚セットになっているんですね。歯の間隔が違うように見えます。この時代の女性の髪は結わずに流していますので、美しいストレートヘアのために使い分けているのでしょうか。
政子:そうね。それに儀式や儀礼の時は、髪を結いましたよ。その時に櫛を挿して髪を飾っていました。
— ああ! お雛様の髪型ですね!
政子:大垂髪(おすべらかし)といって、たわませた髪を肩のあたりで束ねて前髪を櫛で止めるのですよ。正直、束ねていた方が動きやすかったですね(笑)。それから結婚したら鬢削ぎ(びんそぎ)といって、顔の横の部分を切りそろえるんですが……。
— いわゆる「姫カット」ですね!
政子:あら。あなたの国ではそういうのね。こちらでは大人の女性の証でしたから、少しおかしく感じるわ(笑)。その姫カット、けっこう邪魔なのですよ。ついつい耳に掛けちゃうのですけど、それははしたない事と言われていましたわ。将軍の妻だと身だしなみも常にきちんとしなければならないから、大変でしたね。でも今は、剃髪したからスッキリサッパリですよ(笑)。
— こちらは、何に使うものなんでしょうか? キラキラして綺麗。何かの飾り……?
政子:……実は私もそれはよくわからないのよね……。
— えっ。
政子:髪飾りかしらね?
— (和樂webの読者の中にご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいですね!)で、では、この紙の束は……?
政子:細い方はおそらく、元結(もとゆい)……大垂髪の時に髪をまとめる水引じゃないかしら。正方形のは……ごめんなさいね。仏門に入ってから化粧道具の事は忘れてしまって……。
— いえいえ! では、この針金でできたコレはなんでしょう……。ブラシでもなさそうだし……。
政子:あ、それは銀製の櫛払(くしばらい)ですよ。櫛の歯に絡んだ毛やゴミを掃除するものです。
— 便利!(これを掃除する時はどうしてたんだろう……)
政子:こちらは鏡と専用の箱。
— 菊の模様がかわいいですね! 鏡面はどうなってるんでしょう。
政子:きちんと磨いて手入れをすれば、ちゃんと映るんですけど、長い事眠っていたもので……ほほほほほ。
— ああ~! この小箱、めちゃくちゃカワイイ!
政子:化粧品を保管するための容器ですよ。たしか、背の低い箱が歯黒箱(A)。高い方が白粉(おしろい)箱(B)。円形が薫物(たきもの=お香)箱(C)でしたっけね? この銀の壺は、整髪するための油を保管する油壷(D)……だったかしら?
— どんな風に使っていたんですか?
政子:まず、白水(米のとぎ汁)を櫛につけて髪を梳かすの。そしてこの油壷の中にある、椿油をつけた綿で艶を出す。匂いも気になるからお香で良い香りをつけたりね。本当に大変だったわよ。尼僧になってよかったと、一番思うのは髪の手入れの楽さかしらね(笑)あなたたちの国は、出家しなくても自由に短い髪になれて良いわねぇ。
— 自由は自由で、今度は自分に合う髪型に悩んじゃうんですけどね(笑)。そろそろお時間ですね。お忙しい中ありがとうございました。
政子:せっかく来ていただいたのに、分からないことだらけでごめんなさいね。また来てくださいね。
あとがき
今回紹介した『政子手箱図』こと「籬菊螺鈿蒔絵手箱図(まがき に きく らでん まきえ てばこ ず)」は、神奈川県鎌倉市にある鎌倉国宝館に所蔵されている絵画です。
手箱の原品は、明治6(1873)年、ウィーン万国博覧会に出品されましたが、不運な事にその帰りに船が転覆してしまい、伊豆の沖に沈んでしまいました。
しかし、手箱図の巻頭には「阿波国文庫」の印が捺されていることから、手箱図はもともと徳島藩主・蜂須賀家にあったことがわかります。江戸時代、藩主は各地のお宝を家臣にたくさん模写させて、その絵画をコレクションしていたそうです。
手箱の原品は嘉永三年(1850)に修理されており、それには柴田是信が関わったとされています。本図はそれを契機に制作されたことが考えられます。道具のかたちや寸法は細かく記されていますが、道具の名称は書かれていないほか用途もはっきりせず未だ謎に満ちています。
妄想インタビューで紹介した名前や用途は、熊野速玉大社の「桐蒔絵手箱」や三島大社の「梅蒔絵手箱」の内容物を参考に推測したものです。ちなみに三島大社は鎌倉幕府と深い関係があり、「梅蒔絵手箱」も北条政子が奉納したものと伝わっています。
鎌倉国宝館
今回、画像提供・取材に協力してくださった鎌倉国宝館は、鶴岡八幡宮の境内にあります。
1923(大正12)年の関東大震災の時、鶴岡八幡宮も甚大な被害を受け、舞殿と上宮楼門が全壊してしまうほどでした。この時の教訓から、鶴岡八幡宮および市域の寺社の所蔵する国宝をはじめとする文化財を災害から守るために作られました。
「籬菊螺鈿蒔絵手箱図」の展示は、この記事が公開される頃には展示が終わってしまっていますが、2020(令和2)年10月10日(土)~11月29日(日)には「仏像入門 -くらべてみよう!姿と形―」という仏像にスポットを当てた特別展が行われます。
仏の種類によって髪型や服装、しぐさに至るまで、決まりに基づいている事を紹介し、仏像鑑賞の基本をわかりやすく解説しています。今後の美術鑑賞の役に立つこと間違いなし!
そして常設展では、鎌倉周辺の寺社に伝わる貴重な仏像が展示されています。迫力のある等身大の薬師三尊と十二神将は、北条義時が鎌倉初期に活躍した仏師・運慶に彫らせた像の摸刻(もこく=細部まで忠実に再現した像)と考えられています。
そういえば、北条義時は十二神将の中でも「戌神」と関わりが深いようです。鎌倉初期は幕府内で空前の仏像ブームとなり、鎌倉御家人たちは運慶などの人気仏師に、オリジナルの仏像制作を依頼していたのですが、けっこう「自分の姿に似せて彫らせた」と伝わるものがあるのですよ。
もしかしたら、義時の顔って……。
2022年の大河までに是非チェックしたいですね!
名称: 鎌倉国宝館
住所: 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-1
営業時間: 午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
定休日: 月曜日(祝日の場合は翌平日)、展示替期間、特別整理期間、年末年始等
入館料: 一般400円 小中学生200円
公式webサイト: https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/
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1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)