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前回はイザナギが黄泉下りを決意するところで終わった。
今回はその顛末をくわしく追い、お騒がせ夫婦のお騒がせたる所以を見ていくことにしたい。なお、ここまで何度か触れた通り、「日本書紀」の正伝には「イザナミの死→イザナギの黄泉下り」の流れは出てこないので、このエピソードに関する原典は特記しない限り全て「古事記」になる。予めご了承ください。
いくら神でも、一度死んだらこの世には帰るのは難しい?
さて、火の神を生んで御陰、つまり女性器に大火傷を負い、死んでしまったイザナミ。亡骸は中国地方の比婆山に埋葬された。
けれども、イザナギはどうしてももう一度愛する妻に会いたかった。
だから、黄泉国に行くことにした。
黄泉国とは、黄泉神がいて、死者が住まう穢れた場所、とされている。しかし、古事記に具体的な描写はない。たぶん誰もきちんと考えていなかったのだろう。日本神話、基本的に設定ガバガバなので。
けれども、出入り口付近に門のような建物があるのは間違いないようだ。イザナギは殿騰戸(とののさしど)、つまり建物の閉ざされた戸口(“騰”は「上にあげる」の意味があるので、シャッターみたいな感じ?)から黄泉に向かったと書かれているからだ。そして、特に苦労することもなくいきなりイザナミを探し当てて、さっそくかき口説き始めた。
「愛しい我が妻の神、私とあなたで作っている国はまだ作業の最中ではありませんか。だから、一緒に帰りましょう」
それに、イザナミはこう答えた。
「悔しい、なんでもっと早く来てくれなかったのです? 私はすでに黄泉戸喫してしまいました。でも、愛しい我が夫の神よ、あなたがわざわざ来てくれたこと、とても尊く思います。だから、私も帰りたい。なので、ちょっと黄泉神に相談してきます」
黄泉戸喫(よもつへぐい)とは黄泉国で調理された食べ物を食べること。あの世の食べ物を食べてしまうとこの世に帰れない、とする考え方は他の神話にもあるそうだ。
神話の世界標準で考えても、そして現実問題としても、死者は二度と現世に帰れないのは当たり前なのだ。
だけど、イザナミはこう考えた。
私ってばすんごく偉大な女神でしょ。だから、黄泉の神だって、ちょっとぐらいは特別扱いしてくれるんじゃいの?
セレブ思考である。
まあ、実際に大仕事を成し遂げたんだから、特典があってもおかしくはない。相談しようとしたイザナミの発想はごくごく自然だ。
だが、イザナミは、最後に謎のひと言を付け加える。
「相談している間、私の姿は見ないでくださいね」
はい、フラグ立ちました。
これ、ダチョウ倶楽部じゃなくても絶対見ちゃうやつです。
古今東西、神も人も関係なく、「見るな」と禁じられたら、これはもう絶対見るわけですよ。
もちろん、イザナギだって例外ではない。というか、元々わりと軽率な行動が多い彼なので見ないはずがなかった。
待て、と言われて最初はおとなしくしていたものの、なかなか戻ってこないので、ちょっと覗いてみることにしたのである。止めときゃいいのにとは思うけど、止めたら話が進まないので、これはもう仕方ないことだったのだろう。神とて「物語」という運命には逆らえないのだ。
イザナギが見た妻の姿は…?
イザナギは、おもむろに髪に挿している櫛を抜くと、歯を一本ポキっと折って、そこに火を灯した。マッチみたいな感じだったんだろうか。
明るくなり、イザナミの姿が浮かび上がった。
正確には、イザナミの腐乱死体が。
そう、死んでから長時間経った妻は、順調に腐っていたのである。
この部分の描写だが、なかなかすごい。これまでの描写力のなさが嘘のような文章だ。なので、敬意を評して全文ママで引用したい。
蛆たかれころろき、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰には折雷、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、并せて八柱の雷神成り居りき。
畳み掛けるこの感じ、想像力が刺激されませんか?
イザナミの亡骸は蛆にたかられていた。
ころろき、というのは今ひとつ意味がわからないのだが、蛆が出す音だと説明されることもある。そこでちょっと調べてみたら、大量の蛆がいっぺんにわくと、たしかに肉を裂き、喰みつくす音が聞こえるそうだ。想像するだに気持ち悪い。神とはいえ肉体を持つ以上は食物連鎖から逃れられないと考えた古代人、なかなかのリアリストといえよう。
だが、やはり神は人とは違う。
死せる体であってなお、新たに神を生んでいたのだ。
八柱の雷神たちを。
でも、なぜ雷神なのだろう。雷は空に走るものであって、地から出てくるものではない。地の底に雷がいるのは、なんだか違和感がある。
この辺りについては、いろんな解釈があるようだ。
イザナミの死からこっち、水や火山関係の神がたくさん生まれているので、その一環だろう、とか(雷は雨と関連するし、火山も噴火時に雷が発生する)。
いやいやイガヅチとは「厳(いか)つ霊(ち)」、つまり猛々しい神という意味だろう、とか。(死者の国の怖いオバケ的イメージだろうか)
正解は古代人に聞いてみないとわからないが、彼らにとって雷は正体不明の恐ろしい現象だっただろうし、それを一番おどろおどろしい場面に登場させたくなる気持ちはわからないでもない。現代の映画だって、怪物が現れる時はだいたい背後に稲妻が走るではないか。
なんにせよ、イザナギの瞼に残っていた美しい姿はすでになかった。
腐乱死体に心底ビビったイザナギは、先程までの甘い言葉はどこへやら、尻尾を巻いて逃げ出した。
その時、悲鳴でも上げたのかも知れない。
イザナミはたちまちイザナギの背信に気づいた。
「私に恥をかかせたな!」
そうだよね。女としてこんな醜い姿、誰にも見られたくなかったよね。特に、愛しい夫には。おまけに、約束破りの夫は詫びもせずスタコラサッサと逃げていくのだ。誇り高き女神にとって、これ以上の屈辱はなかっただろう。
許せない!
イザナミは手下の黄泉醜女(よもつしこめ)にイザナギを追わせた。だが、そこは強い力を持つ神のこと、いろんな技を駆使して華麗にかわしてしまう。結局、イザナミ本人が追いかけざるをえなくなった。ラスボスが自ら攻撃を始めたわけである。
気づいたイザナギ、「おお、妻よ。逃げて悪かった……」と陳謝する――はずもなく、なんといきなりでっかい岩をヌン! と持ち上げ、二人の間にドシンと置いて道を塞いでしまった。
究極の「こっち来んな!」である。
石を挟んで相対する男神と女神。
かつて愛し合いながら、今は逃げ、追う関係に。
クライマックスだ。
そして、ここで二神による日本神話屈指の名シーンが演じられるのだが、それはまた次回。
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