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天高く輝く太陽の神たるにふさわしい女神・大日孁貴(おおひるめのむち)を得たイザナギイザナミの両神は、すっかり感動してますます神生みに力が入った。
あの月神がまさかの名無し⁉︎
そのかいあって次も、大日孁貴には及ばぬものの、やはり身から光を放つ素晴らしい御子が誕生した。月の神である。日本神話が好きな方なら、「ああ、月読尊ね」とすぐに見当がつくだろう。
ところが、である。
不思議なことに、日本書紀はこの月神の名を明記していないのだ。
もちろん、一切記されていないわけではない。月弓尊、月夜見尊、月読尊なんてお名前があるのよ、とは紹介している。ただし、あくまでも「一書にいわく」だ。日本書紀オリジナルの名は、ない。
なぜ?
名前は、とても大切なものなのに。ゴダイゴの名曲「ビューティフルネーム」だって、「名前それは燃える命 一つの地球にひとりずつひとつ」と歌っているではないか。
父母神は、この子の希少性を「日にならべて天を治めさせるべき」と嘉し、できたばかりの天上世界に送るほどには存在価値を評価している。
でも、逆に言うとそれだけ。
名付けは親が子にしてやる最初のプレゼントだというのに、それすらしなかったこの父母って一体……。
もちろん、日本書紀製作委員会(仮称)が記録しなかっただけ、っていう可能性もある。けれど、さすがに神名を勝手に不要として削除してしまうとは考えづらい。単に書き忘れた、もないだろう。正史の編者がそこまでうっかりさん揃いだったらビックリである。
ならば、可能性は二つだ。
一、本当に名無しだった。
二、日本書紀がベースにした伝承には存在していなかった月神を、何らかの理由で挿入した。
では、二つのうち、どちらがよりありうるだろうか。
私は二番目なんじゃないかなあと思う。もちろん、ただの勘ではない。後続する「一書」の記述を見ての結論だ。これについては、また改めて触れるとして、とにかく、日本書紀の編者たちは「月神の名は一書から引用すれば十分だ」と判断したわけだ。ここに何らかの理由があったと考えるのは、穿ち過ぎではないだろう。
だが、名無しの月神は能力を認められただけマシだったのかもしれない。
続く二神は、認められもせず、ただ追放されてしまうのだから。
神様残酷物語
え? 続く「二神」? 三貴子誕生の話なのになんで残りが「2」になるわけ? これ書いている人、もしかして算数弱い人? と思われたかもしれない。
だが、「2」で間違っていない。筆者は確かに算数弱い人ではあるのだが、3-1ぐらいはできる。ここは「二神」で合っているのだ。
なぜなら、日本書紀において月神の後に続くのは蛭児(ひるこ)であり、三貴子の一角・素戔嗚尊(すさのおのみこと)はその次、四番目に生まれているのである。
そう、古事記では第一子だったヒルコが、日本書紀では神生みオーラスの三貴子に並ぶ子と位置づけられているのだ。さらに、舟に乗せて海に流し、捨ててしまう結末は同じで、古事記にはなかった背後事情の説明もあるのだが。
その理由がまたひどいのだ。
なんと「三歳になっても立たなかったから捨てた」というのである。
もうむちゃくちゃだ。「お前、いい加減にしろ」アゲインである。
こう思うのは何も私だけではない。平安時代には大江朝綱という公卿が「父母(かぞいろは)あはれと見ずや 蛭の子は三歳(みとせ)になりぬ 脚立たずして」と和歌に読んでいる。ざっくり訳すと「父母は哀れとは思わなかったのだろうか。ヒルコは足が立たないまま三歳になったというのに」。古代の大宮人もこれはさすがにひどい仕打ちだと思ったのだろう。
しかし、神生みフィナーレにまつわる騒動は、これだけでなかった。
最末子である素戔嗚命もまた、父母神にとっては気に入らぬ子だったのだ。
けれども、理由は蛭児とは異なる。
両親が素戔嗚尊を忌避した理由、それはその性格にあった。
どんな性格だったかって? それはまた次回!
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