戦国時代の合戦では、武士は倒した敵方の首をかき切って、持ち帰りました。現代人の感覚からすると、何とも残酷で、ゾゾッと鳥肌が立つ行為!
この首取りは、武士の活躍を示す証拠として、必要だったのだそうです。確かに、口頭で敵を討ったと伝えても、事実かどうかは本人しかわからないですもんね。
この討ち取られた首は、その後集められて、「首実検」※を行いました。
敵方の武士を慰霊する目的もあったそうですが、首で吉凶を占っていたというから驚きです!
どうして吉凶を占ったの?
斬られた瞬間の表情が残るため、全ての生首が目を閉じていた訳ではありませんでした。右方向を見ていたり、下を向いたり、様々な表情が見られたことから、自軍にとって吉か凶かを占ったんだそうな。いやいや、占わなくてもいいんじゃないの? と、つっこみたくなりますが…….。
凶はどんな首?
不吉とされたのは、歯をくいしばる「歯噛み」の首。首祭りをして、祟りを払ったんだとか。こ、こわー!
こんなのも凶!
片目を閉じていたのも、不吉とされました。死の瞬間に、片目だけ閉じるって、とってもレアな気がするけどなぁ。
これは吉!
両目を閉じ、優しげで落ち着いた表情の首は、「仏眼(ぶつげん)」と呼ばれて吉とされました。死してなお、人格者なのか?
右に目が向いているのは、味方にとっては吉で、敵方にとっては不吉とされました。反対に左に目が向いているのは、敵方にとって吉で、味方にとっては不吉とされたようです。
左右で意味が分かれているのは、左は生存につながる方向で、右は死につながるという考え方が影響しています。首を正面にして吉凶判断するので、目が右を向いている場合は、見ている者にとっては、左側な訳ですね。
その後、首はどうなった?
首実検が終ると、勝利した新しい領主の誕生を知らせるために、生首は民衆にさらされたようです。首を獄門台に乗せて、見せしめに使われました。首を捨ててしまうこともあり、その場合は北の方角へと決められていました。北は逃げるという意味合いからのようです。
格式の高い武将の場合は、首桶に入れて、丁重に敵国へ送り返されました。これは、時代劇のシーンでも、出て来たりしますね! 首塚を立てて手厚く弔う場合もありました。全国各地に残っているので、近所にもあるかもしれませんよ。
アイキャッチ:メトロポリタン美術館より
参考文献:『戦国の作法』小和田哲男監修 株式会社G.B.発行 精選版日本国語大辞典