後鳥羽(ごとば)上皇が泣きながら歌を詠んだり、順徳(じゅんとく)上皇が病みメールを送ってきたりしました。『慈光寺本承久記』では後鳥羽上皇の他の息子たちや貴族たちの処遇も書いています。
それぞれの処分
特に後鳥羽上皇の側近で、戦の推進派だった「葉室宗行(はむろ むねゆき)」「葉室光親(はむろ むねちか)」「藤原範茂(ふじわらの のりもち)」の3人についてはその最期を詳細に書いています。私も過去記事で触れているので、参照してください。
承久の乱で処刑された公家の足跡を実際に辿って想いを馳せてみた。
そして次に武士たちの処刑を箇条書きにして書かれています。宮方で大活躍した三浦胤義(みうら たねよし)さんと山田重忠(やまだ しげただ)さんは自害した後、首を晒されているんですが、実は同じく大活躍して大江山へと逃げた渡辺翔(わたなべ かける)さんはここに登場していません。
遺体が見つからなかったのか、上手く逃げて生き延びたのか、はたまた作者の書き忘れか……ちょっとロマンを感じますね。
藤原範継と勢多伽丸
親の罪は子も同罪とされて、幼い子でも処刑されてしまう……。そんな様子はNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でもありましたね。『慈光寺本承久記』でも多くの子世代も処刑されたと書かれていて、その中でも特筆すべき2人の様子を書いています。
藤原範茂の子、範継
1人は後鳥羽上皇の側近として処刑されてしまった藤原範茂さんの子、範継くんです。16歳の範継くんは北条泰時(ほうじょう やすとき)の前に連れ出されました。
泰時は範継を一目見るなりこう言いました。
「これはこれは、お噂に名高い藤原範茂卿のご子息ではありませんか! 容姿や身なりのなんとお可愛らしいことか!
戦の最中、我が子時氏(ときうじ)の心配をしていましたが、あなたを思う気持ちはそれと同じ。あなたを生かしておきたい。もしも私の力が及ばず、あなたを斬らせてしまったら、私はこの先の人生を安穏に過ごせるはずありません。はやくお帰りなさいませ」
まるで美少年だから助けたような口ぶりですが、『慈光寺本』には「当時の時勢を鑑みれば、優れた判断だ」と評価しています。政治的な意図もありそうですね。
佐々木広綱の子、勢多伽丸
もう1人は、佐々木広綱(ささき ひろつな)の息子・勢多伽丸(せいたかまる)くんです。彼は仁和寺にいる道助法親王(どうじょ ほうしんのう=後鳥羽院の息子)が寵愛する稚児でした。
鎌倉武士たちは「勢多伽丸を出せ」と責め立てて、法親王が「この子だけは私に免じて助けてやってくれ」と言っても一切聞き入れません。そこで法親王は勢多伽丸の母親を呼び寄せて会わせることにしました。
母は「お前が鎌倉武士に連れて行かれるというのなら、私はここで死んでやるからお前も自害しなさい」と泣き叫び、同席していた人たちも涙を流しました。
法親王が声をかけます。
「今は色々思う事もあるでしょうが、仕方ないのです。はやく鎌倉武士の元へいきましょう」
ドライっすね、法親王!? 『慈光寺本』では「(法親王は仕方がないと言うが)勢多伽丸の友だちの稚児たちが牛車を囲んで悲しみ、なかなか出発できなかったのはもっと仕方のないことだ」と書いています。
しかも「法親王はもっと悲しくなることを言った」とあります。
「鎌倉武士にはこう伝えてくれ『首を斬ってもせめて胴体だけは返してくれ。一目見て供養するから』と」
法親王、可愛がってたお稚児さんを、一瞬で諦めモードすぎじゃありませんか!? さては『慈光寺本』の作者、後鳥羽上皇以上に法親王のこと大嫌いですね!?
勢多伽丸のお母さんは、首を斬られるところなど見たくないと思いましたが、じっとしていられなくて、泣きながら裸足のまま歩いてついていきました。
勢多伽丸も助かった……!?
勢多伽丸は北条泰時の前に出されます。すると北条泰時はこう言いました。
「これはこれは、噂には聞いていたが容姿も身なりも素晴らしく美しい! 道助法親王が助けてくれというのもわかる。」
おっと……この流れは、範継くんと同じパターン!?
「それから、そこの門にたたずんでいる者! 聞けば勢多伽丸の母と言うじゃありませんか。どうして佐々木広綱という立派な武士の妻が裸足のまま徒歩でやって来るなんて、私はこんなことをする女性は初めて見ました。これに免じて許しましょう!」
やったー! 勢多伽丸くんも助かったー!
運命のすれ違い
一同は大喜びして、牛車に乗り仁和寺の道助法親王の元に帰ります。しかし、橋を渡った時……佐々木広綱の弟・信綱(のぶつな)とすれ違いました。信綱は兄とは昔から仲が悪く、この戦でも鎌倉軍として戦っていました。
信綱は北条泰時の前に行き、「勢多伽丸に許しを与えたら、私はあなたの目の前で自害します」と言います。北条泰時は驚いて説得しようとしますが、信綱はがんとして譲りません。
実は佐々木信綱の妻は、北条義時の娘。泰時の妹です。そこら辺の関係で、信綱を自害させるわけにはいかないと思ったのでしょうか。結局勢多伽丸は斬首されることとなってしまいました。
あまりにも生々しい母の嘆き
勢多伽丸の母はこの顛末を聞いて「人生は夢まぼろしと言うのならば、もうこの人生で勢多伽丸と会う事はかなわない。見るとかえって悲しくなるからみないようにしよう」と、泣きながら家に帰ります。流れる涙で道が見えなくなっていました。
しかし処刑される日、母は処刑場にやっぱり現れてしまいます。そして首を斬られた勢多伽丸の亡きがらにすがって泣くのでした。
辛いことは見たくないと言いつつも、やはり我が子のことは最後まで見てしまう。この心情に共感する人は現代人にも多いのではないでしょうか。原文ではさらに情感たっぷりに語られていて生々しいぐらいです。是非心身共に健康な時に一読して欲しいです。
さて、長かった『慈光寺本承久記』もいよいよ次回でラストです。その最後の一文まで、お付き合いください。