前回は「日本書紀」に拾われた「一書(あるふみ)」なる別伝の数々を延々と読んでみた。
同じ「神生み」テーマだけでも、これだけのバリエーションが存在するのだ。
一体どれが本当なのやら、と戸惑っても仕方がない。
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日本の成り立ちを思えば、数々のバリエーションは当たり前!
だが、研究書などによると、豊富なバリエーションがあるのは当たり前の話、なのだそうである。
そもそも、「日本国」は初めから「日本国」としてあったわけではない。
旧石器時代、最初のホモ・サピエンスが朝鮮半島から対馬経由で日本列島に渡ってきて以降、だいたい4万年もの長い時間をかけ、大陸や南方の島嶼部からいろんな文化を持った人々が「大八十島」にやってきたわけである。
それに伴い、どれだけ多くの「言い伝え」がもたらされたことだろう。もちろん、列島で新たに生まれた言い伝えもあるに違いない。風土に併せて変化もしただろう。
1万年も続いた縄文時代、遺跡の痕跡から概算できる平均的な集落の人口数は30名程度で、完全定住することなくあちらこちらを移動していたと見られている。
狭いようで広い日本列島、そんな小規模集団が偶然他の集団と行き会う確率はさほど大きくないと思うが、住める場所は今よりも限られていただろうから、交流は自然と生まれただろう。その過程で、それぞれの「言い伝え」も混ざり合っていったに違いない。集団の滅亡とともに「失われた言い伝え」もあったはずだ。
紀元前5世紀頃に始まったとされる(前10世紀説もあるし前3世紀説もある)弥生時代には農耕が始まり、ようやく集団定住の村落が生まれた。定住すれば、文化の継承は進む。それぞれが集落独自の「言い伝え」を語り、子や孫に話して聞かせたことだろう。
日本にはまだ文字がなかったが、大陸ではすでに文字文化が栄え、早くも「歴史」「思想」が生まれていた。それらが新しく海から渡ってきた人々によってもたらされ、口伝えされていてもまったくおかしくない。
聞いたことがない話、あるいは似ているけど違う部分がある話を聞いた時、語り部たちはどうしただろうか。
ある者は自分たちこそ正統と、他を一切拒んだかもしれない。
ある者は新しい話をさっそく取り入れて、部族の神話を「文化的」に装飾したかもしれない。
ある者は自分たちの話と他所の話の共通点を見出し、うまく仕立て直したかもしれない。
いずれにせよ、他伝承の影響をまったく受けずにすんだ言い伝えなど、何一つなかっただろう。
やがて古墳時代に入って村落がクニとなり、クニとクニとの覇権争いが増えていくと、部族のアイデンティを意識する人間が出てくる。自分たちの優位性を「祖先は偉大で神秘的な存在」と言い張ることで証明しようとするのは、ごくごく自然な感情だ。21世紀の今ですら、神仏を己のキャラ付けに利用する人たちがいるのだから。
このようにして「言い伝え」は「神話」として成立していった、そうである。
とにかく、日本神話成立の全過程を考えると「古事記」や「日本書紀」なんて全然新しいし、「唯一かつ完全なオリジナル神話」なんてものは、そもそも存在しえない。
神話は時として害悪ナショナリズムや、詐欺スピリチュアルに悪用されることもあるが、「唯一無二で無誤謬の神話は存在しない」と認識さえしていれば、トンデモに惑わされることはぐんと減ると思う。神様だって、オリジナルと後代では設定が全然違ったりする。要するに、人間の都合で簡単に書き換えられるのである。
だからこそ、神話はできるだけ原典に近いものを読んで見るのが大事。私はそう考えている。
は? お前がここで書いてるの、原典から離れまくったダイジェストやん、って?
いや、もちろんそうなんです。
でも、主目的は「日本神話おもろいで」をお伝えすることなので、できるだけ原典にトライする気持ちが湧き上がるように工夫しながら書いていきたいと思っております、はい。
そんなわけで、またまた脱線しましたが、次こそヒルコの謎に迫ってみたい。
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