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これまで独神、つまり終生独身だった神々を中心に見てきたが、今回は結婚に失敗したものの心機一転巻き返し、輝かしい後半生を歩んだ女神様を紹介しよう。
すでに見てきたように、最初の夫婦神であるイザナギイザナミからして泥沼の離婚劇を繰り広げたわけで、日本神話は結婚に関して極めてリアリズムな姿勢を採用している。
そんな中でも、今回の主人公・阿加流比売神(あかるひめのかみ)の離婚はとりわけ現代的だ。
アカルヒメは、古事記では応神天皇の時代の神として登場する。日本書紀には垂仁天皇時代の一書として阿加流比売と思しき存在が出てくるが、あくまで「乙女」としてしか書かれていないので、今回は古事記を元に話を進めよう。
新羅の女神が生んだのは、輝く赤い玉
さて、この女神の出身地は日本ではない。新羅、つまり現在の朝鮮半島の東側にあった国で生まれている。
ある日、新羅のどこかにあった阿具沼(あぐぬま)の畔で、一人の女が昼寝をしていたところ、突然、彼女の陰部に虹のような光が差しこんだ。その神秘の力は彼女を妊娠させ、赤い玉を生れた。玉のような赤ちゃんではなく、赤い玉が生まれたのだ。びっくりである。
そんな驚くべき現場で目撃していた男がいた。
男は、何を思ったのか女に乞うて玉をもらいうけ、腰につけて大事にすることにした。たぶん、キラキラ光るきれいな玉だったのでほしくなったのだと思う。子供が公園でビー玉を拾ってくる、あの感じに近かったのかも。
それからしばらく経って、男はピンチに陥った。国の王子である天之日矛(あまのひぼこ)から言いがかりをつけられ、牢に入れられそうになったのだ。それを逃れるため、男は手中の玉を王子に差し出すことにする。
受け取った王子は玉を寝床の縁に置いた。すると玉はたちまち美しい女性に変じた。
これこそがアカルヒメだ。
アカルとは赤々とした光とも、明るく輝く光とも、色んな意味に取れるが、とにかく「とてもきれいな女性」を意味する名だそうな。また、女性が光に感応して子を孕むという話は、朝鮮半島に見られる一典型であるらしい。優れた人物が異常な生まれ方をするのは、神話上に多く見られる。
アカルヒメも、ただ美しいだけではない、聡明な女性だった。しかも料理上手だった。日々様々な珍味をこしらえては、王子の口を喜ばせたのだ。
理想的な奥様ではないか。
これは古代版、DV・モラハラ離婚!?
民話ならここでめでたしめでたし、と終わるかもしれない。だが、そうは問屋が卸さないのが神話である。
めでたくならなかったのは、天之日矛のせいだった。
天之日矛は献身的な妻に感謝するどころか次第に増長し始め、挙句の果てに妻を口汚く罵るようになったのだ。
ドメスティック・バイオレンスである。
モラル・ハラスメントである。
女性への不当な暴力をしっかりと記録した古事記。すごい先進性だ。まあ、それだけ「よくある話」だってだけかもしれないが。
一方、危機に対して古代の女神はどう対応したのだろう。よよと涙を流しつつも耐え忍んだのだろうか。手弱女ゆえに泣き寝入りしたのだろうか。
もちろん、そんなわけがない。
ブチギレて、行動に出たのである。
「どうやら私はあなたの妻でいるような女ではないようですね。親の国に帰らせてもらいます」と啖呵を切った上で、密かに仕立てた小舟で日本に逃亡したのだ。古事記の女性は押し並べて強い。
さて、ここで不思議なのは、アカルヒメが日本を「親の国」と言っている点だ。陽の光が父なので、日出ずる国が祖国になるという発想だったのだろうか。
いずれにせよ、今も昔も暴力夫からの逃避行は大変である。最初は筑紫国、つまり今の大分県の北方にある姫島に逃れたが、九州はまだまだ朝鮮半島に近い。天之日矛が追いかけてきかねないと心配になった。モラ夫のしつこさはいつの時代も不変だ。
そこで、さらに東に移動することに決め、摂津国(今の大阪北部)にまで来てようやく落ち着くことができた。
土地の人々は、アカルヒメを優しく迎え入れた。あまつさえ、モラ夫から守ることにした。案の定追いかけてきた天之日矛を、難波の渡りの神がばっちり追い返したのである。難波の地が、アカルヒメにとってのシェルターになったのだ。
これに感謝したのだろうか。アカルヒメは土地の女たちに機織りや裁縫、焼物や楽器演奏などを教え、人々が豊かに暮らせるよう尽力した。つまりアカルヒメも「海外からやってきた文化英雄」の側面を持つのである。
巻き返しを望む人たちすべての女神
そんなお方であるから、土地では神として祀られた。
有名なのは大阪市北部の西淀川市、その名も姫島にある姫嶋神社だ。ここはアカルヒメ逃亡のエピソードを前面に出すことで「やりなおし神社」としてアピールしている。
また、大阪市南東部の平野区には神名がそのまま社名になった赤留比売命神社がある。こちらは普段は宮司もいない小社ではあるが、しっかり現存している。
美しく賢く行動力ある女神が我が故郷・大阪を終の棲家に選んだと思うと、私はなんだか誇らしくなる。そして、そんな神の社をずっと守り、祀ってきた人たちがいたことも。
決然として自分の人生は自分で選んだ、古代の女神。
そんな御方だからこそ、人生の巻き返しを望む人たちすべての味方になってくれるのだ。時を超えたエンパワーメントが、ここにはある。古代日本の女性は自分の足で立つだけの気概も根性も持っていた。現代日本の私たちも大いに見習おうではないか。
おまけ モラ夫の末路
蛇足かもしれないが、モラ夫・天之日矛のその後についてもちょっと触れておこう。
渡りの神に追い返された天之日矛は新羅に帰るつもりで日本海側である但馬(兵庫県の北方)まで行った。だが、結局海を渡ることができず、そのまま土地に留まった。そして、多遅摩之俣尾(たじまのまたお)の娘・前津見(さきつみ)という女性と結婚した。前津見がひどい目に遭わなかったか、心配である。
やがて二人の間に子供ができた。その子の名を多遅摩母呂須玖(たじまのもろすく)という。そして、そのひ孫の多遅摩比多訶(たじまひかた)は、神功皇后の祖父となった。神功皇后といえば大和朝廷成立史の大立役者で、八幡神の一柱であるわけだが、そんな方が朝鮮半島の王子の子孫と伝えられているのは、実に興味深いところである。
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