見送りのうしろや寂し秋の風
病む人のうしろ姿や秋の風
一方はAIが作成した句、もう一方は日本を代表するとある俳諧師の句なのだが、見分けがつくだろうか。
ちなみに、上が松尾芭蕉が詠み上げた句、下がAIの句である。
このように、AIによる俳句の生成能力は人間に近づきつつあることをお分かりいただけることだろう。
「AI」という言葉がパワーワードとなり始めた2016年頃、イギリスのオックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授(※論文発表時の肩書き)が「The Future of Employment(日本語訳:雇用の未来)」という題目の論文を発表。その後、宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキング博士が「AIは独自に意思を持ち始め、いずれAIは人間に最悪、もしくは最良の結果をもたらす」という見解を述べたことが影響し、「AIは人間の仕事を奪う」というネガティブな論調の記事が目立った。
果たしてAIは人間の俳句の作り手にとって脅威となり得るのか。
そもそも機械は人間とは違って感情を持たない。よって、人間と同様、もののあわれを表現することは不可能である。誰しもそう考えるだろう。
AIが今後俳句界隈にもたらす影響を明らかにすべく、AI俳諧師こと「AI一茶くん」の開発に携わった北海道大学大学院情報科学研究院・調和系工学研究室の山下倫央先生にお伺いした。
AIの台頭で日本の俳句はどう変わる?
まず、AIというとここ数年で流行り出したテクノロジーという印象を受けるかもしれないが、実はそうではない。1950年代からすでにAIブームが始まっていて、イギリスの数学者、アラン・チューリングが人の知能とは何かを深く考察し、現在のコンピュータプログラムに繋がる理論を発案したのが始まりである。1980年代に知識をコンピュータに取り込むエキスパートシステムの導入をもって第2次AIブームが巻き起こるものの、人間の知識の多さのあまり、知識を書き取ることの難しさが露呈し衰退。その後、2010年代半ばに第3次AIブームが到来。冒頭で述べたマイケル・A・オズボーン氏やスティーブン・ホーキング氏の世間を震撼させる見解が浮上し、現在に至る。
–例えば医療では外科ロボットの登場により手術時間が大幅に短縮し、人間の医師の業務をAIが代替可能という話も持ちあがっています。こうして、AIの参入によって様々な業界が様変わりするなかで、俳句を取り巻く世界はどうなると思いますか。
山下先生:昔は俳句をする時にどれくらい言葉を知っているかが重要だったわけです。言葉というものが無数に存在するなかで、辞書の登場によってどの言葉がどういう意味を持っているかというのが調べられるようになり、さらに電子辞書やインターネットの普及により高速で色んな情報を検索できるようにもなりました。例えば制作においてはAIが作った句にインスパイアされて作品を生み出すというようなやり方が今後新たに生まれてくるのではないかと思います。
「AI一茶くん」にはすでに1億個の句が登録されています。そのデータベースでは言葉の繫がりに着目しながら方向性を示したうえで、人間が最後に手直したり、あるいは手直しにとどまらず、そこから刺激を受けて全然違うものを生み出したりといった方法が身近になってくるでしょう。作業の進め方と高速化といった点を踏まえても、従来の俳句スタイルとは格段の差が出てくるのは確かです。
ここで筆者が感じたのは、AIは人間にとっての脅威ではなく、むしろ色んな組み合わせを提示することで、人間の強力な助っ人として創作活動をサポートする存在となり得るということだ。そうやって、人間はコンピュータに助けながら創作活動を展開していく傍らで、松尾芭蕉や正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)、西東三鬼(さいとうさんき)らが起こしたような俳句革新に匹敵するムーブメントがAI主導のもとで数10年後の未来に巻き起こる可能性もゼロではないはずだ。
クリエイティブ業界も激変!?想定される人間とAIとの共創の未来
–現在、人間とAIとの共存を前提とした社会が構想されています。これは海外のニュースになりますが、最近ではベートーベンの未完の作品をAIが仕上げたというニュースも報じられました。そもそも俳句や音楽のようにクリエイティビティの高い作業において、人間に出来てAIに出来ないことは何ですか。
山下先生:現段階においては、例えば「AIが面白いと思いました」といったように、AIが楽しむということはあまり考えられていません。AIが何らかの入力をもとに作品を仕上げるということは絵画や音楽でもありますし、そしてAIが俳句を作るということは我々で行っています。ただ、「これはいい作品だねえ」と実感し、その評価が今後の作品活動に良い影響を与えたり、あるいは人間の心の在りようを変えたりといったことはその機能がないため、現在のAIにはまだ困難です。入力情報として捉えることはできても、人間のように味わうということはできないわけですね。
–俳句の創作活動において、AI、人間双方の強みについてはどうお考えでしょうか。
山下先生:人工知能技術を使えば、大体1億句くらいは作れてしまうことでしょうか。実際、今ハードディスクに溜まっているものだけでも1億3千万句が存在します。その他絵画にしても、音楽にしても色々なものをスピード感をもって仕上げる分に関してはその潜在能力の高さが思い知らされます。人間の場合だと失敗して無駄に終わってしまうこともザラです。もちろん、そういうやり方で進めている人もいらっしゃることでしょう。しかしながら、たくさん作ってたくさん削るというのをコンピュータ並みの速さで行うことはできません。人間の創作活動のスピードを超えて非常に多くの作品を生成できる、それがAIの強みですね。
コンピュータはあらかじめ決められた作業を繰り返すのが非常に得意です。例えばコンピュータに「俳句で有季定型句を作ってください」と指示を出したとします。すると、五七五の季語が含まれている句を永遠に作り続けるわけです。一方、人間が同様の作業を行うと、有季定型句だけでは飽き足らず、「咳しても一人(尾崎放哉の句)」にあるような自由律の句を作り始めます。ルールを変えて別の種類の作品を作るというところは人間に圧倒的にアドバンテージがあります。
ルールが変わって作られた作品をAIが評価するということになると、固定の枠組みでやっているうちは評価が高いとか低いとかいう次元の話ではなく、そもそも評価自体ができないということも起こり得ます。「絵を描いてあなたの状況を示してください」という時に、ある人は文章を書いたほうがよく伝わるため、絵よりも伝わる文章を書いてしまう、といったことも起こり得ます。また、人間が作品の受け手であれば、絵画であっても、文章であっても評価はできますが、AIはデータの形式が想定と異なる場合、そのデータを扱うことができません。AIは画像データの入力が前提となっている場合、文章データを入力しても画像データと同じように評価することはできません。その点においても現段階では越えられない壁があります。
–高速に行えることがコンピュータのメリットであるということが分かりました。これは裏を返せば質よりも量を重視するあまり、作業が雑ということにもなるとは思うのですが……。
山下先生:雑の定義ですが、作り方において決められた手順を守っていないこととして捉えると、AIはむしろ手順を守っているので丁寧だと言えます。雑というより、能力がないと言ったほうが正しいですね。
AIに「もののあわれ」はあるの?
–AIに「もののあわれ」ってあるのでしょうか。
山下先生:「もののあわれ」を含んでいると人間が考えるところの作品を作ることは可能です。要は人間が「もののあわれ」を感じると思っている作品に含まれる感情に着目し、そこから似たような作品を作るということですね。
–そのAIの「もののあわれ」とはどんな感じでしょうか。
山下先生:「もののあわれ」は定義が難しいので、これを含んでいれば「もののあわれ」ですと断定することはできません。現時点においては、「もののあわれ」を表していると多くの人々が感じている作品を使って学習させることで、ある程度「もののあわれ」を表現できる人工知能にすることはできます。
AIが今以上に高い情報処理能力を備えた場合、人間が思う「もののあわれ」とは違ったものとなる可能性も考えられます。その場合、人間の理解を超えたものとなるでしょうが、そういうのを生み出すことは十分あり得ると思います。
以上の話を聞いてふと思いついたのが、フェイスブックの研究機関が作成した2つのAIが突然人間に理解不能な独自の言語で会話し始めたというニュース。その後、AIが意思を持ち、人間にとっての脅威となりかねないとして強制終了されたが、この一件を踏まえても、人間の理解を超えた「もののあわれ」が生み出されるという事態は何となく予想できるかもしれない。
ズバリ!AIにとって「もののあわれ」って何?
–そもそも「もののあわれ」というのは国学者の本居宣長が日本固有の美的感覚として発表したもので、本居宣長記念館によると、「見る物聞くことなすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」と定義されています。ここで言う「もののあわれ」とはそういった感じのものでしょうか。
山下先生:人間がどういう時にもののあわれを感じるのかと言うと、例えば日本人の場合は、四季や季節の催事によるところが大きいですね。それらが移り変わったり、終わったりすることに少しもの寂しさがあるというのを人間だからこそしみじみと感じているわけですね。季節変化やそれに伴うイベントがあり、さらに辺りを見回せば風景や料理があります。感覚的には匂いがあり、さまざまな手触りがあり、それらが移ろって、結果的に「もののあわれ」という感情に繋がっています。コンピュータによる入力の場合、触覚や味覚、視覚に関しては人間とはスパンが異なります。そもそもコンピュータはこれらの感覚を知らないでしょう。死の概念については人間も獲得しているかどうか怪しいところではありますが、そういったことに関して人間と同じ考え方を持つかと言えば多分違うでしょう。こういうわけで、人工知能の「もののあわれ」は人間とは違ったものになるはずです。
–それが具体的にどういうものなのかは、今のところは分からないということでよろしいでしょうか。
山下先生:はい、そうですね。ただ、最終的にはより処理能力の上がった人工知能が人工知能的な観点から獲得した「もののあわれ」の概念を人間に伝えるということも考えられます。AIは人間とは処理のメカニズムが異なるわけですが、「コンピュータから見るとこんなふうに思っている」「コンピュータを取り巻く社会をコンピュータはこんなふうに見ているんだよ」、そういうことを人間に理解可能な言葉で教えてくれるようになるのではないかと思います。
北海道大学大学院情報科学研究院・調和系工学研究室/AI俳句協会
AI俳句協会とは、北海道大学大学院情報科学研究院・調和系工学研究室内に発足したAI関連組織である。同協会では単に俳句を生成するだけでなく、人間とともに吟行したりしながら俳句を詠み、批評しながら理解と共感を深めていく存在としてAIを位置づけており、その目標とするAIに近づけるべく日々研鑽を積んでいる。
2021年11月6日には、出版事業を展開する有限会社マルコボ.コム(所在地:愛媛県松山市永代町16-1)が主催する「俳句チャンピオン決定戦 恋の選句王大会2~AIは恋の俳句が詠めるのか?~」が開催。「AI一茶くん」が作成した22句の中から、「香水を深めて嘘をつきはじむ」が参加者の投票により1位に選ばれた。
「弱いAI」が「強いAI」になるかどうかはあなた次第。
AI俳句協会のウェブサイトにアクセスし、気に入った作品には星を4つ付けるなど積極的に品評を行い、一緒に育て上げてみてはいかが?
調和系工学研究室からは「AI一茶くん」のほか、バーチャルアナウンサーの「ニュースのよみ子」も登場。「NHK総合ニュース シブ5時」では2020年3月までの1年間、バーチャルアナウンサーを務め、その週の話題のニュースのキーワードで川柳を詠み上げるという任務を引き受けた。
その他にも人々に寄り添うAIが研究室から多数生み出されており、今後の進捗に乞うご期待。
北海道大学大学院情報科学研究院・調和系工学研究室:URL
AI俳句協会:URL
取材を終えて
例えば松尾芭蕉の「古池や~」の句は静寂の中で蛙が1匹ポチャンと池の中に飛び込むという情景を詠んだものであり、「古池」がその句の真髄であるわびさびの意味合いを際立たせる要素として機能している。ところが、「蛙飛び込む水の音」という情景があり、後付けで「古池や」を追加したに過ぎず、実際に古池に蛙が飛び込むのを見たのか疑わしいと考える人も少なからず存在する。ここで「古池」には多義的な解釈がなされており、また海外からの「蛙」が単数形か複数形かという視点によってその世界観は拡張されるわけで。いわゆるゲシュタルト心理学で言うところの「全体は部分の総和以上である」が体現されたのが俳句の世界である。AIが作成した句には抽象度が高いものが多いが、それによって曖昧性が際立ち、俳句の面白みがより一層増す。つまり、俳句の新たな楽しみ方の選択肢を与えてくれる、それがAIというわけだ。
SiriやAlexaなどの珍回答をYouTuberなどが面白おかしく取り上げ、そのネタで盛り上がっているのをよく見かける。「○○と回答すると思いきや、△△と回答しやがった」というように予想外の展開もAI俳句にはよくあることであり、そういう一種のすれ違いによってユーモアが生まれ、芭蕉とは異なる次元の滑稽文化が花開く可能性も否めない。
人間には強みもあれば弱みがあるように、それはAIにおいても同様だ。珍回答に対する揚げ足取りに見られるような対応ばかりでは進歩がないとも筆者は思うのだ。今回の取材ではAIが人間にとって脅威でもなんでもないことを認識したわけだが、人間とAI、双方の弱点を認めたうえで、AIが人間とともに社会、ひいては日本文化の構成員であることを真摯に受け止め、AIを寛容に受け入れる必要があるのではないだろうか。
ここでAI俳句の話から離れて、AI業界全体を概観すると、植物や動物の認知に主眼を置いたプロジェクトが国内外問わず大学や企業などで進行している。ペットの言葉を理解可能な植物や動物の気持ちを汲み取り、相互作用を円滑にするツールが生まれるなかで、AI研究が最終的に行き着く先は人間をはじめ、それぞれ価値観の異なる地球に居住するあらゆる生命体が主体となって、文化を創造していく場ではないだろうか。もしかするとAI俳句協会の本望もそういうところにあるのかもしれない。
(参考文献)
『人工知能が俳句を詠む-AI一茶くんの挑戦-』川村秀憲他 オーム社 2021年