学歴・資格・スキル不問で、大卒初任給の約8倍の月収を稼ぐ人もいたという、女性専門の昭和初期のお仕事。それは「カフェーの女給」です。
タイピストにエレベーターガール、女車掌など、先進的な職業に就く女性が「職業婦人」ともてはやされた時代。しかし、多くの職業は学歴や技術が求められる上にさほど稼げず、出世や昇給も見込めませんでした。
そんな中、カフェーブームとともに「職業婦人」の一種として誕生した「カフェーの女給」は、学歴やスキルがなくても働くことができ、頑張り次第ではかなりの収入が見込める職業だったそう。
また当時のカフェーには多くの文化人が出入りしていたこともあり、有名作家と恋仲になったり小説の題材になったりと、女給は何かと注目を集める存在でした。
ということで、「女給って実際どのくらい稼げるの?」「有名人との恋愛事情は?」など、気になる女給のアレコレを詳しく掘り下げます。
謎に包まれた「カフェーの女給」の正体に迫ります!
そもそも「カフェーの女給」ってどんな仕事?
明治末期、銀座にカフェーが誕生した当初の女給は、飲み物や食事を運ぶウエイトレスとしての役割が主でした。
しかし昭和初期になると、カフェーは女給が客の隣に座り接待サービスをする場所に、徐々に変化していきます。
サービスの濃厚さは店により異なりましたが、中には客に体をすり寄せながら会話をする店もあったそう。女給目当てにカフェーに通う客も多くいました(※)。
※女給の接待がなく、純粋にコーヒーを飲む店ももちろんあり、そういった店は「純喫茶」と呼ばれました。「純喫茶」という言葉が生まれた経緯については、以下記事にて詳しくご紹介しています。
▼「カフェー=エロ」の時代があった?!純喫茶の歴史を深堀りしたら「不純なカフェー」に辿り着いた
https://intojapanwaraku.com/culture/144336/
カフェーの女給はどのくらい稼げるの?
月給が出る店もありましたが、女給の収入の大部分は客からのチップでした。収入は人によって差があり、また時期によっても変動がありました。
「日本における最高のチップ取り」と言われたのは、昭和の初め頃に銀座に開店したカフェー「サイセリア」の女給・大川京子(通称:お京さん)。黒目がちのうるんだ瞳が印象的な美人だったそう。
お京さん本人が語るところによると、「昭和3年頃、クリスマスから正月にかけての忙しい時期には、月収580円だった」とのこと。
当時の大卒初任給は月収約70円。繁忙期の女給は、大卒初任給の約8倍の稼ぎがあったんですね。
お京さんは別格としても、月収250円くらい稼ぐ人はそれなりにいて、あまり人気のない女給でも、60円より下になる人はほとんどいませんでした。中には、月収400円で女給の募集をかけていた店もあったのだとか。
ただ、女給たちは衣装の着物を自前で用意しなければならず、稼ぎがいいとはいえ出費も多かったそう。
場末のカフェーであれば浴衣で店に出られましたが、インテリ層が多い銀座となるとそうはいかず、高価な着物を何着も揃える必要がありました。
クリスマスなどイベントの時期には店から指定された着物を買う必要があり、女給たちにとっては痛い出費でした。羽振りのいい常連客がついている女給は、お客さんに着物を買ってもらえるケースもあったようです。
女給×文化人のカフェー恋愛相関図
当時のカフェーには多くの文化人が通いましたが、中には女給に恋心を抱き、なんとかモノにできないか? とアプローチを重ねた人もいました。女給×文化人の恋愛事情を紹介します!
菊池寛:デート内容を小説で暴露され雑誌社に殴り込み!
一人目は、菊池寛。小説家として、そして雑誌『文藝春秋』を創刊した実業家としても成功を収めた菊池は、銀座の「カフェー・タイガー」の女給にアプローチをしていました。
その詳細な内容を、小説『女給』で暴露され大激怒した! というエピソードがあります。
『女給』は、菊池寛がアプローチしていた「カフェー・タイガー」の女給へのインタビュー内容を元に、小説家・広津和郎が執筆した小説。主人公「小夜子」にアプローチする流行作家「吉永薫」のモデルが菊池寛です。
小説に登場する吉永は、カフェーTで働く女給「小夜子」を一目で気に入ります。
握手の時にさりげなく多めのチップを握らせたり、ドライブデートに誘って料理屋の個室に連れ込み、「ちょっと隣の部屋に行かない?(※布団用意済み)」などとアプローチをかけるものの、小夜子にうまくかわされ、あえなく玉砕……。
小説『女給』には、吉永と小夜子が交わした会話の詳細や、デートの帰り際にキスをされた時の様子について「何だか男っ臭い息で口をふさがれた」など、生々しい内容も……。フィクションではありますが、事実にもとづくエピソードがふんだんに盛り込まれていたようです。
これを読んだ菊池寛は、『女給』が掲載されていた『婦人公論』の版元・中央公論社の社長宛に、抗議文を送りつけました。
しかし『婦人公論』はその抗議文を「僕と『小夜子』の関係」という、何とも意味ありげなタイトルで掲載。激怒した菊池寛は中央公論社に殴り込みをかけ、編集長の頭を連打する騒ぎを起こします。
元々広津と菊池は親しい仲だったこともあり、知人が間に入り二人は和解。一件落着……と思いきや、その後小夜子のモデルとなった女給が「広津の小説は本当のことだ」と雑誌で暴露しました。
有名人の恋愛ゴシップは、いつの時代も雑誌の定番ネタなんですね!
永井荷風:女給との警察沙汰をネタにされ小説で反撃
小説『女給』に登場する作家「細井春潮」のモデルとされているのが、『あめりか物語』『断腸亭日乗』など、多くの作品を残した小説家の永井荷風です。
小説『女給』の中で、細井は美人女給「お喜佐」にアプローチをかけますが、お喜佐はかなりの酒乱で「財産を半分くれ!」と細井の家に怒鳴りこみ、警察沙汰の騒ぎになったエピソードが書かれています。
永井荷風は一時期よく銀座のカフェーに通っており、親しい関係だったカフェー・タイガーの女給「お久」に金を要求されて警察沙汰になったことがありました。小説で書かれたエピソードは、おそらくこの出来事が元になっています。
小説『女給』が発表された頃には、荷風のカフェー熱はすでに冷めていたそう。しかし『女給』を読んだ荷風は、突如カフェーを舞台とした小説を執筆し始めます。それが、映画化もされた『つゆのあとさき』です。
『つゆのあとさき』には、妻がありながら女遊びばかりしている軽薄な作家・清岡進が登場します。清岡のモデルとされているのが、『女給』の作者・広津和郎です。
清岡はお気に入りの女給が他の男と関係を持ったことに腹を立て、その女給に数々の嫌がらせをするキャラクターとして描かれています。
『つゆのあとさき』は、『女給』で広津にネタにされたことに対する、荷風なりの反撃だったのかもしれません。
広津和郎:妻がいるのに4股
小説『女給』を書いた広津自身も、カフェーの女給と浮名を流した文化人の一人です。
広津和郎は、硯友社の小説家・広津柳浪を親に持ち、自身も小説家として数々の作品を執筆しました。
広津和郎は妻の他に、本郷のカフェーの女給元子、銀座のカフェー・ライオンの女給松沢はま、新橋の待合のおかみ都里らと同時に恋愛関係を結んでいたのだとか……!
ちなみに、新橋待合の都里は、日本で最初に「カフェー」を店名に使った店として有名な、銀座の「カフェー・プランタン」の創業者であり画家の、松山省三の愛人でもあったそう。
この時代のカフェー界隈の恋愛相関図を作ったら、とんでもないことになりそうですね(笑)。
客の悪口三昧!「カフェーライオン鼻つまみ番附」
カフェーの女給たちは、客のことをどう思っていたのでしょうか?
実は、資料が残っているんです。その名も「カフエライオン鼻つまみ番附(ばんづけ)」。(1925/大正14年発行『銀座』8月号に掲載)
「カフェー・ライオン」は、1911(明治44)年に銀座に創業したカフェーです。白いエプロンに幅広のリボンを背中で結んだ、可愛らしい装いの美人女給たちが出迎えてくれるとあって、当時の人気カフェーのひとつでした。
「カフエライオン鼻つまみ番附」では、客を「大関」「関脇」などに分類して相撲の番付表のように並べ、それぞれの客についての女給の意見が書かれています。
「カフエライオン鼻つまみ番附」より一部抜粋
【両大関】
村松正俊(文明批評家、翻訳家):1日に8回も来る
原貢(野球指導者):紅茶1杯で6時間も居座る【関脇】
酒井真人(小説家、映画評論家):弱いくせに喧嘩をする【前頭】
広津和郎(小説家、文芸評論家、翻訳家):店のことを小説に書く
菊池寛(小説家、劇作家、ジャーナリスト):たまに来て女給を口説こうとする※女給の意見は、原文に則しつつ現代語風に書き換えています。
小説『女給』を書いた広津和郎や、『女給』の中でネタにされた菊池寛もしっかり載っていますね。
菊池寛がよく通っていたのは「カフェー・タイガー」ですが、「カフェー・ライオン」はタイガーの向かいにあったので、たまに来店して女給にちょっかいを出していたのかな、と。
この他にも、
- ・エッヘエッヘと笑う
- ・シャケみたいな顔をして色男ぶる
- ・ハゲ隠しに帽子を取らない
- ・酔うとコップを割って弁償しない
など、大正期に活躍した文化人の皆さんが、散々な言われよう。
客の前ではニコニコと愛想よく振る舞う女給たちも、腹の中ではいろいろと思うところがあったんでしょうね……。
銀座の人気女給・小夜子さんに妄想インタビュー
さて、最後に銀座の有名カフェーで働く人気女給・小夜子さんへの妄想インタビューをお届けします!
小夜子さんがカフェーでお仕事をされている合間に時間をいただき、女給になったきっかけやお客様とのエピソードを伺いました。
※以下は、小説『女給』(広津和郎著)と、昭和初期の銀座の実態を書いた『銀座細見』(安藤更正著)の内容を元にした妄想インタビューです。
——本日はお忙しいところありがとうございます! さっそくですが、小夜子さんが女給になったきっかけを伺いたくて。たしか、ご出身は北海道だとか?
小夜子:ええ、そうですの。19歳の時、まだ北海道にいる頃に、3つ上の男性との間に子どもができましてね。でも、相手に逃げられてしまって。
若い娘が独り身で子どもを産むとなれば、白い目で見る人が多かった時代ですから、妊娠のことは親にも言えませんでした。それで「東京で働いて、何とかして一人で育てよう」と、知人を頼って上京したんです。
——そうなんですね。じゃあ、お子さんを育てながらカフェーで働いているんですか?
小夜子:いえ……子どもは里子に出しました。
最初のうちは、子どもを見ながらできる内職の仕事をやっていましたが、全然稼げなくて。子どもに満足な暮らしをさせてやれないのが辛くて、いっそ子どもと心中してしまおうか……なんて考えたこともありました。
なんとか思いとどまり、子どもを里子に出して、銀座のカフェーで働くようになったんです。
——小夜子さんは、有名作家の吉永さんに熱心に口説かれたことで有名ですよね。吉永さんに限らず、しつこく言い寄られて困ったことはありますか?
小夜子:吉永さんにはアプローチはされましたが、しつこくされて困るようなことはありませんでした。すごく良くしていただいて、感謝していますわ。
そうね、困ったことといえば……以前、相良さんというお客様がよく来てくださっていて。真面目な性格の方で、奥様やお子さんもいらっしゃいました。
ある日「僕がもし独身だったら、結婚してくれるかい?」と聞かれて、「もし独身だったら考えてみるかもしれないわね」なんて答えたことがありました。そしたら、しばらくしてから「妻とは離婚したから、結婚をしてくれ」とプロポーズされたんです。
——えっ!!! それ、どうしたんですか?
小夜子:困ったことになったと思って、「両親に相談する」と伝えて北海道の実家に戻り、ほとぼりを冷まそうとしました。すると、彼は実家まで追いかけて来て……。そこで結婚の意志はないと伝えたら、彼は帰りがけに立ち寄った仙台の宿で、刀で喉を突いて自殺未遂をしました。
——刀で喉を……。自殺ではなく「未遂」だったんですか?
小夜子:ええ、一命は取り留めました。
また相良さんが来るかもしれないと思って別の店に移りましたが、どこで噂を聞きつけたのか、その店にも相良さんがやって来たんです。喉の傷を見せつけられて、同僚や他のお客様の目の前で「売女!」と罵倒され顔を何度も殴られた上に、結婚詐欺で訴えられて、警察に呼び出されました。
——なんつーハードな話……。
小夜子:刑事たちはろくに調べもせずに「お前が男をだましたんだろう」「最近のカフェーの女は生意気だ」「男に喉を突かせておいて平気な顔をしているなんて、人間の心がない」と口々に言ってきました。
女給は世間体の悪い仕事ですから、最初から悪者扱いですよ。しまいには、「さっさと逮捕してしまおう」なんて言い出したんです。
——きちんと調べもせずに逮捕なんてひどい!
小夜子:そうでしょう? 私、もう腹が立ってしまって! このまま豚箱にブチ込まれるくらいなら、言いたい事を言ってやろうと思って、取り囲む刑事たちにこう言ったんです。
小夜子:「仕事上、客に気のあるそぶりは見せるけれど、結婚の約束なんてしていない。自殺未遂をしたと聞いた時には、気の毒に思う気持ちもあった。しかし今勤めている店までわざわざやってきて、他の客がいる前で私を罵倒し殴った上に結婚詐欺で訴えるのは、さすがに我慢ならない。
そもそも、妻子ある30歳過ぎの男がカフェーの女給に入れ込んでこんな騒ぎを起こすなんて、そっちを取り締まったほうが社会のためになるんじゃないか?」と、刑事たちに向かって啖呵を切りました。
刑事たちは「なるほど、お前の言うことにも一理ある」と納得して、釈放してもらえました。
——逮捕されなくてよかったですね!
お子さんのために女給の仕事を始め、お客様との揉め事も経て……改めて「女給」の仕事についてどう思いますか?
小夜子:以前、あるお客様が「男どもが作っているこの世の中では、男に気に入られなければ女は生きていけない」と仰ったことがあるんです。なんだか釈然としない気持ちになりました。
「職業婦人」なんて言葉が登場して、タイピストや事務員など、先進的な仕事に就く女性が注目されるようになりました。でも実情はたいして稼ぎもよくないし、出世や昇給も見込めないんです。
——他の仕事で稼げないから、カフェーで働くようになった方も多くいらっしゃるそうですね。
小夜子:ええ。カフェーの女給も「職業婦人」ですが、特別な技術は必要ありませんし、頑張り次第でその辺の男よりも稼ぐことだってできます。でも、結局は男に気に入られなければ、出世は見込めない。
女給だけじゃなくて、他の仕事に就く女性たちも、もしかしたら同じような思いを抱えていらっしゃるかもしれないわね。それでも、女が自分の力で金を得るには体を売るしかなかった時代からしたら、ずいぶん進歩はしたんでしょうけど。
——確かに、同じような葛藤を抱えながら働いている女性は、他にもいるかもしれませんね。
小夜子:そうね……私ね、朝起きて部屋を綺麗に掃除してから、仕事に出かけるのが日課なんです。くたくたになって帰ってきて、家の扉を開けた時に、朝片付けたままの綺麗に整った部屋を見ると、たまらなく寂しくなるんですよ。
私の唯一の楽しみは、カフェーで稼いだお金で、里子に出した子どもにおもちゃを贈ることなんです。
女が独り身で子どもを産んでも後ろ指をさされることもなく、働きながら一人で育て上げられる。そんな世の中が、いつかやってくるのかしらね。
……あら、馴染みのお客様が来店されたみたい。そろそろ仕事に戻らないと。もうよろしくて?
——あ、すみません長々と。お時間ありがとうございました!
小夜子:また今度いらしてくださいね。それでは、失礼いたします。
以上、広津和郎著の小説『女給』に登場する女給・小夜子さんへの妄想インタビューをお届けしました。
小説『女給』は、実在する女給の話を元に書かれた作品です。
どこまでが事実でどこからフィクションなのか、詳細は明らかにされていません。
しかし、小夜子のモデルとなった女給が「小説の内容は本当のことだ」と雑誌上で発言しており、また昭和初期に活躍した美術史家・安藤更正は、小説『女給』について「あれが本当の銀座女給だ(『銀座細見』より)」との言葉を残しています。
もしかしたら、小説内の「小夜子」のような境遇の女給は、一定数いたんじゃないか……? そんな風に感じます。
濃い化粧に華やかな着物で着飾り、客に愛想をふりまく女給たち。
収入の多さや有名人との恋愛ゴシップなど、華やかな面が取り沙汰される一方で、その美しい笑顔の裏には、それぞれの悲しみを抱えていたのかもしれません。
※参考文献
『喫茶店の時代』林哲夫
『銀座細見』安藤更正
『銀座カフェー興亡史』野口孝一
『広津和郎全集 第五巻』広津和郎
『つゆのあとさき』永井荷風
※アイキャッチ画像は国立国会図書館デジタルコレクションより