一世を風靡した漫画『鬼滅の刃』の「遊郭編」が話題になりました。 大正時代の吉原遊廓を舞台にしたお話ですが、そもそも遊郭ってどんなところなのでしょうか? そこで働く遊女はいつからいるの? 遊女の歴史を3分で解説します。
遊女の歴史は万葉集にまで遡る!
日本にいつから遊女(性的なサービスを提供する女性)がいたのかは不明ですが、万葉集に遊行女婦(うかれめ)という言葉が書かれており、旅芸人として放浪しながら春を売る人々がいたとみられています。
そのほか、白拍子(しらびょうし)や傀儡女(くぐつめ)と呼ばれる旅芸人兼娼婦がいましたが、都市の発達から次第に定住するものが増え、一般的に「遊女」という名称が使われるようになります。城下町や門前町が発展するにつれて、遊女の数も増加していきました。
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遊郭を開いたのは豊臣秀吉
1585(天正13)年より、豊臣秀吉が大坂、次いで京都にて公娼(公に認められた娼婦)を集めた遊郭を始めます。この政策は徳川幕府にも引き継がれ、全国に約20カ所の幕府公認遊郭を指定し、遊女や店を取り締まる規制を整えました。
遊郭の多くが市街の外れに置かれ、周りには溝が掘られるなど、遊女の外出や逃亡を防ぐためのかなり厳しい対策が取られていました。今でも有名な江戸吉原の遊郭ができたのは1617(元和3)年のこと。もともとの吉原は、現在の中央区人形町付近にあり、その後1657(明暦3)年、浅草北部に移転し「新吉原」と呼ばれるようになりました。移転の理由の一つには、元の吉原周辺の発展に伴い、市中から遊郭を隔離したいという考えがあったといわれています。
頂点になれるのは一握り! 遊女には細かいランクがある
さて、「遊女」は性的なサービスに従事する女性一般を指す言葉ですが、「太夫(たゆう)」や「花魁(おいらん)」などは、どうやって使い分けられていたのでしょうか?
太夫は遊女の最高ランクであり、1000人中でなれるのはたった3〜5人とも! 太夫になるには容姿の他に幅広い技芸と知識を持っていることが必須条件でした。例えば、有名な和歌を暗記していたり、座敷に源氏物語が置かれたりしていたなんてエピソードもあります。
遊女のランクは時代によって分け方や名称が異なりますが、主に見習い時代の禿(かむろ)に始まり新造(しんぞう)でデビュー、端女郎(はしじょろう)、囲(かこい)、御職(おしょく)、格子(こうし)などを経て太夫へとステップアップしていきます。ちなみに「女郎」は遊女の別称として使われていました。
では花魁はどのランクを指すのか? というと、実は花魁は職名ではないため具体的なランクは決まっていません。江戸中期以降、客層の変化により数が少なくなってしまった太夫に変わり「散茶(さんちゃ)」という新しいランクが台頭しました。散茶は太夫の2つ下あたりですが、次第に数を増やし、散茶の中でも客引きをしなくても良い最上格の遊女が「花魁」と呼ばれるようになりました。
あの「花魁道中」が始まったのも江戸中期以降です。
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遊郭が江戸時代の文化にも影響を与えた
遊郭の文化は「粋(いき、すい)」や「通(つう)」といった美学の基盤を作り、遊郭での出来事を題材とした洒落本や人形浄瑠璃の心中ブームが生まれました。「ひやかし」など今も使われる言葉も、遊郭発祥なんです。
遊郭は、江戸の女子たちの流行にも影響を与えていました。浮世絵にも多く描かれていた遊女たちは、いわばファッションリーダーだったのでしょう。
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遊女と芸者の違いって?
芸者は、元禄(1688~1704年)ごろ、遊郭で遊女の芸妓不足をおぎなうために生まれた太鼓女郎がその前身といわれています。男芸者(太鼓持ち)と区別するために女芸者と呼ばれ、娼婦ではなく三味線と踊りのみを行う専門職として、遊女屋を渡り歩き商売を行いました。一方、市中で私娼(幕府非公認の娼婦)をしていた踊子もまた町芸者と呼ばれるようになり、料理茶屋や船宿、武士や商人の屋敷に招かれ宴席で芸を披露するようになったことで、芸者遊びが各地で盛んになりました。
明治以降は、新橋を中心とした財界・政界の社交の場にコンパニオンとして芸妓(芸者)が多用されるようになりました。同時期に社交場としての機能を失い始めた遊郭とは対照的に、芸妓はその数を増やしていきます。
光があれば闇も…遊女たちの悲劇
江戸時代の遊郭は、ほとんどの遊女が親や女衒(ぜげん)に売られ、借金のために客を取らなくてはいけない少女たちでした。もちろん妊娠のリスクもあり、性病で命を落とすことも……。
『鬼滅の刃』遊郭編に出てくる鬼たちも、そんなやるせない境遇から生まれていましたね。
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1946(昭和21)年、公娼制は廃止され、遊女の系統は消滅したことになります。江戸時代に華やかさを極め、時代の移り変わりとともにひっそりと消えていった遊女たち。非日常のテーマパークのような空間の裏にある情念と悲しみを知れば、物語への理解がより一層深まるかもしれません。
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参考文献:
平凡社『世界大百科事典』
小学館『日本大百科全書』
扉絵:『吉原仲の町花魁道中』 メトロポリタン美術館蔵
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